突然ですが、もしあなたが百年戦争真っただ中のイギリス軍の指揮官で、これからフランス軍と一戦交えなければならないとしたら、どのような戦術を選びますか? しかも自軍は農民出身者ばかりで、重装騎兵中心の敵軍より明らかに兵力で劣るとしたら――。
これは百年戦争当時、実際にあった戦争です。「クレシーの戦い」と呼ばれたこの会戦は、イギリス軍の勝利で終わりました。でも、兵力で劣っていたのにどのようにして勝利したのでしょうか?
『覇者の戦術』(中里融司 著)では、アレクサンドロス大王やハンニバル、ナポレオンといった天才たちが残した戦術の数々を、豊富な図版やイラストとともに紹介しています。今回はその中から、クレシーの戦いにみられる戦術についてお話します。
目次
クレシーの戦い①戦いの背景と兵力、兵種
まずは戦いの状況を簡単に整理しましょう。
時は1346年8月、百年戦争が始まって10年目を迎えた年のことです。
フランスに侵攻したイングランド王エドワード3世は、一時パリ近くまで兵を進めたものの、補給の問題があり、自軍に友好的なフランドルへと進路を転じます。
フランス軍はその行く手を阻もうとしました。こうして両者はソンヌ川近くのなだらかな丘で対決することとなります。
フランス軍の指揮官はフィリップ6世、兵力は約12,000人で、重装騎兵を中心とした軍編成にジェノバ人傭兵も加わっていました。
対するイギリス軍の兵力は約10,000人。フランス軍よりも数で劣る上に、ヨーマンと呼ばれる自由な身分を持つ農民が大半で、他に国王の家臣団を中心とした重装騎兵隊という構成でした。
フランス軍の方が兵力も多く、しかも重装騎兵中心と戦力も充実していたのに、なぜイギリス軍は勝てたのでしょう? そこにはイギリス軍の緻密な作戦があったのです。
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クレシーの戦い②イギリス軍の布陣と落とし穴作戦
クレシーの戦いでは、イギリス軍の方が先に丘陵地に布陣しており、フランス軍が布陣を終えるまでには若干の時間がありました。
そこでイギリス歩兵隊は空いた時間を利用し、自軍の弓兵隊の前に落とし穴を掘り始めます。穴の間には丸太も埋め込みました。この落とし穴と丸太で、突撃してくるフランス軍の重装騎兵隊を防ごうというのです。
イギリス軍は布陣の仕方にも気を配りました。軍の中心は長弓隊で、これを分割して隊列の左端、右端と中央に置き、その間に重装騎兵や歩兵を配置します。自軍の本陣は隊列の後方に置き、その両側も長弓隊で固めました。本陣のさらに後方には荷駄隊と呼ばれる矢の補給部隊も用意されています。
クレシーの戦い③長弓VS弩 勝つのはどっちだ?!
対するフランス軍は前方にジェノバから来た傭兵隊を、後方に自国の重装騎兵隊を置くという布陣でした。
号令一下、ジェノバ人傭兵隊の弩(クロスボウ)が放たれると、イギリス軍の長弓隊も負けじと矢を放ちます。
ジェノバ人傭兵の使う弩は射程距離約320m、1分間に1本の矢を発射することができました。矢は真っ直ぐに飛び、イギリス軍の軍馬や胸のあたりへと吸い込まれていきます。
これに対し、イギリス軍の長弓は射程距離約250m。射程距離ではジェノバ傭兵隊の弩に敵いませんが、1分間になんと10本もの矢を発射することができました。さらに、斜め上方へと放たれた矢は弧を描くと急角度で落ちるため、かなりの貫通力でジェノバ傭兵隊の頭上へと襲いかかります。
弩と長弓の戦いは、速射力と貫通力にすぐれた長弓の勝利に終わりました。こうして前線のジェノバ弩隊は崩壊し、後方に控えていたフランス重装騎兵隊が前線へと駆り出されることとなります。
フランス重騎兵隊はイギリス軍めがけて突撃をかけましたが、落とし穴と丸太の防御策のために長弓隊には手が出せません。仕方なく長弓隊の間に布陣する歩兵に突撃しようとすると、今度は左右両側から矢の集中砲火を浴びることとなりました。
フランス騎士団は合計15回も突撃を繰り返しましたが、結果は全て失敗に終わってしまいます。指揮を務めていたフィリップ6世は辛うじて逃げ出すことができました。
考察・クレシーの戦い イギリス軍の勝因3つ
クレシーの戦いを俯瞰してみると、イギリス軍の勝因は3つあったことがわかります。
ひとつめは、速射性能にすぐれた長弓隊を主力として用いたことです。イギリス軍は自由農民が中心でしたが、1分間に10本もの矢を放てる長弓の威力はジェノバ傭兵の弩よりも脅威的でした。
ふたつめは、長弓隊の前に落とし穴と丸太の防御柵を設けたことです。この戦術により、フランス重装騎兵隊は長弓隊を攻撃することができず、長弓隊の間に配置されていた歩兵を狙わざるを得なくなりました。
3つめは布陣の仕方にすぐれていたことです。歩兵を長弓隊の間に配置することで、歩兵めがけて突撃してくる敵に左右から矢を浴びせることができました。
クレシーの戦いを契機として、イギリス軍はフランスに対して優位に立つこととなり、1347年にはカレーを占領したり、1356年のポワティエの戦いでも勝利をおさめるなどします。こうして百年戦争はイギリス軍が優勢のまま進みましたが、15世紀になるとジャンヌ=ダルクの登場などもあり、最終的にはフランス軍の勝利で終結しました。
ライターからひとこと
フランス軍が用いた重騎兵での突撃は、当時大変恐れられたポピュラーな戦術でしたが、クレシーの戦いでは長弓隊や落とし穴を使ったイギリス軍の作戦に見事にはまってしまい、大敗を喫することとなりました。似たような戦いは日本にもありました。織田・徳川軍と武田軍による長篠の戦いです。こちらは長弓ではなく鉄砲でしたが、騎馬隊を遠距離攻撃で打ち破ったところが似ていると思いませんか。日本を含めた世界の戦術を研究する時に、本書は入門書としてきっとお役に立ちますよ。