■概説
薄暗くじめじめしたダンジョンに棲むスライムは、冒険者にとって厄介以外の何者でもない。
突然天井からポトリと落ちてきて、ドロドロとした体でまとわりついてくる気持ち悪さ、大切な武器や防具を溶かしてしまう強烈な酸の体液、そしてどれだけ攻撃しても動き続けるしぶとさ。
どれか一つでも面倒なのにこれらすべて兼ね備えているとなれば、「冒険者が嫌いな魔物ランキング」の上位に位置づけられるのも当然である。私も若かりし頃は、ダンジョンでスライムと出会った瞬間に苦い顔で悪態をつくのが常だった。
しかし、世の中を見渡せば、どうしてもスライムが欲しいという好事家も存在する。私がかつて依頼を受けた魔術師ギルドの某研究者 ―― ここでは仮にA氏としよう ―― もその中の一人だ。
A氏から初めて「生きたスライムの捕獲依頼」を受けたのは、中堅冒険者として一定の評価を受け始めていた頃のこと。当初は「スライムの生態研究」を名目とした依頼であった。
冒険者としては「スライムに遭ったら一切の跡形もなく焼き払う」のが鉄則、もちろん生きたままスライムを捕まえるなど初めての経験だ。それでも仲間と力を合わせて無事に数種類のスライムを捕獲することに成功した。
冒険から戻って生け捕りにしたスライムを引き渡すと、依頼人は満足そうに何度も何度も頷いていたのを覚えている。しかし、私は見逃さなかった。スライム入りの箱を受け取った依頼人は、なんと「舌なめずり」をしたのだ。
さすがの私も何かの見間違えかと思ったのだが、次に見せた依頼人のバツの悪そうな表情が事実を物語っていた。後日、 A氏から“個人的な招待”を受けた私が再び研究室を訪れると、机の上に奇妙な料理の数々が並べられていた。そう、彼の本当の研究テーマとは「食材としてのスライムの可能性」、端的に言えば「スライム料理の研究」であったのだ。
変わり者が多い魔術師ギルドとはいえ、スライムを食べる研究というのはさすがに表向きには言えなかったらしい。上層部に目をつけられれば予算や研究室を奪われてしまうかもしれない。そこで「生態研究」の名を借りて活きたスライムを捕獲してきてもらっては、どうやったらより美味しく食べられるかと日夜研究を続けてきたとのことだった。
そんな熱心な探求の後に生まれたスライム料理を一言で言うのであれば、「食についての新たな可能性が見える」と評価できるものである。しかし、残念なことにその調理の難しさから冒険中の食材としてスライムを活用できるという段階には至っていない。捕獲の困難さを考えても「冒険のお土産」の一つに数えることも難しいであろう。
それでも、スライムに食材としての利用価値があること、そしてそれを求める者がわずかながらにいるということは覚えておいて損はない。食材としての可能性を知っていればスライムに対する嫌悪感を幾分か和らげることができるであろうし、何より「特別な依頼人」と巡り合うことができるかもしれないからだ。
■捕獲方法
スライムはいくら叩き続けても潰れることはなく、どれだけ細かく切り刻んでも動きを止めることはない。仮にすり鉢に入れてすりつぶしたとしても、スライムは再び動き出す。物理的な手段でスライムを倒すことは不可能だ。
そのため、スライムを退治する場合には魔法の力を借りることになる。第一の選択肢として上がるのが「炎で焼き尽くす」というもの。灰の一つも残らないように徹底的に焼き尽くせば、さすがのスライムも生きながらえることはない。
しかし、スライムを「生け捕り」にするとなれば焼き尽くして消滅させるわけにはいかない。何とかして動きを止め、容器に収める必要があるのだ。
刀で切りつけながら細かくなった破片を集めてみたり、罠を仕掛けておびき寄せてみたりといろいろな方法を試したが、結論として最も効率的かつ安全な方法は「塩」と「氷結魔法」を併用するという方法であった。
その方法は次のとおりである。まず、捕獲対象のスライムを見つけたら大量の塩を投げつける。両手で抱えるほどの大きさのスライムで、おおよそ桶にいっぱい ―― およそ1kg~2kg程度の塩をぶっかけるのが望ましい。
しばらくすると塩の作用によってスライム体内の水分が奪われ、概ね手のひら大ほどまで縮んでいく。こうなればしめたもの。あとは魔法により凍結させて、あらかじめ用意しておいた瓶に詰めれば捕獲成功だ。
なお、スライムを詰めた瓶は厳重に蝋で封を固め、一切隙間がない密封状態にすること。凍ったスライムはあくまでも動きを止めているだけであり、解凍されれば再び動き出す。もし封に僅かでも隙間が残っていればスライムはそこから這い出してしまうのだ。
