作者:東雲佑
上野で高崎線から山手線に乗り換えると、目的地の秋葉原まではわずかに3、4分しかかからなかった。せっかく確保できた座席に(しかもこれは角席だったのだ)別れを告げて、僕と妻はウグイス色の車輌からホームに降りた。目指すは昭和口改札。
ホームから階段を降りてしばらく歩いたら、今度はやたらと長いエスカレーターを昇り、かと思えばまた降りのエスカレーター……オタクの聖地秋葉原駅は東京的に複雑な作りをしていた。
さて、昭和口改札で待つこと数分、待ち人は現れた。
「失礼ですが、東雲佑先生と奥様でよろしいしょうか?」
僕らが相手を発見するよりも先に、向こうからそう声をかけてきた。
電話の声からイメージしていた通り……いや、想像以上に若い人だった。去年の新卒社会人か、現役の女子大生と言っても通じるかもしれない。
「いかにも、東雲だ」
精一杯の威厳を込めて応答する僕。なんにせよ大切なのは第一印象である。ここで舐められてはいけない。
「似合わない大先生ムーブはやめなさい。尊大と威厳は無関係。そんなだからみんなに三十歳児扱いされるの」
そして夫の取り繕った威厳を粉砕する妻。生産性のかけらもないビルドアンドスクラップに泣きたくなってくる。
「あはは、さすがご夫婦。すごいチームプレイですね!」
僕からしたら背後から撃たれた以外のなんでもなかったのだが、我々夫婦のやりとりを彼女はそのように評した。
そんな彼女に対して妻が、いえいえそちらこそ、と返す。
「チームプレイといえばそちらこそですよ。打ち合わせの通話、いつも横で聞いてて笑いを堪えるの大変です」
こんなに癖だらけの人とよくぞまあ、といらない一言を付け足す妻に、彼女がまたも声をあげて笑う。これほど騒がしくしているというのに近くを行き交う人たちは誰もこちらを見てこない。これが東京かぁ、と妙な具合に感心してしまう。
それから、彼女はあらためて我々に言ったのだった。
「はじめまして。いつもお世話になっております。新紀元社の重岡です」
去る5月19日、東京は秋葉原にて小説家になろう(以下、文脈に求められぬ限り『なろう』と省略する)関係のとあるトークイベントが開催された。
このイベントには宝島社で僕と担当を同じくする蝉川夏哉先生と筏田かつら先生の出演も決まっており、僕と妻はその応援のために上京していた。
一方の重岡女史は、新紀元社が同イベントの協賛企業であったため関係者として招かれていた。
でしたら当日お会いしましょうかと、そうなったのは当然の帰結というものであろう。
昭和口改札で合流した僕たちは最寄りのタリーズコーヒー(※1)に入った。僕はソイラテ、妻はココア、重岡女史はハニーミルクラテをそれぞれ注文して、テーブル席に着く。
僕の正面に女史が座り、妻は……。
「……なんで君そっちに座ってんの?」
なぜか僕ではなく重岡女史の隣に腰を下ろしたマイワイフ。夫のツッコミに妻はココアを啜りながら「こっち女子チーム」と答えた。孤独なハズバンドたる僕は孤独なため息をつく。3人以上の人間が集まればそこにはもれなく派閥が発生するのだ。
それから、僕と女史はあらためて挨拶を交わして名刺を交換する。どちらかが先にはじめましてと言い、もう片方もはじめましてと返す。
僕らが顔を合わせたのはこの日がはじめてだった。
「でも、はじめましてっていう感じ、あまりしないですよね」
まったく同感だった。
「毎回かなり綿密に打ち合わせしてたし(さらに読者だよりの回は普段の数倍、それこそウンザリするような密度で)、外見も声からイメージしてた通りだったし」
「あ、それ私も同じです! 東雲先生、イメージしてた通りでした!」
ちなみに僕の外見については一切の言及を控えるので(かつてラジオ出演の際に蝉川先生から指摘された『東雲佑という作家の幻想性の保護』という観点による)、読者はそれぞれ自由にイメージを膨らませていただきたい。
重岡女史の外見については……正直に書くとまたファンが増えそうでムカつくので(なぜ東雲派より重岡派の読者が多いのだ)、これも現実に基づいた描写は差し控える。とりあえず腕が6本生えてて肌は紫色だったとでもしておこう(※重岡注)。
