「異世界転生もの」の小説を読んだことのある方は多いと思います。その異世界が中世ヨーロッパの城塞都市だった場合、どんな世界が広がっているのかちょっと想像してみませんか?
『図解 城塞都市』(開発社 著)では、攻城戦の兵器や戦術から住民たちの暮らしぶりまで、ヨーロッパの城塞都市の様子を様々な角度から解説しています。今回はその中から、城塞都市の1日の様子や教会がどのような場所だったのかをご紹介します。
目次
ちょっと体験 城塞都市1日タイムスリップツアー
まずはタイムスリップしたつもりで、城塞都市の典型的な1日の様子をご紹介しましょう。朝を告げる鐘の音を合図に、城塞都市の城門が開かれます。風呂屋では夜明けとともに客を呼び込む声が響きはじめ、入浴に訪れる客が現れはじめました。現代日本とは異なり、中世ヨーロッパでは入浴は身づくろいのために朝行うものでした。人々は風呂屋で垢すりや洗髪、散髪などを行います。当初は混浴が普通でしたが、風呂屋は時に売春場所となることがあり、しだいに男女別に入浴の日時をずらすなどの措置が取られるようになります。しかし風呂屋の商売は、梅毒やペストの流行もあって時代とともに廃れてしまいました。
さて1日の労働が始まる時間になると、フィレンツェなどでは鐘が鳴らされます。市場では都市の商人や行商人たちが声をあげて商品の売り込みを行い、農民が家畜や農作物を売りにやって来た姿もみられるでしょう。
時には外国から来た商人たちが「なんて臭い町だ」と大声で文句を言っている場面に遭遇するかもしれません。中世ヨーロッパの城塞都市では、人々はみなゴミや排泄物を通りや川に投げ捨てていたため、町全体にひどい臭いが漂っていることも珍しくなかったのです。
こうしたゴミや排泄物は、市議会に雇われた作業員が清掃する他、豚のエサになることもありました。当時は都市の中でも豚などの家畜が放し飼いにされていたのです。
市場や礼拝、市議会が始まる時などにはひっきりなしに鐘の音が鳴らされます。通りでは荷物を積んだ馬車がガタガタと大きな音を立てて行き交い、道端では物乞いが施しを求め叫ぶこともありました。広場などでは触れ役たちがベルを鳴らし、定期市や家の売り出し、結婚式の予定などを大声で知らせて回ります。
都市の住人には男性の独身者も少なくなかったため、食事は屋台で取ることが主流でした。広場にはタルトや揚げパイなどの屋台が並び、ここでも呼び込みの声がひっきりなしに聞こえます。
フィレンツェなどでは仕事終わりの時間にも鐘の音が鳴らされます。日暮れとともに城門が閉められ、夜には消灯の鐘も聞こえてくるでしょう。中にはパン屋兼飲み屋のような店で酒を飲み、日ごろの疲れを癒す者もいましたが、安全面から早めに帰宅することが推奨されていました。日が落ちて夜になると、泥棒たちが獲物を探して裏通りを徘徊するようになるからです。
寝床の準備を整えると、都市の住人たちは鎧戸を閉め、ドアにかんぬきをして眠りにつきます。これで城塞都市での典型的な1日も終わりです。城塞都市へのタイムスリップツアーはいかがでしたか?
◎関連記事
【特集】城塞都市って何? 都市構造から生活、問題、攻防戦まで解説
城塞都市を拡張せよ! ギリシャとローマの「人口問題」解決法
城塞都市の教会が力を持つようになった理由
続いて、城塞都市の教会についてご紹介しましょう。大聖堂は都市の中央に作られ、ぜいたくな装飾や豪華なステンドグラスで飾られます。司祭はラテン語で礼拝式を執り行いますが、その内容をつまらないと感じた者は少なくなかったようです。礼拝の最中でもおしゃべりをしたり、時にはケンカを始める者すらいました。
しかし、だからといって当時の人々が神を信じていなかったというわけではありません。中世ヨーロッパの人々は神をあつく信仰しており、赤ん坊が生まれると教会で洗礼を受けさせ、亡くなった者は教会の墓地に埋葬されました。
教会の役割は礼拝や洗礼などを行い人々の心の支えとなる以外にも、支配者たちに助言を行ったり、政府や貴族の手紙を代わりに書いたり、記録を取るなど多岐に渡ります。また修道院では、病人の看護や貧しい者への施し、旅人をもてなすことも行われていました。
これらの奉仕にかかる費用は王や貴族から与えられました。その他に教会は、商人からは売り上げの10分の1を、農民からは生産物の一部を税金として取り立てました。さらに貴族や裕福な商人たちは自分が死んだ後にミサを執り行ってもらうよう、司祭に多額の金を残しています。
その結果、教会は時代とともに裕福になり、権力を持つようになりました。金と権力は教会に腐敗をもたらし、枢機卿の間で権力争いも起きるようになります。
やがて人々は、ぜいたくと権力に溺れる教会を憎むようになった。1347年、イタリアのガエタの人々は法王の収税吏(税を徴収する者)を捕らえた。牢屋に入れ、取られた税金を奪い返したのであった。 『図解 城塞都市』p.94
◎関連記事
【特集】転生したくない! 中世ヨーロッパの農村・都市・城での生活
本書で紹介している明日使える知識
- なぜ日本には城塞都市がなかったのか?
- ビザンチン要塞が与えた影響
- 城塞都市の住民はふだん何を食べていた
- ロードス包囲戦
- 奴隷取引だけが目的の城塞都市「ゴレー島」
- etc...
ライターからひとこと
中世ヨーロッパの城塞都市というと、いかにもファンタジー風の素敵な建物が建ち並び、通りを馬車が闊歩していて、お城では王様やお姫様が優雅に暮らしていて……などという想像をしがちですが、実際には鐘の音や呼び込みの声が騒々しく、またゴミの臭いがひどい町が多かったといえそうです。がっかりしましたか? でも、リアルな城塞都市の姿も人間味があって私は大好きです。☆この記事の参考ページを読む
【タダ読み】城塞都市の過ごし方-『図解 城塞都市』