2月14日といえばバレンタインデー。チョコレートにまつわる甘酸っぱい思い出をお持ちの方も多いのではないでしょうか。ところで、バレンタインデーにはその由来となった聖人・聖バレンタインという人物がいたことはご存知ですか?
今回は『守護聖人』(真野隆也 著)を参考に、バレンタインデーの由来についてお話します。
目次
バレンタインデーの元になった聖人その①
バレンタインデーといえば、現代では恋人同士が愛を告白したカードやチョコレートなどを贈り合う日としてすっかり定着していますが、どうやらこの習慣は長い歴史の中でいくつもの伝承が混じり合い、成立したもののようです。そこでまずはバレンタインデーにまつわる数々の伝承の中から、「バレンタインデー」の名前の元となったローマのふたりの聖人についてご紹介しましょう。
まずひとりめは、3世紀のローマに暮らしていたキリスト教の司祭バレンタイン(ラテン語ではウァレンティウス)です。
ある日彼は時のローマ皇帝クラウディウス・ゴティクスに呼ばれ、「なぜキリスト教を信仰するのか」とローマの神々への改宗を迫られます。しかしウァレンティウスはこれを拒否し、自らのイエスへの信仰がゆるぎないものであることを表明しました。
その後、ウァレンティウスは総督ローマ(都長官)に身柄を預けられます。総督は彼にこんな依頼をしました。当時、総督には生まれつき目の見えない娘がいましたが、キリストの奇跡でこの娘に光を与えてくれたなら、ウァレンティウスの信仰を守ろうというのです。
ウァレンティウスは一心に祈りを捧げました。すると娘の視力は回復したではありませんか。ところがその後、何があったのかはっきりしませんが、最終的にローマ皇帝はウァレンティウスを斬首することを決めてしまいます。
こうしてウァレンティウスは280年頃、ローマ郊外にあるフラミーニオ街道沿いに埋葬されたといわれています。生前、彼がキリスト教から他の宗教へと転向することはついにありませんでした。転向しない、つまり”ころばなかった”ことから、死後ウァレンティウスは「ころび病(てんかん)」に効果のある聖人とされ、4世紀中頃には聖堂も建てられています。 これが、バレンタインデーの名前の由来となったひとりめの聖人にまつわる逸話です。
バレンタインデーの元になった聖人その②
バレンタイン(ウァレンティウス)の名の付くふたりめの聖人は、同じく3世紀にローマの北東にある都市テルニの司教だった人物です。ある雄弁家の息子のてんかんを治したことから、彼もまたてんかんに効果のある聖人とされました。270年に殉教するとテルニ郊外に埋葬されますが、このテルニという都市もローマから延びるフラミーニオ街道沿いにあります。
このように、ふたりの聖人バレンタイン(ウァレンティウス)にはいくつかの類似点がありました。やがてふたりの伝承は混同されるようになり、ひとりの聖人としてまとめられてしまいます。こうして聖バレンタインが誕生したのです。
聖バレンタインにまつわる伝承は他にも残されています。
3世紀のローマ帝国では、愛する人を故郷に残し戦争に行くと兵士の士気が下がるという理由で、兵士たちの結婚が禁止されていました。
今となってはどちらのウァレンティウスのことかはっきりしませんが、結婚できないことを悲しむ兵士たちを見たウァレンティウスは、彼らのために密かに結婚式を挙げさせはじめます。兵士たちは喜びました。しかし、やがてこの行いはローマ皇帝の耳に入ることとなり、彼は処刑されてしまったのです。
この処刑の日が2月14日だったことから、バレンタインデーも2月14日になったとされています。
バレンタインデーはローマのお祭りの日だった?!
最後に、2月14日にまつわる伝承をもうひとつご紹介しましょう。古代ローマには豊穣祈願を目的としたルペルカリアというお祭りがありました。ルペルカリア祭は古代ギリシアの牧神パン神に由来したお祭りで、パン神が好色だったことにちなみ、ローマの青年たちはくじ引きで当たった娘とお祭りを一緒に過ごし、一夜を共にしたといわれています。このお祭りの始まる日が2月14日だったというのです。
バレンタインデーはこうしたさまざまな伝承が混ざり合い、誕生しました。中世ヨーロッパでは、2月14日は意中の異性に愛の告白をした手紙を渡す日となり、やがて恋に悩む若者が聖バレンタインに祈りを捧げるようもなって、現代のバレンタインデーへと変化していくのです。
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