作者:冴吹稔
異界から現れてバルドランド王国に知恵をもたらした賢者がいた。もと孤児の養女、メリッサは書記の仕事の傍ら、王都で二代目の賢者としての第一歩を踏み出した。
彼女を協力者と見込んで期待を寄せる女伯爵、ウルスラ・リンドブルムは目付け役として家臣の一人フェリクスを王都へ派遣する。
メリッサの兄弟子である特別顧問官ギルベルトもまた、彼女を片腕として師の遺した諸々の課題、難題に対処しようと、メリッサの囲い込みを図っていたからだ。
【王都編】
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【救出編】
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第十七話「集結」
「ふーむ。確かに、我々の居留地を探しているだけなら、こんなところを封鎖する必要はないな……」
背の低い灌木の陰からわずかに頭を出して、ペヌロンがうなずいた。
「ああ。だから言ったじゃないか。疫病が広がりつつある、と」
フェリクスはそう答えながら、なぜ自分まで藪に隠れているのかと内心で首を傾げた。
巡礼の姿に身をやつしてはいるが、呼び止められて顔をあらためられればペヌロンが人間とは別の種族であることはすぐにわかる。彼女はそれを警戒して身を隠したのだが、それでなおフェリクスたちを掌握し、従わせるつもりでいるようだ。
何とかこれでペヌロンが納得して森へ帰ってくれればよいのだが、どうも目下の状況はそう都合よくは動いてくれないように思われた。
やはり、殿に似ているな――
脳裏にウルスラ女伯爵の面影が浮かぶ。フェリクスはひどくおかしくなって、くすりと笑った。指導的で強気な女性にどうにも逆らいにくい、というのがすっかり染みついてしまっているのだ。
防馬柵の周囲には、遠目にもそれとわかる兵士たちがざっと十名ほどたたずんでいる。表情は見えないが、彼らのきびきびとした動作からは練度と緊張感がうかがえた。
視線を転じて手前の土手を見ると、先ほどの旅人は封鎖線を意識するあまりか、まだこちらに気付いていない様子だった。着ているものを見るに、徒歩での長旅に適したとはいいがたい恰好だ。
マントはなし、羽つき帽子は雨にさらされたのか、元は白かったらしい飾り羽がすすけた灰色になってしまっている。
しばらく見ていると旅人はいつの間にやらパンと水筒を取りだし、土手の上で腹ごしらえを始めたらしかった。
「あいつ、何をしてるんだろうな」
「ああ、何となく察しが付くよ。あれは長期戦の構えさ。見張りの交代なんかで警戒が手薄になったところで遠回りにすり抜ける気だな……」
コンラッドが旅の裏側まで知り尽くしたという風に考察して見せる。似たようなことは自分もさんざんやったというわけだろう。
「なるほど。それまではじっくり待とう、ということか」
「お前たちはどうするつもりだ? やはり手薄になるのを待つのか?」
ペヌロンがいぶかしげに訊いてくる。
「いや。我々はレンウッドの武官に連絡を頼まれたのだから、堂々と戻れば――」
そう言いかけて、フェリクスははっと思い当たった。あの旅人は、なぜ人目を避け封鎖線を越えようとしている?
「もしかしたら……あれがそうかもしれん。ホールワードで降りたまま行方知れずの、疫病船の乗客――」
二人は顔を見合わせた。
「なるほど、といいたいけど、つまりそれって王都を間に挟んだここまで歩いて移動してきたってことだよね? ちょっと驚きだな……森の中を通れば可能だろうけど、普通の人はそんなことはしないからね」
「確かに。ということはどうあっても旅を続けねばならない事情が何かあるのかもしれないな。疫病のことは別においても、だ」
「フェリクス……僕はそもそもが自由気ままな旅暮らしだし、その、あまり気が進まないんだが……どうもあいつを取り押さえて、お役人に引き渡さないといけないらしいね?」
「そういうことだな、察しが早くて助かる。私はリンドブルム伯爵家を通じて王国に仕える身だ、災いのもとを見過ごすわけにもいかん」
「いろいろと葛藤があるようだが、要するにあの男を捕まえる、ということでいいのか?」
不意に、二人の間にペヌロンが首を突っ込んできた。
「ああ。だが――」
「では行ってくる」
フェリクスが言葉をつづけようとしたときには、彼女はもう藪を出て旅人の死角へ回り込みつつあった。
「うわ……速い」
コンラッドが目をみはってそれを見送る。
「まずいな。うかつに接触すると感染の危険が……我々は万が一の時は施療所に飛び込めばいいが、彼女はそうはいかん。最悪、別れたあと一人で居留地に帰って、仲間に疫病を広げてしまいかねんぞ」
「君は優しい人だなあ。なに、たぶん大丈夫さ。あの旅人が感染しているなら、ここまでの旅程で倒れてるんじゃないかな。現に、船の中ではもうすでに発病者が出てるわけだし」