「ということで、残念ながら初めて会ったという気が全然せんのだ、ゲオカさんとは」
「はい、ミートゥーです」
かくして、作家と担当編集の貴重な初対面イベントは、このように一切のときめきと無縁のものだった。初対面の気まずさというのも一秒もなかったけれど。
互いに馴染む為の生温い時間は不要だった。我々は単刀直入に本題に入る。
今回の打ち合わせのメインテーマである、『作家と学ぶ異類婚姻譚』の今後について。
「まずは連載10回、おめでとうございます」
「ありがとうございます」
「一つ大きな節目を迎えたって感じですよね。人気も失速することなく、むしろますますの大人気、大反響です。今週はバタバタしててまだお渡しできてないですけど、読者だより第4回にもたくさん投稿来てますよ」
「まじか。ありがたいなあ」
読者の皆さま、いつも本当にありがとうございます。
「あらためてもう一度、連載10回、おめでとうございます!」
「あらためてもう一度、ありがとうございます!」
「祝10回!」
「ビバ10回!」
「……そう、10回です」
「……おう」
「……ちなみにこの連載って、全何回の予定でしたっけ?」
「……5回」
覚えていない人は第1話に戻って最後の行を読んできてほしい。
全5回の連載、『作家と学ぶ異類婚姻譚』はそのようにしてはじまった。
上のような文章で第1話は締められている。シンプルだかなかなか印象的な一文ではなかろうかと実はひそかに自信がある。
それはともかくとして。
「いったいどうするつもりなの?」
「私の台詞! それ私の台詞です! ほんと自由奔放ですね、わかってましたけど!」
もしこのやりとり記事で使うつもりなら絶対読者さんここで混乱しますよ! と重岡女史。どうですか親愛なる読者の皆様、実際混乱しましたか?
「でもほんと、どうなさるおつもりです?」
六本の腕をわきわきさせ、紫の肌からは毒液を噴き出させながら女史が言った。
どうするつもりかはともかく、どうしたいかは決まっている。
続けたい。出来ることなら是非続けさせてもらいたい。
なにしろ『作家と学ぶ異類婚姻譚』の原稿料は、事故後の僕にとって唯一の現金収入なのだ。いまこの連載を失えば医者に通うことすらままならなくなる。
ただ、連載を続けたい理由はそうした露骨で実際的な問題ばかりではない。
つい今しがた重岡女史が言った通り、『作家と学ぶ異類婚姻譚』は大きな反響をいただいている。そしてこの『反響』という言葉はランキングやアクセス数だけを指しているのではない。
メッセージやツイッター投稿によって寄せられる意見や情報。読者から作家への『響き反し』。
『作家と学ぶ』というコンセプトは、当初僕が予想もしていなかった形で成功している。たしかに読者にとっては『作家と学ぶ』だろうけど、僕にとっては『読者と学ぶ』なのだ。作者の僕が読者に学ばせてもらうこともしばしばのこの連載は、いまや金銭面以上に精神面で僕を支えてくれている。終わらせてしまうのはあまりにも惜しいし、寂しい。
ただ、そんなわがままを口に出してしまって、いいものだろうか。
「続けさせてください」
僕が言おうか言うまいか思いあぐねていると、僕ではない誰かが言った。
妻だった。
「イルイコンインタンの連載、この人にはかなり良い影響があるみたいなんです、いろいろ。なので、もし新紀元社様さえよろしければ、続けさせてやってください」
並んで座る重岡女史に身体ごと向き直って、妻はぺこりと頭を下げた。ココアは手に持ったままで。
僕が言えなかったこと、僕の口からは言い出しにくかったことを直入に伝えてくれた妻に、驚くと同時に深く感謝した。チームプレイという言葉を思い出す。これこそが、まさに。
いい奥さんですね、と重岡女史が僕に目で語りかける。こちらもハニーミルクラテを持ったままで。
そして同じく瞳と少しだけ傾げた首の角度で、「東雲先生も同意見ですか?」と確認してくる。
