作者:ぬこげんさん
突如現れたエドガーの過去を知る赤毛の女剣士との邂逅に、心を揺らすニルファルと、自分を助けたくれた少女に心寄せる商人。これは中年騎士と石の魔術師の少女が織りなす、小さく、そして幸せな人間模様のお話。
【第1部】
1話 2話 3話 4話 番外編
【第2部】
1話 2話
第二話 赤髪剣士と黒真珠
サバデルの街がいくら大きいとは言え、数十頭のラクダを連れた商隊を、いくつも城壁の中に入れると言うわけにはいかない。
基本的には隊自体は城壁外の駐屯地に留め置かれ、商談を担当する一部の者達だけが中に入れるというのが通例だ。
「あっ、父様だ」
街の西にある駐屯地へと向かう商隊を追い抜き、門へと向かう馬車の上で、マルセロの肩越しに身を乗り出したニルファルが、衛兵と話す父親のウルグベクを指差す。
「何やらもめておられるようだ」
マルセロはそう言ってウルグベクの背後に馬車を止めると、エドガーとニルファルに降りろと身振りで合図した。
「ダメだ、通すわけにはいかん!」
「なぜです、割符もこの通り持っております」
「なんでもだ、三日後に出直せ」
二人が降りたのを確認して、マルセロが門へと馬車を寄せる。
「何をもめているんだい?」
「ああ、これはクレブラスの……」
そう言って衛兵がマルセロに一枚の羊皮紙を差し出した。
「ああ、なるほど……これは……」
小さく頷いてから、マルセロは羊皮紙を丸めて懐へしまいこんだ。
「いや、それは困ります」
「どうだろう、ここはクレブラス商会の顔に免じて通して貰えると嬉しいんだが、なに悪いようにはしないよ」
慌てる衛兵にそう言って、マルセロがニコリと笑ってみせる。
「しかし……」
「大丈夫、コーエン商会にも悪いようにはしないから」
マルセロの言葉に門を守っていた二人の衛兵が目配せすると、小さく頷いて通れとウルグベクと護衛の戦士を街に入れる。
「さあ、私達もいきましょうか」
「まったまった、クレブラスさん。そのお嬢さんはともかく、傭兵を街には入れられません」
エドガーを指差して衛兵が鼻を鳴らした。娘が巻き込まれているのを見て、ウルグベクも困った顔でこちらを振り返っている。
「そうは言っても、彼らは私の恩人だしねえ、どうだろう私の客ということで」
マルセロがそう言ってとりなすが、衛兵は頑として首を縦に振らない。一つ無理を飲まされたので、彼らにも面目があるといったところだろう。
ウルグベクと護衛の戦士が一緒なのだから、ニルファルは彼らにまかせて、自分は駐屯地で待っていてもと思うのだが、エドガーのブリガンダインの裾をしっかりと握ったニルファルが、それを許してくれそうもない。
「何をやっている!」
通す、通さないと、マルセロと衛兵が押し問答をしていると、城門横の詰所から凛とした女の声がした。全員の視線がそちらへと集まる。
「隊長、この者たちが中へ入れろと。いえ、一人はクレブラスさんのご子息なのですが」
スケイルメイルをジャラリと鳴らして、長身の女がこちらへと歩いてくる。ショートカットの燃えるような赤毛と、スラリと長い手足。
「それで、クレブラスの連れの者がどうし……」
つかつかと歩み寄りながら、エドガーの顔を見た女がそこで言葉を切って息をのんだ。
「エドガー?」
「ああ」
信じられないという顔をする女に、エドガーは小さく頷く。背後で子犬のようにエドガーの裾を引っ張るニルファルに、チラリと目をやってから赤毛の女が小さく息を吐いた。
「入れてやれ、騎士だった時代の友人だ、私が後見人になろう」
通れ、と片手を上げた女隊長が、ポンとエドガーの肩を叩く。
「隊商宿に泊まるなら、砂トカゲ亭にするといい、あとで訪ねる」
「わかった、ありがとう」
それだけ言って、エドガーはニルファルの手を引くと門の中へと足をすすめる。馬車に乗り直したマルセロが一行を乗せると、逃げるように街の中へと走り出した。
エドガーとニルファル、それにウルグベクと護衛の戦士の四人を乗せて、馬車は町の中心部にほど近い隊商宿へと向かう。
連合王国の隊商宿は、訪れた隊商と街の商人たちが商談できる場所を備えた、酒場兼宿屋だ。商人たちへの便宜もあるが、よそ者をそこに集めることで治安維持の役割も担っていた。
「いやあ、隊長さんと知り合いなら早く言ってくださいよ」
馬車の速度を落としたマルセルが、苦笑いしながらエドガーに話しかける。
「すまない、彼女がここに居るとは思わなかった……。ところでなぜ、この商業都市で隊商を門で止めるなんてことが?」
二週間に渡って貿易が止まっていた以上、商人たちにとって荷物の到着は喜ばしいことのはずだ。
「いろいろ面倒なしがらみがありましてね」
懐から先程の丸めた羊皮紙を取り出すと、マルセロがエドガーに差し出す。広げてみた所、書かれているのは商品の一覧のようだ。課税品があれば門の中に入れる時に税金を徴収する、その為のリストにすぎない。
