巨大な石で造られた数々の遺跡。
いつ誰がどうやって作り あげたのか、その背景は……と興味は尽きません。
かつて地球上にあった、今とは全く違う世界――古代文明を様々な角度から解説した『超古代文明』(朱鷺田祐介 著)から、ヨーロッパに遺る巨石文明をご紹介しましょう。
目次
ヨーロッパ各地に広がる巨石文明
現在知られる西欧最古の巨石建造物があるのは、北フランスのバルヌネです。紀元前4500年に創建された石塚で、この建造物に関わった民族の遺骨を調べると、紀元前5000年にまでさかのぼるとされています。バルヌネの石塚は異なる時代の建造物が複合した共同墳墓で、巨石墳墓に移行する過渡期の建造物として、重要視されています。
現在も使用できる建物では、アイルランドにある「ニューグレンジ遺跡」が最古のものとなるでしょう。旧来は墓地とされてきましたが、近年、信仰の場所または天文観測施設と考えられるようになりました。
紀元前4000年紀にさかのぼると、ア イルランド北部とスコットランド対岸のグラスゴー一帯、北仏ブルターニュ先端部から南岸のモルビアン、ノルマンディー地方、ロアーヌ地方で巨石遺構が見られます。北欧にもかかりますが、ドイツのメクレンブルク海沿岸からデンマークにかけての一円、南欧では、ポルトガル西岸の南部、スペインのシェラ・ネバダ山脈一帯があげられます。
これらの地域は、そのほとんどが沿岸部に位置していますが、紀元前3500年頃から紀元前3000年頃にかけて建造が活発化すると、巨石文化圏は内陸部にも拡大していきました。
さらに紀元前2000年頃には、同系文化の遺構がイタリアを除く西欧、南欧地域の各地にみられるようになりました。
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多くの伝説を持つカルナック遺跡
「カルナック遺跡」は、フランスを代表する巨石遺構の集合体です。かつては1000を越える巨石が並べられていた遺跡地帯で、一説には4000基があったともいわれています。
北フランスのブルターニュ半島南岸、カルナック町近辺の平地には、3kmにも渡って千数百のメンヒル(巨石記念物)が列をなして並んでいました。列石以外にも、ストーン・サークルが半分だけ作られたような、ゆがんだ半楕円に配列されたメンヒル群、卓石、墳墓など、世界各地で見られるさまざまなタイプの巨石建造物がそろったような、特異な遺跡です。
この遺跡には多くの伝説があります。
巨石が水浴びをするために、海まで移動するというもの。また、ガリアに遠征したカエサルの兵士が石になってしまったとも、布教に訪れた聖職者が追いかけられ、海に落ちそうになったときに、追っ手が石になったともいわれます。
あるいは、巨石はギリシア神話の大蛇ピュトンをかたどって並べられた、といったものから、カエサルが兵士たちに列石を建てさせ、風で宿営用テントが飛ばないようにした、などの話もあります。
解明が進んでもロマンをかきたてる、ストーン・ヘンジ
イギリス南部、ソールズベリー平原にある「ストーン・ヘンジ」は世界的にも有名で、ご存知のかたも多いでしょう。測定によれば、建造は紀元前2000年頃。30t前後の粗削りな直方体巨石が20基ほど、二重の同心円状に並んでいます。巨石のいくつかには、間に直方体の石が横に渡されています。
周辺の考古学調査では、装飾用短刀や金の装身具を含んだ、ストーン・サークルの建造と同時期の青銅器時代の遺物が一帯から多数発掘されています。
17世紀には、ストーン・ヘンジで人骨が発見された記録が残っています。当時の教会は、遺骨発掘を冒涜行為として許可しなかったようですが、後にこの記録から巨石建造物がドルイドの生け贄儀式に用いられたという説もでました。
多くのストーン・サークルはドルイドの神殿伝説、巨人建造伝説を持っています。ストーン・ヘンジも同様ですが、魔術師マーリンが建造したという伝説もあります。他にも、妖精王と女王が妖精たちの演じる劇を観る劇場だとする伝説もあり、シェークスピアの『真夏の世の夢』はこの伝説を下敷きにしているといわれます。
現在ではケルト人創建説などは否定され、石器人が建造したとされていますが、多くの人々がストーン・ヘンジ建造の謎に考えを巡らせてきたことが、これらの伝説に表れているのではないでしょうか。
ストーン・ヘンジに関する主流の意見は、夏至の日に地平線から昇る太陽の位置を確認し、暦を運用したというものです。天文学者のジェラルド・ホーキンスは、構造配置が紀元前1500年頃の太陽と月の運行に関連しているとし、この説をもってストーン・ヘンジの謎は解かれたと、しています。
それにもかかわらず、オカルティストたちは今もストーン・ヘンジの魔力を信じており、一時、復活したドルイド教団がこの場所で儀式を行っていました。儀式は英国政府によって禁止されましたが、ストーン・ヘンジからは魔力を信じさせるような何かが感じられるのかもしれません。
北欧の巨石文明はいまだ謎に包まれたまま
巨石文明は北欧にも広がっています。スカンジナヴィア半島北部西海岸には、北極圏も含めた広域の岸壁や岩に、紀元前2000年以前の石器時代からの壁画が遺されています。神の足跡など独特のモチーフを含んでいますが、壁画を遺した民族の起源はわかっていません。
紀元前2500~紀元前2000年頃、北欧地域でも巨石墓の建造が始まりました。
この文化は大陸北西沿岸部に広がっており、イギリス南部のストーン・ヘンジなどを築いた広域文化であるといわれています。
北欧の巨石墳墓は、部族連合の間で主導的だった氏族の者たちだけが埋葬されたと推定されています。巨石文化を築いた人々については、あまりわかっていません。
スカンジナヴィア半島の沼沢地帯は、さまざまな時代の遺物の宝庫です。ここから巨石文明の解明をしたいところですが、古代北欧に特徴的な祭祀のひとつに、牧畜の繁殖と大地の豊穣を祈願して、沼沢地帯へ供儀物を投入するものがありました。この儀式は青銅時代にはますます盛んになり、多くの生け贄も投じられました。
その結果、供儀に供された遺物と一時的に埋蔵された宝物、人身御供儀式に供された奴隷と処刑された罪人などの区別をつけるのが、専門家でも困難な作業になっているのです。
本書で紹介している明日使える知識
- 古代のはずみ車
- イス伝説
- マヤ・アステカ
- インカ帝国
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ライターからひとこと
巨石によって築かれた建造物。 創建に関わった人もその背景も遠い過去の中。巨石のみがそびえ立つ。だからこそ巨石文明は、失われた歴史へのロマンをかきたてるのでしょう。かつてそこに生きた人々の印を大地に突き立て、静かにたたずんでいる巨石に心惹かれてやみません。