1077年1月25日は何があった日かご存知ですか? この日から3日間は、神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世がローマ法王グレゴリウス7世に許しを乞うため雪の中に立ち続けたとされる、いわゆる「カノッサの屈辱」が起きた日です。
『帝王列記』(磯田暁生 著)では、王、皇帝、ツァーリ、カリフなど、さまざまな名称で呼ばれる歴史上の皇帝たちの活躍をまとめて紹介しています。今回はその中から、ハインリヒ4世とカノッサの屈辱についてお話します。
目次
カノッサの屈辱① ハインリヒ4世誕生とドイツ国内事情
神聖ローマ皇帝がローマ法王に許しを乞うとは大事ですが、一体なぜそのようなことになったのでしょうか。まずは「カノッサの屈辱」に至る前のヨーロッパの状況から簡単にご説明しましょう。10世紀、ドイツ国王オットー1世は、国内で力を持つ諸侯たちを抑えるために、教会の権威を利用しようと考えました。国内の教会や修道院に広大な土地や数々の特権を与えた上、ローマ法王の頼みを受けて北イタリアを平定してしまったのです。ローマ法王はオットー1世をローマ皇帝に任じ、ここに神聖ローマ帝国が誕生します。
神聖ローマ帝国では、皇帝が法王や司教、修道院長を決めることができるとされていました。その代わりに教会は土地や特権を手に入れられるというわけです。
この制度は、教会が腐敗化し世俗化している間はうまく機能しましたが、11世紀半ばになると教会内部で腐敗を改革しようという動きが起こります。フランスのクリュニー修道院から始まったこの改革運動はヨーロッパ各地へと広まり、ついにローマ法王も彼らの影響を受けるようになりました。
折しもその頃(1056年)、神聖ローマ帝国では皇帝ハインリヒ3世が亡くなり、新しくハインリヒ4世が帝位に就くことになります。しかしこの新しい皇帝はまだわずか6歳だったため、ローマ法王グレゴリウス7世はこれ幸いと「法王は皇帝が決めるのではなく、教会内部の選挙で決められる」ということにしてしまいました。さらに翌年、「皇帝には司教や修道院長を決める権利はない」とする決議も出してしまいます。
カノッサの屈辱② 老法王、ハインリヒ4世を破門す
やがて20代の若者に成長した皇帝ハインリヒ4世は、聖職者の任免権を奪われたままでは困るとして、国内の司教や修道院長を抱え込み、ローマ法王グレゴリウス7世の廃位を決定します。老法王はこれに対抗し、ハインリヒ4世を破門してしまいました。ハインリヒ4世はもうキリスト教徒ではなく、今後教会に出入りすることも、死後に天国に行くこともできないとしたのです。
ドイツ国内は大騒ぎになりました。司教や修道院長、諸侯たちの中にはハインリヒ4世を見捨てる者もあらわれ、1年後の1077年2月までに国王が破門を解かれない場合、ハインリヒ4世を廃位し新しい王を立てるなどと言い出します。
ハインリヒ4世は困りました。彼に残された道は法王に頭を下げて許しを乞うことしかありません。こうして1076年の冬、皇帝は法王に会うため、雪のアルプスを越えてドイツからイタリアへと向かうこととなります。
当時、ローマ法王グレゴリウス7世は、トスカーナ女伯マチルダの居城カノッサ城に滞在していました。そこでハインリヒ4世は、クリュニー修道院長とマチルダのふたりに、老法王との仲介役になってもらえるよう依頼します。
1077年1月、カノッサ城に到着したハインリヒ4世は、帽子も靴もなく、毛織の修道衣をまとっただけの格好で雪の城門に3日間も立ち尽くし、法王に赦免を乞い続けました。これが世にいう「カノッサの屈辱」です。
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カノッサの屈辱③ その後もふたりは無事ではなかった
その後、法王と皇帝はどうなったのでしょう?「カノッサの屈辱」の結果、ハインリヒ4世はローマ法王に赦免され、なんとか破門を解いてもらうことができました。
そこで彼はドイツに帰ると、まずは反対勢力の力を削ぎ、続いて報復のために大軍を率いてイタリアに攻め込み、法王をローマから追い出すことに成功します。法王はイタリア南部のサレルノへと逃げ、ついには亡くなってしまいました。
しかしハインリヒ4世もそのまま平穏に治世を終えられたわけではありませんでした。ドイツ国内で諸侯の反乱が相次ぎ、ついには息子であるハインリヒ5世によって廃位され、国中を逃げ回った挙句に亡くなってしまうのです。
こうして泥仕合は終わった。人々の胸に残ったのは「教会にたてつくと恐い」という思いだけだった。法王の権威はしだいに高まり、やがて十字軍の登場によって最高潮に達するのである。 『帝王列記』p.109
本書で紹介している偉人たち
- アレクサンドロス大王
- クレオパトラ
- チンギス=ハーン
- ピョートル1世
- J・F・ケネディ
- etc...
ライターからひとこと
「カノッサの屈辱」だけをみると、神聖ローマ皇帝がローマ法王に負けたように見えますが、その前後の事情も知れば一連の流れがいかに泥仕合だったかよくわかると思います。『帝王列記』では歴史の名場面を物語のように描いていますので、気楽に楽しんで読むことができますよ。