「その中にある海塩は、東から来る岩塩よりも質が良く高く売れる。いつもならコーエン商会が西からもってくるのですが……わかるでしょう? あなた達がここ二週間で一番乗りだ、先に荷を捌かれては高く売れなくなってしまう」
「でも、だからって酷いです。私達が悪いわけじゃないのに」
膨れ面するニルファルに、金髪の青年が笑ってみせる。
「まあ、いずれにしろ、サラマンダーが倒されたことを誰かが知るまで、ここに海塩は届かないわけですからね、コーエン商会に仲介して差し上げます。高く売るといい。もちろん、仲介手数料は頂きますが」
街の中心部にほど近い広場に面した宿まで、馬車で送り届けてくれると、『砂トカゲ亭』の亭主に話をつけて、マルセロが手をふって去ってゆく。夕食前には使いをよこすと言っていたので、商談はその際にということだろう。
「いい人でしたね、マルセロさん」
「ああ……」
ニルファルの言葉に生返事をしながら、マルセロを見送りに出たエドガーは、砂トカゲをかたどった鉄製の看板を見上げた。三階建ての宿はこの街でも立派な部類に入るだろう。
「部屋は三階ですって、父様にお願いして窓際のベッドにしてもらおう」
無邪気にエドガーの手を引いて入り口へと向かうニルファルに連れられて、エドガーは両開きの大きな扉をくぐった。
「エドガーさん、お客さんですよ、さっきの隊長さん」
何はともあれひと段落と、鎧を脱ぎ荷解きをしていたエドガーは、ニルファルの声に振り返った。
「わかった、今行く、下で待っていてもらってくれ」
エドガーは財布を覗いて、中身が心許ない事にため息をつき、ベストのポケットに突っこんだ。部屋を出ると、当然だと言う顔で後をついてくるニルファルを、背後からウルグベクが呼び止める。
「ニルファル、邪魔をしちゃいかん」
「だって……」
上目遣いにこちらを見るニルファルにエドガーは小さく首を横に振る。
「わかった……」
寂しそうな顔でそういう少女を背に、エドガーは階下の酒場へと向かった。聞かれて困る話ではないが、聞いて楽しい話でもないだろう……。
「エドガー」
五十人ほど座れるだろうか、広い酒場の端で手を振る彼女のもとにエドガーは歩み寄る。
着替えてきたのだろう、髪色と同じ赤いドレスがよく似合っている。
「エメリア……」
「ほら、座って、エドガーよく無事で」
確かエドガーより八つほど歳下だったはずだ、エメリアの向かいに腰掛けて、屈託のない笑顔で笑う彼女をエドガーは複雑な気持ちで見つめた。
「エメリア、俺が戻ったときには、屋敷は……いや、街は焼け落ちた後だった」
ゴブレットに注がれたワインを見つめながら、エドガーは言葉を絞り出す。守るべき屋敷は焼け落ち、転がるのは黒焦げの死体ばかりという風景が脳裏に蘇る。伝令に行けという命令を無視して、あの場で戦うべきだったのではと今でも思う。
「市壁が破られた時点で私たちは奥様とお嬢様を連れて、抜け道から森に逃げ込んだわ。三日三晩逃げ回って生き残ったのはたったの五人」
ワインを一口飲んで、エメリアがそう言って肩をすくめた。
「そうか……」
生き残った使用人から辺境伯が殺され、息子たちが連れさられた事を聞いて、エドガーは増援の兵と共に後を追った。
「敵を追って行った兵は誰一人戻らなかったと、あとで……」
「ああ、罠だった……見事にしてやられたよ」
山間部に誘い込まれ、退路を絶たれた追跡隊は文字通り死を賭して戦った。戦いの最中、片手斧の一撃を胸に受け、崖下に転がり落ちたエドガーが助かったのは偶然の産物だ。
「俺は……」
ぐい、と錫のゴブレットを握りしめ、エドガーはうつむいた。
「エドガー」
ガタリと席をたつ音がして、エメリアが左隣にやってくる。うつむいたままのエドガーを胸に抱き寄せて言葉を継いだ。
「生きていてくれてよかった、本当に……」
生きていて……良かった……のか……? エメリアの温もりを感じながら、目頭が熱くなる。その時、右腕にチクリと痛みが走った。
「つっ」
慌てて顔を上げて右側を見ると、すねた顔のニルファルが目に入った。エドガーの右腕をもう一度つねってからニルファルは手を放す。
「マルセロさんにお食事に呼ばれたから、みんなで行ってきます! ごゆっくり!」
杖でドンと床をならして、少女が不機嫌な声でそう言うと、出口へ向かって小走りに懸けてゆく。
「あの子は?」
「ああ、色々あってな……」
入り口で振り返り、しかめ面で舌を出す少女を見てエメリアが笑う。
「悪いことしたかしら?」
「まあ……、あとが怖いな」
ニルファルの背を見送って、エドガーはエメリアのドレスの胸元で揺れる黒真珠を見つめた。騎士に叙任された祝いに送ったプレゼントだ。
「エメリア」
「なに?」
「生きていてくれてよかった」
「そうね、お互いに」
エメリアの笑顔に釣られて笑い、一口飲んだワインはひどく酸っぱい味がした。
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