ゲームやTRPGなどさまざまな創作物に登場する職業・吟遊詩人。彼らは中世ヨーロッパに実在した職業でした。しかし名前は有名でも、彼らの奏でた音楽がどんなものだったのかはあまり知られていないのではないでしょうか。
『図解 中世の生活』(池上正太 著)は、中世ヨーロッパの芸術、文化、職業や生活制度などについて幅広く丁寧に解説しています。今回はその中から中世の音楽に注目し、世俗音楽を中心に解説してまいります。吟遊詩人や楽士、詩人たちが作り上げた、貴族や庶民に人気の音楽とはどのようなものだったのでしょうか。
目次
中世の世俗音楽①放浪の吟遊詩人
民間の音楽は、旅の吟遊詩人や楽士によって作られている。彼らは求めに応じて恋物語や舞曲などの音楽を奏でた。 『図解 中世の生活』p.40中世初期にはすでに、ヨーロッパのあちこちで吟遊詩人と呼ばれる人々が活動していました。フランスでは彼ら吟遊詩人はジョングルールと呼ばれていました。ジョングルールは各地を放浪しながら民衆の求めに応じて、恋物語や、各地で実際に起きた事件を題材とする物語などを奏でていました。音楽を奏でて歌うだけでなく、大道芸や手品のようなものも披露していたとされます。現代でも、ジョングルールは大道芸人を意味する言葉としてフランス語の中に残っています。やがて彼らの中から貴族の従者となる者が現れ、ミンストレルと呼ばれるようになりました。
このように、彼らの呼び名については文献などに記録が残っていますが、その実態について分かっていることは多くありません。彼らは自分たちの楽曲や歌詞について秘密にしていました。その演奏は即興で行われることが多く、また、楽譜を書ける聖職者たちは彼らの音楽を低俗なものと蔑んでいました。そのためあまり楽譜が残っておらず、彼らの音楽を再現することは難しいのです。
中世の世俗音楽②貴族出身の詩人
11世紀に入ると、フランスやドイツを中心に貴族出身の詩人たちによる歌曲が流行り始める。彼らの歌は騎士道や愛、道徳をテーマしていた。 『図解 中世の生活』p.40ジョングルールなどの吟遊詩人の活躍と並行して、貴族や騎士階級出身の詩人が現れました。
南フランスでは彼らはトルバドゥールと呼ばれ、主に恋愛にまつわる歌を残しました。一方、北フランスではトルヴェールと呼ばれ、南フランスの詩人たちの作品よりも陽気な作風の詩を多く残したといいます。
ドイツではミンネゼンガーと呼ばれ、重々しい作風で知られていました。彼らの作る詩は楽士たちによって、リュートなどの弦楽器の音色とともに歌われました。当時は十字軍が遠征を繰り返していた時代のため、十字軍の物語や、騎士道にまつわる歌も好んで作られました。
詩人や楽士たちのうち何人かは、現代まで名前や代表作が伝わっています。彼らの作品には明るい曲もあれば暗い曲調のものもあり、長調や単調といった西洋音楽の基礎につながる特徴を見出すことができます。
中世の世俗音楽③吟遊詩人の没落と教会音楽
13世紀に入ると、騎士階級の没落とともに、貴族・騎士出身だった詩人たちも力を失っていきました。 同時に宮廷音楽が発達し、貴族階級では、音楽は宮廷専属の楽士や作曲家たちが作るようになります。ジョングルールのような市井の吟遊詩人たちも徐々に姿を消していきました。しかし、14世紀ドイツでマイスタージンガーという称号制度が作られ、商人や職人たちが歌を競い合うなど、音楽は形を変えて受け継がれていったのです。
技術的な発展は、教皇グレゴリウス1世(在位590-604)が天の音楽を書きとめたとされるグレゴリオ聖歌から始まった。 『図解 中世の生活』p.40宮廷音楽の発展には、教会の聖歌音楽の発展が大きな役割を果たしました。グレゴリオ聖歌と呼ばれるこの教会音楽は、当初はハーモニーのない単旋律でしたが、9世紀以降、大きく分けて2つの新しい手法が生み出されます。
ひとつは、元となる旋律に歌詞や新たな旋律を加えるトロープスや、それを発展させたセクエンツィアという技法です。これらの新しい技法はやがて宗教演劇と結びつき、典礼劇へと発展していきました。典礼劇ははじめ教会で上演されましたが、やがて町の広場でも演じられるようになり、今日のオペラの遠い祖先になったと言われています。
もうひとつは、オルガヌムと呼ばれる多声音楽の技法です。この新しい技法によって、歌詞を異なる音程で重ねて歌うハーモニーが誕生しました。
こうした当時の音楽は、ネウマという記譜法で楽譜に残されています。ネウマは後に改良され、今日の楽譜の書き方へとつながりました。
このように、教会音楽と世俗音楽の発展は、長調や短調といった西洋音楽の基礎や、多声音楽の誕生、記譜法の発達など、現代の西洋音楽につながるさまざまな進化をもたらしました。中世ヨーロッパの人々が楽しんでいた音楽は、遠く私たちの音楽にも受け継がれているのです。
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ライターからひとこと
騎士階級の詩人たちが作った音楽のいくつかは楽譜に書きとめられ、現代でも当時を再現した演奏を聴くことができます。彼らの残した愛や騎士道の歌を聴きながら当時に思いを馳せるのも、ロマンチックで素敵ですね。本書ではこの他にも、絵画や建築技法などの中世の芸術の歴史も紹介しています。創作物の設定を考える時、こうした中世の生活にまつわる知識は、キャラクターや世界観に深みを与えてくれるのではないでしょうか。