気が付いたら背中にスライムが……などという恐ろしい事態にならないよう、最後まで気を抜かないこと。無事に持ち帰るまでが冒険なのである。
■食材への加工・保存
スライムを食用にするうえで厄介なのが体内にため込んでいる「酸」である。塩漬けにする際に大半の酸は水分とともに流れ出すのだが、それでも一部は体内に残ってしまう。これを適切に処理しないとスライムを食べることはできないのだが、実はA氏の研究によって酸を抜く方法が既に突き止められているのだ。
その方法とは「海藻を燃やした灰からとった灰水」に浸すというもの。縮んだスライムを戻す際に海藻の灰汁に浸すことで、灰汁に含まれる成分が酸を中和するそうだ。山菜や木の実を薪灰汁に浸してあく抜きするのと原理は近いのかもしれない。
また酸が弱まるとスライムの動きもいっそう鈍くなり、調理もいっそうしやすくなる効果が期待できるとのこと。
そしてもう一つ、スライムを「食材」として使う場合、その生命活動を止める必要がある。今でも「炎で消滅させる」以外に方法はないと思われているが、A氏の飽くなき探究心はこの難題も克服していた。
その方法は実にシンプルで、「芯まで十分な熱を加える」ことであると彼は言う。消し炭になるほどの高温でなくても、一定の時間きちんと熱を加え続けることでスライムの体を組成している成分が変性し、「食用に適した状態」とすることができる。「透明な卵の白身も茹でれば白くなる」のと同じ理屈だそうだ。
「塩で縮む」「酸を中和すれば動きが鈍る」「芯まで熱を加えれば活動が止まる」という三つの発見は、スライムへの対処に重要な示唆を与えてくれるものである。特に「魔法が使えない状況でスライムと出会ってしまった」場面を考えると、非常に有益な知見が得られたと言える。
■調理例(レシピ)
捕獲にも苦労を強いられ、食べられるようにするにも大変多くの手間がかかるスライムだが、実はその調理法はあまり多くはない。なぜなら、スライムは身のほとんどが水分であり、ステーキのように焼いたり、フライドチキンのように揚げたりするには極めて不向きと言わざるを得ないのだ。
A氏から初めて食べさせてもらったスライム料理は【サラダ】であった。下処理したスライムを食べやすい大きさにスライスし、細切りのにんじんやキュウリ、それにみじん切りにしたトマトと一緒に軽く塩で揉んでから、甘酢とオリーブ油、そして隠し味程度のマスタードを入れたドレッシングで和えたものだ。
意外なことに、スライムの食感はコリコリクニクニとしている。どうやら塩で揉むことで歯ごたえを増すようだ。とはいえ、スライム自体にほとんど味はない。野菜のシャキシャキした食感とスライムのクニクニ食感の対比を楽しみながら、ドレッシングの味でさっぱりと楽しむ料理といえよう。暑い時期に涼を取る料理としてはおすすめだ。
サラダも美味ではあるが、果たして労苦に見合っているかと聞かれれば「No」と答えざるを得ない。しかし、そこは心配無用。スライム料理の神髄と呼べるものは別に存在する。
A氏が【トレ・ノン・アタカーレ】と命名したその料理に使う材料は灰汁に漬けたスライム(つまり『活きスライム』である)と砂糖水、卵黄、ココナツ油の4つと極めてシンプルだ。
最初に砂糖水と布で濾した卵黄を合わせた卵液に灰汁で戻したスライムを漬けこむ。スライムは甘いものが好きなようで、みるみるうちに卵液を吸い込んで体を黄色に染めていく。
次に丸底のフライパンを火にかけ、ココナツ油をかけ回してから黄色に染まったスライムを投入。火加減に注意しながらレードル(おたま)でコンコンと叩き続けることおよそ10分弱。スライムが完全に動きを止めていれば完成だ。
見た目は「鮮やかな卵黄色のスライム」といったもの。しかし漂う香りはカラメルのように甘く、上質のスイーツを彷彿とさせる。
そして、この【トレ・ノン・アタカーレ】の最大の特徴、それは「皿にも、スプーンにも、歯にもくっつかない」ということだ。
皿の上に広げられた【トレ・ノン・アタカーレ】にスプーンを差し入れると、皿の上のどこにも粘りつくことなく掬い取ることができる。不思議なことに、後にはスライムのべたつきはおろか、油汚れの一滴も残らない。
そしてそれを口に運べば、スプーンからスルっと離れ口の中に飛び込んでくる。もちろんスプーンにくっつくようなこともない。舌に載せた瞬間にとろけるような甘さと卵黄のコクが口の中に広がり、後からふわっとココナツの香りが鼻をくすぐる。最高の腕を持つ職人が丹精を込めて作り上げたカスタードクリームのような優しい味わいだ。
