金粉や宝石の粉のかかった豆料理、イルカやメカジキを使った海鮮料理――高級で美味しそうな料理ですが、これらはいつの時代のものでしょう? 実は古代ローマで食べられていた料理なのです。
『図解 食の歴史』(高平鳴海 著)では、ヨーロッパを中心とした食事情の歴史について、文章と図解でわかりやすく解説しています。今回はその中から、古代ローマで流行っていたぜいたくな料理メニューをご紹介します。
目次
何度も発令されたが効果の薄かった「ぜいたく禁止法」
古代ローマ人は伝統的に質素を美徳としていましたが、繁栄が続く中でいつしかこの伝統は忘れ去られ、ぜいたくが横行するようになりました。こうした状況を重くみた政治家たちによって、度々「ぜいたく禁止法」が発令されています。主だったものが、紀元前161 年のファンニウス法から紀元前1 年のアウグストゥス法までの計6 回の法令である。生活の中のさまざまな事柄の規制だが、やはり食べ物に関する禁止事項が多かった。 『図解 食の歴史』p.96「ぜいたく禁止法」の中から、食べ物に関する部分を具体的にご紹介しましょう。
庶民向けのバール(軽食屋)で出されるメニューについて、麦粥だけにせよという法令が出されたことがあります。しかし、実際には多彩な料理が売られ続けました。屋台であればそれほど目立たず売ることができたためです。
また、富裕層に対して高価な食材の輸出入を禁止する法令が出されたこともあります。ところが富裕層たちはイルカやメカジキといった高価な海の食材を密かにr売買し続けたため、法令の効果はあまりありませんでした。
1日の食事にかかる費用が制限されたこともあった。例えばアウグストゥス法では「主要な祭日の料理に奴隷1 人分以上の金をかけてはいけない」とされていた。 『図解 食の歴史』p.96この「奴隷1人分」の金額は、現代の価値では自動車1台分程(200~300万円)の金額に相当します。このような禁令を出さなければならない程、当時は食事に金をかける者が少なくなかったのです。
「ぜいたく禁止法」は、このように様々な階層の者を対象として度々発令されましたが、いずれもたいした効果は無く、古代ローマの人々はぜいたくな生活を続けます。
加えて、為政者の中にもぜいたくな生活・料理を好む者がいました。2世紀前半に即位した少年皇帝へリオガバルスは、1回の食事で600羽ものダチョウの脳みそを提供したり、金粉や宝石の粉がかかった豆料理を客に振舞うなどしました。
へリオガバルスは即位後数年で暗殺されてしまいますが、こうした状況では、庶民が「ぜいたく禁止法」に従わないのも当然というものです。
客を驚かせたい! 趣向を凝らしたぜいたく料理
さらに、古代ローマの人々は単に豪華でぜいたくな料理を食べるだけでは飽き足らず、奇抜な盛り付けの「仕掛け料理」や、ひとつの食材を様々な食べ物の形に見せる「模造料理」といった特別な料理を考え出します。これらは主に、客を驚かせたり、味の研究や遊びのために作られました。ネロ皇帝に仕えたペトロニウスによる風刺小説『サテュリコン』には、翼を付けて天馬(ペガサス)に見立てたウサギ焼きや、胡椒ソースの中で泳ぐように飾られた煮魚、ソーセージを腸に見立てて詰め込んだ豚の丸焼きといった仕掛け料理が登場します。
また、プルーンにトゲを刺してウニを表現したり、豚肉をまるで鳥料理や魚料理のように仕立てるといった模造料理も紹介されています。
これらはあくまでも当時の小説の中の描写ですが、古代ローマ時代に実際にカエキリウスという男が作らせたという料理の記録も残されています。
それによると、ズッキーニを魚、キノコ、菓子、ソーセージといった形に刻んだり、動物の丸焼きに見える焼き型を用いるなどした模造料理を作らせたというのです。実際に同時代の遺跡からは焼き型も出土しています。
このように、古代ローマでは豪華な料理や珍味に加え、見た目を追及したり、見た目と味や食材とのギャップを楽しむ料理が多数考案されました。古代ローマの繁栄が続く中、ぜいたくな料理も長い間楽しまれ続けたのです。
本書で紹介している明日使える知識
- 古代セレブを熱狂させたワイン
- 花冠を被って恋のまじないに興じる男たち
- 古代ローマではワインに水とアスファルトを混ぜた
- 中世に24時間営業のファーストフード店
- etc...
ライターからひとこと
最近では「インスタ映え」などといって、見た目が美しかったり珍しかったりする料理をSNSに載せることが流行っていますが、客を驚かせるために考案された古代ローマの「仕掛け料理」や「模造料理」にもどこか似たものを感じます。もし古代ローマにSNSがあったら、きっと現代の私たちと同じように料理写真をたくさんアップしていたことでしょう。本書では今回ご紹介した料理もイラスト入りで解説されていますので、ぜひご覧になってみてください。