第5回:妖精伝承とかケルトとか古代史とか
目次
前説
ヤマザキコレ先生のファンタジーコミック『魔法使いの嫁』がアニメ化されることとなり、色々ご縁があって公式副読本『Supplement Ⅰ』の構成執筆をさせていただいた(西上柾氏との共著)。
見える力を持つがゆえに苦悩する少女・羽鳥智世は、はるかロンドンの地で、人外の魔法使いエリアス・エインズワースと出会うことで、新しい世界に踏み込んでいくというロマンチックな現代ファンタジーの傑作である。10月からTVアニメが放映されることになるので、ぜひ、ご覧いただきたい。
偶然とはいえ、大好きな作品の関連出版物に参加させていただくことができ、光栄の至りである。特に今回は、がっつり論考を、とのことだったので、海外の文学や史書の研究でしばしば行われる『The Annoted(詳註版)』の形式となった。日本の文学でも古典文学などの研究書に多い形式、つまり、全ページに注釈をつける形式で、Ⅰでは第1篇から第14篇までを詳しく解説させてもらった。同作はケルト妖精譚の影響を受けつつ、オリジナルのファンタジーものであるので、ケルト妖精物語やシェークスピアを復習することになった。ケルト妖精譚に関しては、井村君江先生の『妖精学大全』が非常に便利であるが、絶版状態で入手困難である。ぜひ、復刊してほしい。
その他、松村一男の監訳で、キャロル・ローズの『世界の妖精・妖怪事典』などが妖精学の事典が翻訳されているので、ありがたいが、まだまだ、原典資料が日本語化されておらず、調べ始めるときりがない。
ケルト神話入門には、池上良太『図解ケルト神話』および池上正太『ケルト神話』が詳しいが、もう少し柔らかく、イラスト付きでという場合には、TEAS事務所の『萌える! ケルト神話の女神事典』がオススメ。巻末の解説はかなりガチです。私(朱鷺田)も一部の女神の紹介文でお手伝いさせていただいております。
ケルトという言葉の難しさ
さて、ここで、ケルト(Celt)という言葉が出たが、この言葉に関して言えば、近年、非常に使い方が難しくなっている。
なぜかと言うと、歴史的に曖昧な使い方をされて来たため、いくつかの異なる意味がそこにあり、また、ヨーロッパの基盤文化として、多くの思いがそこに込められるようになってしまったからだ。加えて、考古学や人類学の研究の成果により、ケルトの定義が変わっていったからである。
まず、大きく分けて、ケルトにはいくつも意味がある。
ケルト人:ヨーロッパ古代史において、キリスト教到来以前の基盤文化を担った人々の総称。ギリシア時代とローマ時代の歴史資料に登場し、カエサルの『ガリア戦記』などで有名だが、特定の民族ではなく、ケルト語系印欧語を話し、西欧・中欧地域に居住し、移動を繰り返した諸民族すべてを含む。時代的に、ヨーロッパの鉄器時代にあたり、19世紀半ばに発見されたハルシュタット文化、ラ・テーヌ文化と密接に関わるが、必ずしもイコールではない。統一した政体はなく、ローマ帝国に征服されたり、ゲルマン民族の大移動に飲み込まれたりしつつ、同化して消えていった民族が多い。文化の残存性の説明などから、大陸ケルト、島嶼ケルトという分類もあるが、遺伝子的な根拠はなく、不適切な分類であるという意見もある。
ケルト語:印欧語の一系統。ゲルマン語系に似ているが、明らかに異なるため、独立している。ランベールの学説では、大陸ケルト語のゴラセッカ語(レポント語)、ケルト・イベリア語と、島嶼ケルト語のガリア・ブリトン語、ゲール語(ゴイデル語)に分かれ、前者の大陸ケルト語は紀元前に使用されたものの、その後、話者がローマ帝国に同化して失われたと考えられる。ガリア・ブリトン語はイギリスの一部とフランスのブルターニュ地方に残るブレイス語などで、英語(English、ゲルマン語のひとつ)とは関係ない。いわゆるケルト語として注目されがちなゲール語は、アイルランドで話されるエール語、マン島のマン語、アルバ語(スコットランド・ゲール語)に分れる。古代には文字を持たず、ラテン語などの文字を借りていたが、島嶼ケルトではオガム文字が開発されている(ラテン語文字の略体化という説もあり)。なお、既存の学説では発音のしかたから、Pケルト語(アイルランド、スコットランド、マン島)とQケルト語(ウェールズ、コーンウォール、ブルターニュ)に分ける分類がある。
ケルト神話:主に、アイルランド(古名はヒルベニア、エール)、スコットランド(アルバ)、ウェールズ(ワリア)、ブリタニア、コーンウォール、ブルターニュを中心に残存した神話伝承群の総称。大きく分けて、アイルランド神話、ウェールズ神話、コーンウォールとブルターニュの神話に分かれる。
