世界には数多くの伝説があり、現代でも様々な英雄譚が語り継がれています。災いを招く存在を退治したり、後世にまで残る武具を手に入れたりと、英雄にまつわる数々のエピソードは、時代を超えて人々を引きつける、不思議な魅力があります。
しかしそれらのエピソードは、全て名誉や栄光として語られているわけではありません。悲哀に満ちた話も少なくないのです。
『英雄列伝』(鏡たか子 著) では、様々な英雄を紹介しています。今回はその中でも、北欧神話で語られている英雄であり、ワーグナーの歌劇に登場する、ジークフリートの原型でもある、シグルズの悲劇についてお話します。
目次
シグルズの悲劇①-養父レギンの死
シグルズの悲劇は、彼の周囲を取り巻く、様々な人間関係によって引き起こされます。そのひとりが、シグルズの養父レギンです。レギンは、彼の持つ知識や技術をデンマーク王ヒャールプレク に認められた上で、生まれる前に父を亡くしていたシグルズの養父になっています。しかしレギンは無償の善意で、養父に名乗り出たわけではありません。レギンの兄、ファーヴニルの持つ黄金を我がものにすることが真の目的だったのです。
レギンには、ファーヴニルとオトという2人の兄がいました。
しかしあるとき、オトはアース神に殺されてしまいます。レギンたちの父親であるフレイズマルは、賠償金として黄金を手に入れたのです。この黄金がシグルズの伝説では、さまざまな形で影響を及ぼします。
フレイズマルはファーヴニルによって葬られ、黄金はファーヴニルひとりのものとなりました。更にファーヴニルは竜に姿を変えました。レギンは、シグルズにファーヴニルを倒させるために、養父として立候補したわけです。
このように、レギンは邪な目的を抱えていましたが、同時に養父としての素質もあったことも確かです。レギンの目論見通り、シグルズは勇気と腕力、知恵、合理性など、英雄として必要となる素養を身につけました。
加えてレギンは、シグルズのために剣も作っています。この剣が、後にファーヴニルにとどめを刺すことになる、名剣グラムです。ファーヴニル退治に必要な素養や武器は、全て養父レギンの手によるものと言えるでしょう。
やがて成長したシグルズは、ファーヴニル退治に出かけます。穴を掘り、ファーヴニルが棲み家を出るのをひたすら待ち、穴の上に来たファーヴニルに奇襲する戦法で、竜殺しを達成ししたのです。
この後、シグルズが戦っている間隠れていたレギンが現れ、ファーヴニルの心臓をあぶって食べさせてくれと言い出します。 シグルズは言われた通りに、ファーヴニルの心臓をえぐり、火であぶりました。そして焼け具合を確かめるために、心臓を指でさわり舐めます。ここで、シグルズの体にひとつ異変が起こりました。鳥の言葉がわかるようになったのです。
「自分で食べればいいのに。そうすれば誰よりも賢くなれるのに」 「レギンは、あの若者を裏切ろうとしているよ」 「レギンの首をはねれば、宝は自分のものになるのにね」 『英雄列伝』p.11聞こえてきたのは、近くの藪に潜むシジュウカラのさえずりでした。この声を聞くや否や、シグルズはグラムを抜き、レギンを刎ねたのです。養父に教えられた技、養父に与えられた剣があるからこそ生まれた悲劇かもしれません。
ファーヴニル退治に成功したシグルズは“竜殺しのシグルズ”、“ファーヴニル殺しのシグルズ”と呼ばれるようになりました。
シグルズの悲劇②-ブリュンヒルドの結婚
ファーヴニルを退治した後、シグルズは旅に出ました。そしてヒンダルフィヨル山の頂上にて、ズブリ王の娘であり、戦好きの王女ブリュンヒルドに女性と出会います。2人は恋に落ち、結婚の誓いを交わします。
しかし、この2人の結婚は果たされませんでした。ギューキ王の妃である、グリームヒルドに目を付けられたのです。グリームヒルドは、シグルズとファーヴニルの残した黄金両方を手に入れようと画策します。
グリームヒルドの計画は、娘であるグズルーンとシグルズの結婚でした。
グリームヒルドは、自身の持つ魔術の知識を生かし、シグルズに薬入りの酒を飲ませます。この酒のせいで、シグルズはブリュンヒルドのことを忘れ、グズリーンと結婚してしまったのです。
一方ブリュンヒルドの身辺でも、父であるブズリ王が、娘の結婚に口を出します。これに対しブリュンヒルドは、山の上に館を立てて、周囲を焔で取り囲みました。そして、「この焔を超えてくる男がいたなら結婚してもよい」と宣言したのです。
ブリュンヒルドの宣言は、王を納得させる方便でした。ですが、焔を超える人物が現れます。男の名はグンナル、グリームヒルドの息子であり、シグルズの義理の兄に当たる人物です。しかし、本当に焔を超えたのはグンナルではありません。グリームヒルドに教えられた魔術で、グンナルに姿を変えたシグルズがやったことでした。
宣言に従うため、ブリュンヒルドは、グンナルと結婚するしかありませんでした。しかし本当に焔を超えたのがシグルズだと知ると、シグルズに欺かれたと復讐を決意します。グンナルにシグルズを殺害させようとしたのです。
グンナルは、弟を暗殺者にしたてシグルズに襲わせます。眠っていたところを襲われたものの、シグルズはグラムで暗殺者と応戦しました。そして相打ちでこの世を去ったのです。
シグルズの遺体は、ブリュンヒルドの手により焔に焼かれました。そしてブリュンヒルド自身も、その焔に身を投じたのです。
もしグリームヒルドと出会わなければ、このような悲劇は起こらなかったでしょう。
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シグルズの悲劇③-当時の戦闘衣装
ファーヴニル退治など武勇にも優れたシグルズですが、彼がどのような戦闘衣装をつけていたのか、『ヴォルスンガサガ』には記述がありません。ただし、シグルズの実父であるシグムンドの兜と鎧については記述があります。シグムンドが妹シグニューの嫁いだシゲイル王の城に潜んだとき、彼は顔まで隠れる兜と、白く輝く鎧を身につけていました。 『英雄列伝』p.11また、シグムンドやシグルズの時代は、ヴァイキングが席巻していた時代でもあります。そのため、シグルズの服装もシグムンドやヴァイキングの服装から、想像することができます。
ヴァイキングの主な防具は兜と鎖帷子です。兜は頭を綺麗に覆い、目や鼻など、顔の一部分を保護する工夫もされていました。首の後ろが鎖帷子になっているところも特徴になります。鎖帷子は袖つきで、丈は膝、あるいはこれよりも短いものもありました。
これら兜や鎖帷子は、ある程度位の高い人の防具です。
一方武器は、剣と斧が代表的です。剣は鉄製の柄に、鋭利で柔軟性の高い刃がつけられています。斧は小型な手斧、海戦用の髭斧、両手で扱う幅広斧と三種類がありました。この他にも、表面にヴァイキング独特の紋様を描いた、木製の楯も記録に残されています。
シグルズが暗殺者に襲われた時、彼は眠っていました。もし、兜や鎖帷子を身につけて寝ていれば、死なずに済んだのかもしれませんね。
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