「自分の思い通りに一から町をつくってみたい」
「自分ならもっとうまく都市を運営できるのに」
そんなことを考えたことのある方は多いのではないでしょうか。ではある日、都市の問題解決を任されることになったらどうしますか? 『図解 城塞都市』(開発社 著)では、城塞都市に関心をお持ちの方への入門編として、城塞都市の仕組みやそこに住む人々の暮らし、攻防戦のやり方などを丁寧に解説しています。
今回はその中から、城塞都市と人口問題に焦点をあて、都市運営のジレンマについて考えてまいります。古代ギリシャやローマの城塞都市では、増えすぎる人口にどのように対処していたのでしょうか。
目次
ギリシャの城塞都市の成り立ち
ギリシャでは、都市の壁は最初から計画されていたわけではなく、町が十分に発達してから築かれた付加物であったのだ。 『図解 城塞都市』p.16ギリシャは古くから文明の発達した地域で、トロイア文明など、さまざまな文化が花開いた地でした。
紀元前8世紀ごろに都市国家(ポリス)が誕生すると、当初は壁のない開放的な要塞と町でしたが、紀元前6世紀ごろからしだいに町全体を城壁で囲うようになります。
このように、ギリシャでは町が発達した後に周りを城壁で囲ったため、城壁は地形に沿って造られました。そのため町とその城壁は四角形などの人工的なかたちではなく、曲がりくねったかたちをしていました。
ギリシャの都市計画がひとつの頂点を迎えたのが紀元前5 世紀ごろのことだ。 『図解 城塞都市』p.24当時、エーゲ海に面したアナトリア半島(現在のトルコ)には、ミレトスという植民都市がありました。この町は元々ギリシャ人が建設した町ですが、イランに起こったアケメネス朝ペルシャの支配下に置かれ、貿易活動を制限されるなどしたため不満がつのり、紀元前499年、ついにペルシャに対し反乱を起こします。しかし5年後にはミレトスの町は陥落し、反乱は鎮圧されてしまいました。
陥落した町を再建に導いたのは、ヒッポダモスという建築家でした。紀元前479年、彼はアゴラ(=広場)を中心に格子状に街区を整備し、環状壁で都市全体を囲った新しい町の計画を完成させます。このミレトスの再建は「ヒッポダモス式」と呼ばれ、この後長い間にわたってヨーロッパの都市づくりに大きな影響を与えました。
ギリシャの城塞都市と人口問題
ではヒッポダモスによって再建されたミレトスの町はどのようなものだったのでしょう。 ミレトスは、エーゲ海に面した比較的小さな町でした。町の端から端へも、町の中心部から城壁の外へも歩いて行けるくらいだったといいます。町は宗教地域・商業地域・公共地域・住宅地域といった役割ごとに区分けされていました。宗教地域には神殿が建ち並び、有事の際には避難場所にもなりました。公共地域には民主政治の場でもあったアゴラ(=広場)や闘技場、劇場などの文化施設が建設されました。
こうした各地域は格子状の街路で区分けされ、碁盤の目のように規則正しい人工的なかたちをしていました。一方で町を囲む城壁はあくまで自然の地形に沿って建設され、自然を防衛戦略にうまく取り入れていることが特徴です。
ミレトスを再建したヒッポダモスの功績は、アリストテレス著書などによってひろく伝わることとなりました。その結果、プリエネ、アレクサンドリアなど各地でヒッポダモス式の都市が建設されることとなったのです。
では、このように建設された都市で人口が増え、人口問題が発生した場合はどのように対処すればよいでしょう。
ギリシャでは都市は大きくなりすぎないことが好まれていました。町の人口が増えると、町を拡張するのではなく、別の場所に新しい町を建設して人口問題を解決したのです。こうして造られた多数の植民都市の間では交易も盛んに行われ、ギリシャの都市国家群はますます栄えていきました。
一方で、こうしたやり方はギリシャの国としての発展を妨げることにもつながりました。各都市は小さな町のまま、互いに争ったり連合したりを繰り返すばかりで、地域全体がひとつの国にまとまり大きく発展することはなかったのです。
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城塞都市ローマと人口問題
ローマでは都市と防壁は同時に計画された。ローマの植民都市は一般に平坦な地に建設され、壁の形は規則的で対象形を取り入れたものだった。 『図解 城塞都市』p.16ローマでもギリシャ文化は受け入れられ、特に初期のローマ時代の都市はギリシャ様式を取り入れて建設されていたといいます。
しかし両者にはいくつか違いもありました。ギリシャでは都市が発展した後に城壁で囲っていたのに対し、ローマでは都市の建設と同時に城壁も建設したのです。またギリシャの城壁は地形に合わせた不規則なかたちをしていましたが、ローマでは四角形などの規則的で人工的なかたちをしていました。
また、人口問題への対応の仕方もギリシャとは異なっていました。人口が増えると、新しい都市を建設するのではなく、あくまでその都市の中で人口問題を解決しようとしたのです。
その結果、ローマでは土地が足りなくなり、高層アパートが乱立することとなりました。ずさんな建築が原因で建物が崩壊することもあったといいます。ローマの人口は100万人を超え、交通渋滞や食糧不足など様々な問題も発生しました。その一方、帝国としてのローマは地中海にひろく拡大し、人口問題を抱えつつも数百年の長きにわたり繁栄を続けることとなります。
このように、ギリシャとローマは城塞都市の人口問題を異なる方法で解決しようとしました。 都市の発展にジレンマはつきものです。国を大きくするには都市の発展が不可欠で、そのためには人口を増やすことが必要です。しかし都市の人口が増加すると、ローマのように土地が不足しさまざまな問題が発生します。ならばギリシャのように新しく都市を建設し移民させようとすると、今度は新旧2つの都市とも発展しきれず、中途半端になってしまう可能性も生じます。
当時の為政者達もこうした人口問題に起因するジレンマを解消させることに頭を悩ませていたのではないでしょうか。ギリシャもローマも遠く滅びてしまった今、どちらのやり方がよかったのかは難しい問題です。
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本書で紹介している明日使える知識
- 城塞都市の内部にはどんな施設があった?
- なぜ日本には城塞都市がなかったのか?
- 城塞都市はどこに作るべきか?
- 城塞の範囲は広すぎず、狭すぎず
- 門の数は最小限に抑える
- etc...
ライターからひとこと
シミュレーションゲームなどで都市を発展させていくと、町が大きくなるにつれ次から次へとさまざまな問題が発生し、町の発展と住民の要望を叶えることの両立が難しくなっていきます。これは決してゲームの中だけの問題なのではなく、現実でも同様なのだと改めて感じました。本書ではこの他にも、城塞都市ではどんな建物がどのような順序で建設されていたかなども丁寧に解説しています。本書を読んで頭の中で都市計画をシミュレーションするもよし、創作活動に反映させるもよし、読むだけでなくいろいろな使い方を楽しめる一冊です。