みなさんは普段どんな食生活を送っていますか? 食事の回数は1日3回でしょうか? 肉と魚はどちらを食べることが多いですか?
もしある日中世ヨーロッパに転生してしまった場合、残念ながら現代と同じように1日3回肉も魚も楽しむ生活を送るのはちょっと難しそうです。なぜなら中世ヨーロッパの人々は、現代の日本人とは全く異なる食習慣を持っていたからです。
『図解 食の歴史』(高平鳴海 著)では、中世ヨーロッパを中心に、古代から18~19世紀までの食事情をわかりやすく説明しています。今回はその中から、中世ヨーロッパの食事についてお話します。
目次
中世ヨーロッパでは1日2回の食事が基本
現代の日本に暮らす私たちは、朝昼晩の1日3回食事を取ることが一般的かと思います。また、1日の食事の中では朝食や昼食より夕食の方が豪華という方も多いのではないでしょうか。ですが、中世ヨーロッパではこのような食事の回数・内容は一般的ではありませんでした。
中世の人々は、公式には1日2回、昼と夜に食事を取っていました。例外的に、年寄りや子供、病人は朝食を食べてもよいことになっています。
当時、教会は大食を戒める意味で食事を2回と定めていましたが、実際には庶民は3~4回食事をしていたと考えられています。また、人夫や農民などの肉体労働者は身体が資本ですので食事回数も多く、4~5回は食べていたようです。
1日の食事のうち昼が正餐(せいさん)で、「ディナー」と呼びます。ディナーは初め、12~15時の間に礼拝を行った後に取っていましたが、後に正午に昼食を取るよう統一されました。
一方、日没後に取る食事は「サパー」と呼び、昼よりも軽いメニューになっています。
サパー(軽い夕食)から翌日のディナー(昼食=正餐)までの時間を「ファースト(食断ち)」と呼びます。15世紀になると国王が朝食を食べるようになったことから、社会全体でも公然と朝食を食べるようになりましたが、朝食、すなわち「ブレックファースト」とは、「食断ちをやめる」という意味の言葉でした。
やがて18世紀になると、富裕層は夜に劇場に行くようになり、生活全体が夜型になります。そのため、イタリアやフランス、イギリスのロンドンなどではサパーが21~24時の間にずれ込み、それに伴ってディナーの時間も14~19時と遅くなりました。
現代では昼食のことを「ランチ」といいますが、これは元々、労働者が仕事の合間に取る休憩を意味する言葉でした。今でもランチが存在せず、昼にディナーを取る地域もあります。
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中世ヨーロッパの食事は塩漬けの魚ばかり?!
現代の日本に暮らす私たちの中には、肉が好きな人もいれば魚が好きな人もいますよね。ですが中世ヨーロッパでは、魚よりも肉を好む人の方が圧倒的に多かったようです。
魚は聖書で推奨された食材で、修道院で暮らす僧侶などにはよく食べられていました。
しかし一般の人々は、「肉の赤身や脂肪にはパワーがあり、食べた人の気分を明るくさせるが、魚の白身は食べた人の気分を悲しくさせる」と考えていました。また医者も魚は栄養価が少ないと説いていたため、一般的に魚よりも肉の方が好まれたのです。
とはいえ実際には獣肉は手に入りにくいことも多く、魚の方が手に入りやすい食材でした。そのため人々は断食日などを中心に、魚を渋々食べていたのです。
中世ヨーロッパの人々は川魚も海魚も食べていましたが、中世末期になると漁の技術が発達し、川魚が乱獲されるようになったことや、川に泥が溜まり水温が上がったことなどが原因で、川魚の数は激減してしまいます。その結果、1260~1420年までの間で、魚の値段は実に16倍にも跳ね上がってしまいました。
そこで海魚、特に大量に捕れていたニシンやタラがよく食べられるようになります。これらの魚には漁期が短く腐りやすいという欠点がありましたが、1350年頃、オランダの漁師ヴィレム・ブッケルゾーンによってニシンを船上で樽詰めする方法が再発見されると(この方法は昔からあったのですが、中世には廃れてしまっていたのです)、人々は断食日を中心に魚の塩漬けを食べるようになりました。
当時よく食べられていた魚には、北洋や大西洋で捕れ、塩漬けや燻製にされたニシン、ノルウェー産の干しダラ、アドリア海の塩漬けウナギなどがあります。これらはマスタードと一緒に食べられることが多かったといわれています。
また、中世ヨーロッパでは各地の領主や修道院が中心となり、せき止めた川や人工池、沼などで淡水魚の養殖も行われていました。特にボヘミア地方は養殖で有名だったといいます。
ここまでは庶民の魚料理をご紹介しましたが、王侯貴族は塩漬けのニシンやタラばかりではなく、脂肪の多い魚や珍しい魚を煮たり焼いたり、フライなどにして食べることもありました。味付けには卵や胡椒が用いられました。
彼らの食べた魚には、たとえばニシンの30倍の値段で売られていたというメルルーサ、牛や馬の値段の半分で取引されていたチョウザメ、地中海のマグロ(特に卵や赤身、すき身)やメカジキなどがあります。
当時の特産品には、セルビアの「魚のゼリー寄せ」、アルバニアのカラスミ、フランスの牡蠣などがありました。
もしある日中世ヨーロッパに転生してしまったら、まずはこのような食生活に慣れる必要がありそうです。そのまま現地の食習慣に馴染んでいくか、改革を訴えるかはあなた次第ですね。
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