突然ですが、みなさんは思いっきり石を投げたことはありますか?
石を投げること自体はとても簡単な動作ですが、なかなかそんな機会はありませんよね。
場合によっては人を死に至らしめるほど危険な行為ですが、紀元前には攻撃手段として投石兵器が用いられていました。そこで今回は『図解 古代兵器』(水野大樹 著)から、人類最古の兵器である「スリング」の歴史をご紹介したいと思います。
目次
時速100km越え⁉ 驚くべきスリングの性能
スリングとは、石を投げるために作られた紐状の兵器です。その作りはシンプルで、紐の中央に石弾を入れる袋がついており、指を掛けられるよう片端が輪っかになっています。それを頭上で振り回し、遠心力の力を利用することで、遠くの敵を攻撃しました。
スリングは紀元前1万2000年頃に発明され、人類最古の兵器のひとつに数えられています。
石を投げるだけで兵器というのは大げさでは? と思うかもしれませんが、スリングは兵器と呼ぶにふさわしいポテンシャルを持ってます。
まずは、スリングの能力についてお話しましょう。
スリングで石を投げると、どのくらいのスピードがでるのでしょうか。
驚くことに、熟練の者が投げれば、石弾の初速は時速100㎞を越えたといいます。これは女子ソフトボールの投手の平均と同じくらいの速度です。
威力を増すため投擲用に加工した鉛や青銅が使われており、この弾を使えば人体を貫通することもあったそうです。
とはいえ、加工技術が発達したのは後期になってからのことで、初期の頃にはそこら辺に転がっている石が利用されていました。
弾が切れてもすぐに補充が可能というのは、戦闘において大きな利点と言えるでしょう。
そして、スリングの能力で特筆すべきは、その最大射程です。
弓矢よりも遠くまで飛ばすことができたといわれており、一説では400m以上先の敵を倒したという記録も残されています。
紀元前の人々がいかに優れた兵器技術を持っていたのかうかがえますね。
ここまでの話から、一見強くて便利な兵器に思えるスリングですが、デメリットもありました。
攻撃するには振り回さなければいけないため、人が密集している場所では使うことができなかったのです。これは射撃精度の低さを数で補うスリングにとって、大きな難点でした。
また馬上での使用が難しく、陣形が複雑化するにつれて使用頻度が減っていくことになります。
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神話にも登場! 巨人を討ち取ったスリング
『旧約聖書』サムエル記には、ダビデという少年の逸話が記されています。ダビデは羊飼いであり、8人兄弟の末っ子でした。
ダビデの兄は戦争へ赴いており、ある時父から「この食べ物を兄弟に届けてきなさい」と言われます。
翌日、お使いを果たしたダビデが兄弟と語り合っていると、巨人のゴリアテが戦線に現れました。
ゴリアテは青銅製の武具で身を固めており、兵士たちは彼を恐れて後退してしまいます。
その様子を見たダビデは、小川で滑らかな石を5つ拾うと自前のスリングでゴリアテに戦いを挑んだのでした。
戦いはすぐに決着を迎えます。ダビデ少年の投げた石は見事にゴリアテの眉間を貫き、崩れ落ちたゴリアテは剣を奪われ、首をはねられてしまいました。
この時の出来事は多くの芸術家にインスピレーションを与え、絵画などの芸術作品として現代まで残されました。
またダビデの逸話になぞらえて、現代のイスラエルに配備されているミサイル迎撃装置には「ダビデ・スリング」という名がつけられています。
英雄の伝説が形を変えて、現代でも国を守っているというのは感慨深いですね。
宮本武蔵にも傷を負わせた? 日本でも活躍するスリング
このように様々な活躍していたスリングですが、実は日本でも似たような兵器が存在します。投擲帯という名で、使い方もスリングとほとんど同じだったようです。この武器の活躍は、生涯無敗だったともいわれる二刀流の剣術家、宮本武蔵の手紙に残されていました。
時は江戸時代、島原の乱に参加していた武蔵からの手紙には、次のようなことが記されていたそうです。
「投石を受けて脛に傷を負った」
一流の剣豪にさえ傷を負わせるスリング。もし使い手がダビデのような腕を持っていたら、武蔵の歴史に敗北の2文字が刻まれていたのかもしれませんね。
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