そんなおり、突如として現れたサラマンダーのせいで通商路が封鎖され街から出られない状況で暗い過去から目を背けるために酒に溺れるエドガーだったが、ひょんな事から一人の少女を助けることになる。
『ニルファル』と名乗った少女は魔力を通して石を砕くことで石の持つ力を引き出すことができる『石の魔術師』だった。そんな少女『ニルファル』と共にサラマンダーを退治する事になったエドガーだったが……。
これは酔っぱらいの中年騎士と石の魔術師の少女が織りなす、小さな、だが確かな冒険譚。
番外編「星空と火打ち石」
「何をやってるんだニルファル」
サラマンダーを倒してから三日目の夜、荷物の入った木箱を机代わりに石綿布を切りそろえていたニルファルは、背後から声をかけられ振り返った。
「もう! ちゃんと寝てないとだめじゃないですか!」
そこにエドガーの姿を見つけてニルファルは思わず声をあげる。爆発で左の鎖骨と肋骨をやられた彼が、昨晩まで熱をだしてうなされていたのはよく知っていた。
「そいつは?」
心配して何度も様子を見に行ったニルファルの気も知らず、呑気に隣に腰掛けるとエドガーが手元をのぞきこむ。
「エドガーさんのマントです。破れちゃってもう使えないけど、きれいな所だけ切り分けたら端切れとして売れるんじゃないかと思って」
ニルファルの言葉に、エドガーが地面に落ちていた手のひらほどの石綿布の切れ端をつまみ上げ、片方の眉をひょいと上げて言う。
「そいつはいい考えだ。この小さいのは細切れにしてランプの芯にでもすればいい」
「でしょう! でも……全部売れてもエドガーさんの鎧は買い戻せないですけど……」
今、ニルファルが小さな布束に切りそろえている石綿布は、元はエドガーのマントだったものだ。それはニルファルの兄を含め、四人の戦士を焼き殺したサラマンダーの炎を防ぎ切り、二人に勝利をもたらした。
「気にするな、俺が選んだことだ」
落ち着いた声がして、大きな手がニルファルの頭に置かれる。
「でも……」
部族の長である父はサラマンダー退治の報酬として、全額前金でエドガーに金貨三十二枚を支払った。だが彼はその金貨を全て使い、その上で足りない分は自分の鎧を売ってまで石綿布のマントを買い求めた。流浪の生活を続ける隊商で育った自分にだって、騎士が鎧を売ることの意味くらいはわかっているつもりだ。
「なあ、ニルファル」
「はい……」
言葉に詰まってうつむいた頭を、大きな手がワシャワシャとかき混ぜる。
「ちょ、ちょっとやめてください、もう!」
ほどいていた長い髪をかき混ぜられ、ニルファルは慌てて頭を抑えた。カラカラと笑いながら、上背のある身体を屈めエドガーの瞳がニルファルを覗き込む。
「鎧は何のためにあると思う?」
「それは、その……身を……守るためです……よね?」
クシャクシャにされた髪を手ぐしで整えながら、ニルファルは少しこけた頬に無精髭を生やしたエドガーを遠慮がちに見上げた。
「そうだ、あの鎧は戦場で何度も俺の命を救ってくれた」
「だから……だから……」
いまでは小さな布束に姿を変えてしまった凹みだらけのチェストプレートをニルファルは思い出す。サラマンダーの戦いで自分を守ってくれたカイトシールドと共に、その傷一つ一つに物語があり、エドガーにとっては大切な物だったはずだとニルファルは思う。
「そして、今度もちゃんと俺を守ってくれた、形は違うかもしれないがな」
「守って……?」
ニルファルの問いに、右手に持った石綿布の切れ端をヒラヒラさせてエドガーが笑う。
「そうだろう? 俺はこうして生きてる。もしもケチって鎧を売ってなければ、俺達は今頃ヤツの腹の中だ」
笑う彼を見ながらニルファルはかぶりを振った。それはそうに違いない、でもそんなのは優しい嘘だ……。亡くなった兄や、自分の代わりに戦いに赴き果てた兄の婚約者、そんな彼らの最期を教えてくれない父のように、大人たちはいつだって優しい嘘をつく……。 そう思ってニルファルは小さくため息を付いた。