「ふむ……」
なるほど、と思うが不安はぬぐえない。そうこうするうちにペヌロンは旅人に後ろから襲いかかっていた。遠目には詳しいことまでわからないが、どうやら首筋の血流を圧迫して気絶させたらしい。そのまま土手の向こうの藪の中に消えてしばらくあたりは静まり返った。
封鎖線の方には依然動きはない。土手と雑木林、それにわずかにカーブした街道の地形が、うまい具合にフェリクスたちを隠してくれていた。ペヌロンは出て行った時と同様、こつ然と二人のところに戻ってきた。後ろ手に先ほどの旅人を気絶したまま引きずっている。
「あれ」
旅人の服装を間近に見て、コンラッドは何かに気付いたのかいささか素っ頓狂な声を上げた。
「どうした?」
「いや……ちょっと気になるところがあって」
フェリクスも旅人をしげしげと見まわしてみる。フローリエン風の羽帽子と、どこかの貴族の紋章が入った質実なつくりの胴着が目に入った。顔色や歯並びはごく健康で、普段から滋養のしっかりしたものを食べている様子。腰には実用的な拵えの短めの剣を下げている。
こういう特徴と雰囲気の人物を、実のところフェリクスは一人、よく知っていた。毎朝鏡の中でお目にかかる相手――つまり自分自身だ。
「ふむ、どうやらこの男、私のご同業らしいな。どこかの貴族の家臣のようだ」
「うん、僕はこの紋章を知ってる。ランツェンマイヤー伯爵家の、本家で使ってるやつさ」
「ほう」
フェリクスも名前を聞いたことがあった。リンドブルム家とは比べ物にならないほど裕福で権勢のある、王国東部の大貴族だ。その紋章を一目で特定できるとなれば、コンラッドの正体もある程度絞り込まれてくる。少なくとも、「小金を持った庶民の勘当息子」などといった話ではありえない。
「でも、ランツェンマイヤーの関係者だとするとおかしなことになるんだ。伯爵家の領地に行くなら、この街道は方向が全然違うからね」
「……妙だな。あちこち迂回しているうちに、迷いでもしたのか……?」
目を覚ましたら尋問してみるべきだろう。ともあれ、二人はその男を馬の背にのせて進むことにした。封鎖線に近づく途中で、ふとペヌロンが足を止めた。
「よし、お前たちが嘘をついていないのは分かった。私はいったん別行動をとろう。あそこでこの顔を見られるわけにはいかんからな」
ここで別れる、と言わないところを見るとまだ帰るつもりはないらしい。もうしばらく付きまとわれそうだと、フェリクスはひそかにため息をついた。その手の中に、ペヌロンが何か小さなものを押し込んでくる。葦の茎で作った小さな呼子笛のようなものだ。
「何か用事があるときは、町の外に出て人気のない場所でこの笛を吹け。お前たちの耳には聞こえんが、私にはすぐにわかる」
おい、と呼び止めようとしたときにはすでに遅く、シーの斥候はまたしても雑木林の中に姿を消していた。
* * * * * * *
「ああ、無事に無事に手紙を届けてくれましたか……お疲れさまでした。しかし思ったより時間がかかりましたね」
「少し予期しない出来事がいくつか……それはそうと、何やらお疲れの様子ですが」
レンウッドの駅亭で再び顔を合わせた駐在武官の騎士ジャレッドは、はた目に幾分やつれて見えた。指摘されると、彼は深々とため息をついた。
「こちらもいろいろとありましてね。その、少々手に余る……」
「はあ」
そういえば、街中の様子が何やら尋常でなかった気がする。もともと司教座がおかれているせいでにぎやかな街ではあるのだが、今レンウッドを包んでいる何やら慌ただしい雰囲気は、またそういうものとは少し性質が違うように思われた。
「それと、連れてきてくださった男、間違いなく件の船の乗客でした。病気にはかかっていないようですが、念のため町はずれの空き家に監視をつけて収容してあります。おかげで、肩の荷が一つおりましたよ」
一つ、というところに妙に感情がこもっているような気がした。してみると、ジャレッドにはまださらに厄介なことが降りかかっていると見える。
もう巻き込まれんぞ、とフェリクスは体をこわばらせた。
(これ以上、レンウッド界隈で足踏みしていられるか。早く王都に向かって、メリッサ殿に合流せねば……)
「お役に立ててよかった。では我々はこれで――」
そう言いさして席を立とうとした瞬間、ジャレッドの居室のドアが叩かれた。
「ジャレッドさん、お忙しいところすみません、メリッサです。ギルベルト様とお連れの若様が、訊きたいことがあると……」
(……メリッサ? まさか)
愕然とするフェリクスの前に、ドアを開けて小柄な少女が顔を出した。
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*この小説は『現代知識チートマニュアル』(山北篤 著)をもとに書かれています。