ギリシャでもローマでも、夕食後の酒宴に参加できるのは男性だけでした。
ギリシャとローマの酒宴の違いや行われていた遊びなど、当時の酒宴の様子を、『図解 食の歴史』(高平鳴海 著)からご紹介いたします。
目次
どんちゃん騒ぎのギリシャと理性的なローマの酒宴
「コミッサーティオ」または「コンビビウム」とは、ギリシャからローマに伝わった、夕食の後の酒宴のことです。ギリシャでは「シュンポシオン」と呼ばれ、床が石造りになっている「アンドロン」という男性専用の部屋で開かれました。
本来は知的な会話をする場でしたが、ギリシャには「酒を飲んだ者には酒神が降りてくる」という信仰があり、派手に騒ぐこともよくあったといいます。
これに対してローマの酒宴は、建前にせよ、理性重視でした。
初期は奴隷が酒をついで回っていましたが、トリクリニウム(寝椅子)を使う時代になると、参加者が時計回りに酒杯を受け渡していくようになりました。この受け渡しも儀式の一環で、その間にこぼれるワインは神への捧げ物です。
参加者は酒を飲みつつ、神に捧げる歌を合唱しました。談話したり、謎かけを出し合ったり、哲学を語ったり詩を作ったりもしました。
知的で学のある者、ゲームが上手な者、詩や歌がうまい者はコミッサーティオの人気者で、身分に関わらず酒宴に招待されています。また、余興として曲芸師や奇術師、喜劇役者や楽士が呼ばれたり、剣闘士が本物の殺し合いを披露したりすることもあったそうです。
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酒宴のつまみは恋バナだった?
ギリシャ・ローマの酒宴の出席者は、神を讃えるための花冠をかぶることになっていました。花の香りは体によく、神の守護でさまざまな効果を得られると信じられていたためです。神ごとに捧げられる植物が決まっていましたが、後にローマにキリスト教が広まると、花冠の習慣は禁止されました。
花と同じく香りは健康によく、頭を冷静にすると考えられていたため、参加者が香水をつけたり、部屋に香が焚かれたりすることもありました。
酒宴では、陶器壷「アンフォラ」に入ったワインを長いスプーンで汲み、濾過器(ろかき)でこしてカップに注いで飲んでいました。
「トラゲマダ」と呼ばれる酒のつまみには、ソラマメやエジプトマメ、煎った麦粒、ドライフルーツ、果物、甘い菓子などがあり、庶民は生タマネギ、アーモンドなどを食べていたそうです。
酒宴ではチェッカー、バックギャモン、サイコロ遊びなども行われていましたが、金を賭けるのは下品とされ敬遠されました。
変わった遊びとして、恋を成就させるまじないがあった。出席者の中に恋をしている男がいた場合に行われる。人の輪の中に容器を置き、そこに各人が順にカップのワインを引っかける。容器にワインが入れば、恋は実るとされた。 『図解 食の歴史』p.74ここから発展して、水を張った容器に浮かべた皿にワインを引っかけて沈める遊びが流行りました。また棒の上で円盤を回し、ワインをかけて音を楽しむ遊びもあり、ゲームで負けた者は体力を使うペナルティを課せられました。
こうした遊びが多い中、グループの勢力や結束力を誇示するために徒党を組んで通りに繰り出し、騒ぎながら走り回ることもあったそうです。
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ライターからひとこと
花や香水の香りの中、酒を飲み、つまみを食べ、遊びに興じる。男性が花冠をかぶっていたのは驚きでしたが、この時代の人々が酒宴を楽しんでいた様子が伝わってきます。どんな恋の話が繰り広げられていたのか、想像してみるのも楽しいですね。