マンガや小説のキャラクターとして人気があり、フィギュアスケートの羽生選手の衣装でも話題になった安倍晴明。彼が陰陽師として高い能力を発揮した陰には、母親の存在があったとされています。ところが実際に安倍晴明の母がどんな人物だったのかははっきりしていません。
『図解 陰陽師』(高平鳴海 著)では陰陽師について、その役割や行った儀式、社会的知識などを解説しています。今回は本書を参考に、安倍晴明の母の素性に迫ります。
目次
安倍晴明の母はどんな人? ①白拍子だった?
残念ながら史実では安倍晴明の母が誰だったのか判明していませんが、本書では次の3つの俗説を紹介しています。ひとつめは安部晴明の母は白拍子だったのではないかという説、ふたつめは狐だったのではないかという説、そして最後は名門・橘家出身の貴族だったのではないかという説です。
これらの説を順番にご紹介していきましょう。
まず、安倍晴明の母は白拍子だったのではないかという説です。
白拍子とは、古くは神事を行う巫女のことでしたが、後に男装して無伴奏の舞を行う踊り子のことを指すようになり、さらに後の時代になると芸能を生業とする遊女を意味する言葉になります。
このような歴史から、白拍子は芸人であると同時に巫女の血を引く者も多かったとされています。晴明の母が白拍子だったのではないかという説では、安倍晴明は母から巫女の霊能力を持つ血を受け継いだために、優れた陰陽師になれたのではないかと考えられています。
安倍晴明の母はどんな人? ②人間に化けた狐?
ふたつめの説は仮名草子『安倍晴明物語』などいくつかの物語に基づくもので、安倍晴明の母は白狐だったのではないかというものです。物語の内容を簡単にご紹介しましょう。
河内国の石川悪右衛門は妻の病気を治すため、兄の蘆屋道満(あしやどうまん)に占いをしてほしいと頼みました。道満が占った結果、病気の妻を治すには狐の肝が必要だということがわかり、石川悪右衛門は信太(しのだ)の森へ狐を狩りに出かけます。
ちょうどその頃、信太の森を訪れていた人物がもうひとりいました。摂津国安倍野(現在の大阪市阿倍野区)に住んでいた安倍保名です。
保名は信太の森で石川悪右衛門に追われている白狐の姿を見つけ、助けてやることにしました。ところがその際に怪我をしてしまいます。
そこへどこからともなくひとりの美しい女性が現れました。葛の葉と名乗るその女性は保名を介抱すると、その日からしばらく保名のもとへ通い、献身的に世話を焼くようになります。やがてふたりは恋に落ち、結婚して童子丸という子どもをもうけました。
童子丸が5歳になったある日、葛の葉は神通力を失ってしまい、白狐の姿を童子丸に見られてしまいます。
「私はかつて、保名様に助けていただいた白狐です」
葛の葉は夫の保名にそう告白すると、信太の森へと帰っていきました。
この童子丸こそが、後の安倍晴明です。大人になった安倍晴明は陰陽道を修め、母の白狐に授けられた宝玉を使って天皇の病気を治し出世します。
安倍晴明はまた、後に蘆屋道満と占いの力比べを行い、道満に勝ったともいわれています。
この物語は当時の茶吉尼(だきに)信仰に基づくものではないかと考える人もいます。茶吉尼天はインドから伝えられた狐にまたがった神様で、そのシンボルは北斗七星です。北斗七星は陰陽道と関係の深い宿曜道(すくようどう)でも重要視されていることから、こうした物語が生まれたのではないかと考えられています。
安倍晴明の母はどんな人? ③名門・橘家出身?
最後に3つめの説、安部晴明の母は名門・橘家出身の貴族だったのではないかというものをご紹介しましょう。橘家は藤原道長の母(時姫)が生まれた家であり、平安貴族の中でも名門として名を馳せていました。もし「晴明の母=橘家出身の貴族」説が正しいとすると、名門出身なのに母親の名前が伏せられているということは、安倍晴明は何か理由があって正式な子とは認められていなかったということになります。
安倍晴明は40歳になっても天文得業生という学生身分で、50歳頃にようやく天文博士となりました。この経歴だけをみると特に優秀ともいえませんが、晩年になって彼は急に頭角を現し、異例の速さで昇進しています。一体なぜスピード出世できたのでしょうか?
その理由こそが、安倍晴明の血筋にあるのではないかと考えられています。晴明は藤原道長に重用されたことで有名ですが、同じ橘家出身の母を持つという親戚同士だったからこそ、周囲を血縁で固めようとした道長に引き立てられ、「優秀だ」という評判にもなったのではないかというのです。
安倍晴明の母をめぐるみっつの説、みなさんはどの説がいちばん有力だと思いますか? 真実がわからないところもまた、晴明の魅力につながっているのかもしれませんね。
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