ふにふにとした食感のそれは引っ張り上げればどこまでも伸びていくような趣さえ感じられるのだが、歯を立てればツルッと切れてしまう。しっかりと甘さを感じながらも決して重たいことはなく、気付けばサラッと胃の中に納まってしまうのだ。
何より不思議なのが、これだけトロトロもちもちしているにも関わらず皿にも、スプーンにも、そして歯にも一切くっつくことがないということ。まさに【トレ(三)・ノン(不)・アカターレ(粘)】の名にふさわしい料理、数ある魔物料理の中でも特筆すべきものであることは間違いない。
捕獲にも苦労を強いられ、食べられるようにするにも大変多くの手間がかかるスライムだが、実はその調理法はあまり多くはない。なぜなら、スライムは身のほとんどが水分であり、ステーキのように焼いたり、フライドチキンのように揚げたりするには極めて不向きと言わざるを得ないのだ。
A氏から初めて食べさせてもらったスライム料理は【サラダ】であった。下処理したスライムを食べやすい大きさにスライスし、細切りのにんじんやキュウリ、それにみじん切りにしたトマトと一緒に軽く塩で揉んでから、甘酢とオリーブ油、そして隠し味程度のマスタードを入れたドレッシングで和えたものだ。
意外なことに、スライムの食感はコリコリクニクニとしている。どうやら塩で揉むことで歯ごたえを増すようだ。とはいえ、スライム自体にほとんど味はない。野菜のシャキシャキした食感とスライムのクニクニ食感の対比を楽しみながら、ドレッシングの味でさっぱりと楽しむ料理といえよう。暑い時期に涼を取る料理としてはおすすめだ。
サラダも美味ではあるが、果たして労苦に見合っているかと聞かれれば「No」と答えざるを得ない。しかし、そこは心配無用。スライム料理の神髄と呼べるものは別に存在する。
A氏が【トレ・ノン・アタカーレ】と命名したその料理に使う材料は灰汁に漬けたスライム(つまり『活きスライム』である)と砂糖水、卵黄、ココナツ油の4つと極めてシンプルだ。
最初に砂糖水と布で濾した卵黄を合わせた卵液に灰汁で戻したスライムを漬けこむ。スライムは甘いものが好きなようで、みるみるうちに卵液を吸い込んで体を黄色に染めていく。
次に丸底のフライパンを火にかけ、ココナツ油をかけ回してから黄色に染まったスライムを投入。火加減に注意しながらレードル(おたま)でコンコンと叩き続けることおよそ10分弱。スライムが完全に動きを止めていれば完成だ。
見た目は「鮮やかな卵黄色のスライム」といったもの。しかし漂う香りはカラメルのように甘く、上質のスイーツを彷彿とさせる。
そして、この【トレ・ノン・アタカーレ】の最大の特徴、それは「皿にも、スプーンにも、歯にもくっつかない」ということだ。
皿の上に広げられた【トレ・ノン・アタカーレ】にスプーンを差し入れると、皿の上のどこにも粘りつくことなく掬い取ることができる。不思議なことに、後にはスライムのべたつきはおろか、油汚れの一滴も残らない。
そしてそれを口に運べば、スプーンからスルっと離れ口の中に飛び込んでくる。もちろんスプーンにくっつくようなこともない。舌に載せた瞬間にとろけるような甘さと卵黄のコクが口の中に広がり、後からふわっとココナツの香りが鼻をくすぐる。最高の腕を持つ職人が丹精を込めて作り上げたカスタードクリームのような優しい味わいだ。
ふにふにとした食感のそれは引っ張り上げればどこまでも伸びていくような趣さえ感じられるのだが、歯を立てればツルッと切れてしまう。しっかりと甘さを感じながらも決して重たいことはなく、気付けばサラッと胃の中に納まってしまうのだ。
何より不思議なのが、これだけトロトロもちもちしているにも関わらず皿にも、スプーンにも、そして歯にも一切くっつくことがないということ。まさに【トレ(三)・ノン(不)・アカターレ(粘)】の名にふさわしい料理、数ある魔物料理の中でも特筆すべきものであることは間違いない。
とはいえ、この料理は危険と隣り合わせ。万が一火の通りが甘く、スライムがほんのわずかでも生きたままの状態であれば大変なことになる。スライムに美味しく頂かれたくなければ、くれぐれも冒険中に作らないことが肝要である。
◎『若き冒険者に捧げる「食」の手引き』
参考書籍:『モンスターランド』(草野巧 著)
第1回:サンダーバード
第2回:クラーケン
第3回:コダマネズミ
第4回:アクリス
第5回:スライム
作者:Swind(@swind_prv)
メシモノ系物書き兼名古屋めし専門料理研究家。*宝島社より小説『異世界駅舎の喫茶店』1~2巻発売中。
*KADOKAWA MFCよりコミックス1~2巻も発売中!
・別名義にて、宝島社より『大須裏路地おかまい帖』が発売中!
*ナゴレコにて「名古屋めし」レシピも紹介しています。