僕は黙ったまま頷く。この連載が小説なら「こいつら初対面なのに通じ過ぎです」とダメ出しを食らいそうなものだが、すべて事実である。やはりこの担当とは初めて会った気がしない。
「よござんす! 続けましょう!」
重岡女史が言った(なんだその『よござんす』はと思ったが、後で聞いたところによるとこの時のこの台詞は、夏目漱石の『こゝろ』において娘を嫁にくれと主人公に申し込まれた下宿先の奥さんが発した「よござんす! 差し上げましょう!」という台詞が元ネタだとか。ゲーム・アニメ・映画オタクに加えて重岡女史は文学オタクでもあるのだ。四重苦とかサリヴァン先生でも投げ出すレベルである)。
「実を言うと、『作家と学ぶ異類婚姻譚』は新紀元社としても是非続けていただきたいと思ってたのですよ」
「まじで」
まじです、と重岡女史。担当編集の力強い首肯は、いつだって我々作家に勇気を与えてくれる。
「いいぞ、続けろ」
「いきなり態度がどでかいですねえ。まあ慣れてますけど」
慣れさせてしまっていた。
「とにかく、『作家と学ぶ』はいまやパンタポルタの看板連載の一つですからね。それに読者だよりや取材記と、回を重ねるごとに新しい可能性が開いていってます。たった5回で終わらせてしまうには新紀元社的にも、それに私個人としても惜しいです」
前回第10回でしたけど、と重岡女史。
前回第10回だったけどね、と僕。
妻はココアのおかわりを注文しに行っていた。
「『5回で終わっちゃうんですか?』『もっと読みたいです』『ずっと続けてください』……読者からもそんなご要望がたくさん来てました。読者も、それに私も、もっとこの連載と付き合っていきたいとおもってるんです」
この説得はかなり胸に来た。午前10時のタリーズで、正直ちょっと泣きかけた。
「それにですね、東雲先生」
「それに?」
「まだ学ぶべきことは、たくさんありますよね?」
異類婚姻譚の沼は深いですよ、と女史は笑った。
これが決め手だった。いや、最初から答えは決まっていた。
「あの、それでは……」
「はい」
「今後とも、よろしくお願いします」
「はい、今後とも」
「学ぼう!」
「学びましょう!」
そういうことになった。
※1
これは注釈というか苦情であり告発である。確かに僕はこの原稿の初稿でタリーズの店名をドトールと間違えて記した。しかしそれについて鬼の首を取ったように『タリーズですよ!』とか朱入れしてくる資格が重岡女史にあるだろうか?
元を正せば打ち合わせ当日に『待ち合わせ場所は昭和口のスターバックスで!』と言ってきたのは重岡女史なのだ。そのせいで僕と妻は存在しないスターバックス秋葉原駅店を探す羽目になった。ドトールとタリーズなら字数も長音符の位置までも一致しているが、タリーズとスターバックスでは似ても似つかない。どちらの間違えがより大きいか、読者の意見を聞かせてほしい。
※重岡注
ひとを神話生物にしないでください! ところで腕が6本といえば、アスラ(阿修羅)が有名ですよね。顔も3つありますけど。『幻想世界の住人たちⅡ』(新紀元社)によると、男性は醜く、女性は端正な顔立ちをしているらしいですよ!
*作者紹介*
東雲佑(しののめ たすく)。幻想小説を得意としている。第3回なろうコンの拾いあげ作品『図書館ドラゴンは火を吹かない』が宝島社より発売中。
第2回モーニングスター大賞では『雑種の少女の物語』が最終選考まで残り、社長賞を受賞。ちなみに、第1話の作中に登場する「先日のエッセイ」とは『名前の中のストーリー』のこと。
東雲佑(しののめ たすく)。幻想小説を得意としている。第3回なろうコンの拾いあげ作品『図書館ドラゴンは火を吹かない』が宝島社より発売中。
第2回モーニングスター大賞では『雑種の少女の物語』が最終選考まで残り、社長賞を受賞。ちなみに、第1話の作中に登場する「先日のエッセイ」とは『名前の中のストーリー』のこと。
『作家と学ぶ異類婚姻譚』
第1話
読者だより①
第2話
読者だより②
『シェイプ・オブ・ウォーター』特集
第3話
~東雲佑の取材記 〈女化紀行 前編〉~
~東雲佑の取材記 〈女化紀行 後編〉~
読者だより③
読者だより④