2~3世紀頃に流行した宗教運動に、グノーシス主義と呼ばれるものがあります。彼らは独特の宇宙観を持ち、後に錬金術の原理にもなったヘルメス主義にも影響を与えました。 『図解 魔術の歴史』(草野巧 著)では、錬金術や占星術、有名な魔術師や魔術書など、魔術に関する歴史について、幅広く解説しています。今回はその中から、グノーシス主義についてご紹介します。
目次
グノーシス主義者たちの独特な宇宙観
グノーシス主義は2~3世紀頃に東地中海地域で流行した宗教運動です。「グノーシス」とは「知恵」や「認識」を意味するギリシア語で、グノーシス主義はこの「知恵、認識」を獲得することで霊を解放することを目指した運動でした。
グノーシス主義者たちは反宇宙的二元論などと呼ばれる独特の宇宙観を持っています。
その考え方では、真の至高神からアイオーンと呼ばれる神々が生じたとされています。アイオーンの中の1人が堕落し、デミウルゴス(創造主)と呼ばれる悪神となりました。私たちの住む宇宙は、この悪神デミウルゴスによって創造され、配下の7人のアルコーン(支配者)たちによって支配されている牢獄だというのです。
そのためグノーシス主義では、宇宙に存在するものはすべて邪悪だと考えられています。人間の肉体や魂も例外ではありません。ただし、人間の肉体の中に閉じ込められている霊(神的性質)だけは真の至高神とつながる存在だとされていました。真の至高神が啓示する究極のグノーシス(知恵、認識)を得ることで、神的な霊は眠りから目覚め、人間の肉体や魂から解放されて宇宙の中を上昇し、真の至高神がいる光の領域に復帰できるのです。
こうしたグノーシス主義の考え方は初期のキリスト教を脅かし、キリスト教徒から異端とみなされました。
また、グノーシス主義は3世紀頃にエジプトで成立したヘルメス主義に影響を与えたともいわれています。ヘルメス主義は後のルネサンス時代に魔術・錬金術の原理にもなった考え方です。
西洋の錬金術では賢者の石を象徴するのにウロボロスの姿を用いる。ウロボロスは自分の尾をくわえて円形になっているヘビのことだが、このヘビはもともとグノーシス主義者が崇拝していたものだった。 『図解 魔術の歴史』p.28この他、グノーシス主義の流れはササン朝ペルシアで成立したマニ教にも影響を与えたとされるなど、世界のあちこちで大きな痕跡を残しました。
グノーシス主義の魔術師シモン・マグス
グノーシス主義についてお話する時に欠かせない人物として、シモン・マグスが挙げられます。そこで、ここからはグノーシス派の魔術師、シモン・マグスについてもご紹介しましょう。シモン・マグスは1世紀のサマリア人魔術師で、『新約聖書』の「使徒行伝」にも登場する人物です。グノーシス派に属していたとも、またグノーシス派の開祖だったともいわれています。 彼は病気を治したり死者を復活させたり、変身や空中飛行を行うといった数々の魔術を使う魔術師で、サマリアでは神として崇拝されていました。
シモンはある時、使徒フィリポから洗礼を受け、キリスト教に入信します。ところが使徒ペテロとヨハネが宣教を行った際に、金で聖霊の力を買おうとしたため、追放されてしまいました。これ以来、聖職売買のことを彼の名前にちなんでシモニアと呼ぶようになったといわれています。
本書では、13世紀にヤコブス・デ・ウォラギネによって書かれた『黄金伝説』の中から、シモンがローマのネロ皇帝を幻惑魔法で欺いた話を紹介しています。
シモンはある時ネロ皇帝に、「わたしが神の子であることを証明するために、部下に命じてわたしの首をはねてください」と直訴します。そうすれば、なんと3日後に復活してみせるというのです。
そこで、皇帝は刑吏にシモンの首をはねるように命じたが、刑吏がシモンの首だと思って打ち落としたのは実は牡羊の首だった。そして3日後、シモンが生きた無傷の姿で現われたので、ネロ皇帝はびっくりし、本当に彼は神の子だと信じた。 『図解 魔術の歴史』p.30ところがそこに使徒ペテロが現れ、シモンの復活は幻惑魔法によるものだと暴かれてしまいました。
シモンとペテロが登場するエピソードは他にもあります。 ある時シモンは自らの力を自慢しようと、魔術を使って空を飛び回ってみせました。しかしペテロが神に祈ると、シモンの術は破られ、地面に墜落してしまいます。この時に骨折したことが原因で、シモンは亡くなってしまったということです。
これらのエピソードからもわかるように、キリスト教はシモンを教会の敵だと考え、異端であるとして糾弾していました。
さらに4世紀になると、シモンはグノーシス主義者ではなく単なる魔術師であるとされ、すべての異教徒の父であると考えられるようになります。彼の魔術は悪魔に由来するものだと見なされるようになったのです。
また、シモンはファウスト伝説に登場する錬金術師ファウストの原型になったと考える人もいます。
グノーシス主義も、一派のひとりとされたシモンもキリスト教徒からは異端とみなされ糾弾されましたが、言い換えればそれだけ大きな力を持つ存在だったとも考えられるのではないでしょうか。
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ライターからひとこと
この世界が神によって創造されたものだとする神話はよくありますが、創造主が悪神だとするグノーシス主義の考え方は、他にはあまりないものではないでしょうか。こうした考え方を知ることは、小説などの創作物の世界観をデザインする時にも役立ちそうです。本書では、西洋魔術の源流にもなった考え方を他にも色々と紹介していますので、ぜひ参考にしてみてください。