アイルランド神話は時代と典拠ごとに三つの時代に分かれ、『来寇の書』で描かれるアイルランド先史時代からトゥアハ・デ・ダナーン(ダーナ神族)の時代、キリスト教到来まで物語と、クー・フーリン、メイブなどが登場するアルスターの神話、赤枝騎士団に関する物語で騎士フィン・マックール、ディムロッド、シオーンなどが登場するフィオナ神話が含まれる。
ウェールズ神話は『マギノビオン(マギノビ4枝)』に収められた歴史物語を総称するもので、この中にはアーサー王物語の原典となるアルスル王宮廷を舞台にした三つのロマンス物語が含まれており、これがヨーロッパ中に広がり、後に、騎士道物語としてまとめ直されたのが『アーサー王物語』なのである。
コーンウォールとブルターニュの神話には、アーサー王につながる神話が含まれている他、海に沈んだイスの都の伝説などが含まれる。原聖『ケルトの水脈』では、冒頭、ブルターニュに残るケルトの信仰を詳述しているので、参考になるだろう。『萌える! ケルト神話の女神事典』では、これに、大陸ケルトが信仰していたと思われるヨーロッパ固有の女神をピックアップしており、注目に値する。
後に支配的となったキリスト教やギリシア=ローマ神話との習合が多々見られるのも特徴と言える。
ケルト妖精譚:アイルランドからブリテン島周辺に残る、妖精の神話伝承の総称。キリスト教文化圏でありながら、身近に不思議な魔法的な存在を感じ、それらと共生していく姿勢がある。
民間の神話伝承にとどまらず、スペンサーの『妖精の女王』のような叙事詩、あるいは、シェークスピアの『夏の夜の夢』のような演劇で何度も取り上げられ、近代のケルト文芸運動とつながり、イエイツの『ケルトの薄明』を経て、その流れは現代ファンタジーまでつながっている。一応、妖精のオリジンはトゥアハ・デ・ダナーンの神話につながるとされるが、ケルト神話全体から影響を受けつつも、神話とはまた別の物語である。
ケルト・ルネッサンス:近代になって、ヨーロッパの基盤文化であるケルトを再評価する流れが登場する。これは19世紀に発見されたハルシュタット、ラ・テーヌでケルト文化の遺物が多数発見され、単なる野蛮人という評価を打ち壊したからである。
特に、アイルランドでは、ケルトを国家のアイデンティティとして研究再評価し、ゲール語を復活させた他、ケルト語による文芸活動を推奨している。ケルトと言えば、アイルランド神話を思いつくのは、この運動の影響である。
この流れはロマン主義文学の潮流、アイルランド民族運動などとあいまってやや幻想的な要素が強く、史実を歪めることもあり、学術的な混乱をきたす原因ともなっているが、その反面、ケルト妖精譚を広め、世界各地のファンタジー創作者に刺激を与えることになった。
このあたりを詳しく学びたいための本としては、以下をご参照いただきたい。
だから面白い古代史
かくして、ケルト問題に関しては、色々大変なのであるが、同時、まだまだ未定義の事柄が多く、毎年のように、新たな発見があって面白い。
例えば、いわゆるケルトの祭祀であるドルイドの存在についても、近年、新しい学説が出てきて、いわゆる森の賢者的な存在ではなく、ギリシアのピュタゴラス教団の影響を受けた秘儀伝承型の教団ではないかという説が登場している。そこでは、森で生贄を捧げる野蛮な原始宗教ではなく、ギリシアの哲学や自然科学を踏まえて、秘密の知識を口伝で伝える近代の魔術結社めいた姿すら浮かんでくる。
2002年に刊行した拙著『ブルーローズ』では、これらを踏まえ、中欧と西欧を合わせて、ケルト・ヨーロッパと分類させていただいている。非地中海、非北欧、非ロシアの古代文化がたしかにそこに息づいていた訳で、なかなか面白いものである。
ワールドクリエーターのためのファンタジーブックガイドシリーズ
第1回:『ディプロマシー』と『幼女戦記』で学ぶ地政学
第2回:地形から始まる古代史展望 ~『アースダイバー』から『ブラタモリ』へ~
第3回:明治維新を人材面から読む:榎本武揚と飯田橋の牧場
第4回:戦国日本へたどり着いた宣教者イエズス会
第1回:『ディプロマシー』と『幼女戦記』で学ぶ地政学
第2回:地形から始まる古代史展望 ~『アースダイバー』から『ブラタモリ』へ~
第3回:明治維新を人材面から読む:榎本武揚と飯田橋の牧場
第4回:戦国日本へたどり着いた宣教者イエズス会
第5回:妖精伝承とかケルトとか古代史とか