「それにな」
「それに……?」
そう言ってエドガーが月を見上げて微笑む。初めて路地裏で出会ったときとは何かが違う、彼の吹っきれた表情をニルファルは不思議な気持ちで見つめる。
「俺は鎧を失くしたが、もっと大事なものを取り戻した」
ごろり、と砂の上に大の字に寝転がってエドガーが夜空を見つめる。釣られて見上げた空には満天の星空と半月が輝いていた。
「大事な……ですか?」
「ああ、そうだ」
焚き火の光が彼のやつれた頬を照らし出す。こうして見ると彼は実際よりずっと老けて見える。
「レターケニー辺境伯国、聞いたことはあるか?」
静かにそう言ってエドガーが目を閉じた。
「いえ……そこがエドガーさんの故郷なのですか?」
「ああ、故郷だった。だな、今は北の蛮族共の国になっちまった」
ザワリと冷たい夜風が吹きぬけ、虫の音がピタリと止まる。小さくため息をついてから目を開き、中天の月を見上げてエドガーは言葉を続ける。
「あの戦いで、俺は何も守れなかった。辺境伯の命令通り、援軍を引き連れて戻ったときには何もかもが終わっていた。絶望したよ……守るべきもの全てが焼き尽くされた光景に」
吐き出された言葉と、眉間に刻まれた皺が彼の生きてきた辛い時間そのものに見えて、ニルファルは押し黙る。
「それから三年は酒を呑むために生きているようなもんだった、路地裏でお前に会うまではな」
一週間ほど前、路地裏でチンピラに絡まれていた自分を助けてくれたのは、彼の気まぐれだったのかも知れない。それでも、あの時の彼の表情を忘れることは無いだろう。見ず知らずの他人ために、あれほど真摯に怒れるような強さは自分には無いとニルファルは思う。
「どうして私を助けてくれたんですか?」
「さあな、忘れた」
「いじわるです」
片目をつぶってとぼけるエドガーに頬を膨らませて抗議する。ニヤリと笑う彼の右腕の中にコロリと転がって、ニルファルも空を見上げた。
「髪に砂がつくぞ」
「梳けばいいんです、本当は切ってしまったほうが楽なんですけど」
「綺麗なのにもったいない」
その言葉に、エドガーの顔を見ようと横目でチラリと左をみた自分の視線と、こちらを見る彼の視線がぶつかり、なんだかくすぐったくなってクスリと笑う。
「それで、エドガーさんは何を取り戻したんですか?」
そう言いながら、ころりと向きを変えてニルファルはエドガーの鳶色の瞳を覗き込んだ。
「そうだな、誰かとメシを食い、星を眺め、笑い合う。普通の生活さ」
「普通の生活……ですか?」
「そうだ。俺が守りたかったのは、そういう普通の生活だったんだ。仕えるべき主の、守るべき村人のな」
エドガーが真っ直ぐにこちらを見つめて、真剣な顔でそう言う。守るべき普通の生活……亡き兄たちが守ろうとしたのと同じ、自分たちの日常。
「みんな一緒なんですね。兄様も、お父様も、エドガーさんも」
「ああ、そうだな」
言いながら、エドガーがニルファルを右腕に抱えたまま体を起こした。
「イテテ、さあ子供は寝る時間だ」
「病人もです」
一本取られたという顔をしてエドガーが笑う。
「エドガーさん」
「ん?」
「一緒に来てくれますよね? 私達と」
断られたらどうしよう……思い切って言ったニルファルの頭に、大きな手が今度は優しく置かれた。
「ああ、そうだな。生憎と一文無しだ、しばらく居候させてもらうさ」
その言葉に愁眉を開いたニルファルに、肩をすくめてエドガーが立ち上がろうとする。
「まってください、これ」
そんな彼に、ニルファルは腰の袋から小さな石を引っ張り出し押して付けた。
「お守りです、首から下げておいてください。魔除けです」
「そうか、大事にするよ」
ニルファルに言われたとおり革紐を首から下げると、手を振って去ってゆくエドガーの後ろ姿をニルファルはじっと見つめた。
それに込められた意味を知ったら、彼はどんな顔をするだろうか……。革ひもを通した火打石の矢じりを首にかけ、去ってゆくエドガーの背を見ながらニルファルは小さく微笑んだ。
(つづく)