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■前説:歴史にたぎる
地図は素晴らしいものである。確かにそこには製作時点の地形を表現したものであるが、その影には多くの歴史的な経緯が隠されている。私は帝国書院が中学・高校用の副教材として出版している地歴世界地図のシリーズが好きだが、それは学習用に、現在の地理に、過去の歴史的な事件や古代遺跡、歴史の流れが書き込まれていて、三次元的に物事を学べるからである。
たぶん、私がそのことに目覚めたのは、小学校で配られた郷土の歴史地図のおかげである。
私は千葉県下総地方で生まれ育った。九十九里浜の北側、銚子から20キロほど南に下った八日市場市(現在は統合されて匝瑳市となった)で、通った小学校は椿海小学校と言った。ここは江戸時代まで椿の海という湖があり、これを干拓して稲作地帯にしたのだが、そのためか、郷土史を語ることに熱心であった。その頃の私はSFに遭遇したばかりの早熟な子供で、その地図に書かれた地方の歴史に目を輝かせた。地元の神社の中には、干拓される前まで、椿の海にいたという巨大な白蛇を水神として封じた水神社、やや由来が思い出せないものの、なぜか山中で星神を祀る星神社などがあった。
私の目を引いたのは、海辺のあたりにひっそりと立つ記念碑であった。そこには、成田不動尊上陸記念碑とある。
「成田不動尊が上陸?」
成田不動尊は、成田山新勝寺のご本尊、不動明王のことである。神社の本尊がどこかから勧請されることがある、という知識自体がなかった当時の私にとって、それこそが不思議だった。
当時の私は本好きな一方で、自転車に乗ってふらりとあたりを回るのが好きな子供だった。気になり、12キロほど先の記念碑を訪ねてみた。記念碑は昭和になってから作られた新しいもので、海岸の防砂林の中にあったが、太平洋の荒波がとどろき、体全体を震わせる感じが好きであった。
そこに歴史解説を見て驚いた。
成田不動尊は、反乱を起こした平将門を呪殺するために、土佐で仏像が作られ、船で運ばれて九十九里に上陸したのである。
現在の伝奇オカルトの分野で言えば、まさに「魔術兵器」であり、この記念碑とは、当時の朝廷と将門の間で展開した呪殺合戦の足跡なのである。SFをかじり始め、伝奇的な日本SF(例えば、半村良)にも出会っていた私が大きく滾ったことはご理解いただけるだろう。現在で言えば、中二病的な興奮であり、以降、中学・高校時代には何度もこの場所を通うことになる。
■縄文海進期を探る『アースダイバー』
この地図や地形に関するマイブームを再度、復活した理由はいくつもある。最初は、2002年に出したトレジャーハンターもののTRPG『ブルーローズ』で、世界中のすべての地方の超古代史を、氷河期に遡って語ったのであるが、その途中で縄文海進のように、海面の上下が起こり、古代文明の興亡に大きく影響を与えたことを知った。例えば、エジプト文明の起源を探っていくと、そもそも、氷河期の時点では、地中海海盆が干上がっており、ナイル川も全く別の形だったことが地質学的に分かっている。
日本では、縄文海進と呼ばれる縄文時代の半ば、紀元前4,500‐4,000年をピークとして、現在よりも5mほど海面が高かったとされている。気温も2度ほど高く、東京のうち、谷と名付けられた低地部分には海が入り込み、広くなった東京湾には、カバに似た半水棲の哺乳類が住んでいたという。この頃、入り込んできた海の地域には沖積層という海の底にたまった泥から生まれた地層がある。逆に、高まった海にも沈まず、高台として生き残っていた地層は、それより古い洪積層で、この台地の先端部はミサキ(岬、御崎)と呼ばれ、多くの神社が建設されている。例えば、利根川沿いの古社(大和王朝以前からある古い社)の多くが過去のミサキに建設されている。この縄文海進の跡は、日本全域で見られ、東日本大震災の後、東北の沿岸で被災しなかった神社の多くが、そうしたミサキに建設されていたという報告もある。
縄文海進を大きく取り上げたのが、人類学者・中沢新一の『アースダイバー』(2005)である。当時の縄文海進期の地図を作成し、それを見ながら、都内を散策、地層における沖積層/洪積層の配置と、歴史的な居住地域の文化的な関係を考察したものである。
沖積層を、湿った土地とし、そこにどのような文化が誕生するか、新宿、渋谷、秋葉原、四谷などを巡っていく。見慣れた街が「縄文海進」というキーワードによって、別の姿を見せるのは非常にエキサイティングなものである。
その後の地質学的な研究により、『アースダイバー』は、縄文海進を過大評価しているとの批判もあるが、思考実験の本としては非常に面白いし、オカルト的な部分も見逃せない。中沢新一の理論的な割に、情緒的な文章も筆者は好きである。
地質学的に、縄文海進があったことは明らかで、そこに土地ごとの影響を認める論説も多い。例えば、九十九里海岸の形成には縄文海進の影響が大きく、縄文海進期に下総台地が削り込まれ、海進の終わりに、沖積層の砂で出来た九十九里平野が残され、低地に取り残された湖が作られることになる。このような地形形成の特質が後の平将門の乱の遠因となるという説すらあるし、すでに述べた我が故郷にあったという椿の海も、縄文海進の遺産であったのである。
ああ、話がつながってしまった。
最近で言えば、NHKで好評放送中の『ブラタモリ』がこうした地形の形成と歴史的な都市の発達の関係を掘り下げている。おかげで、下手な歴史書よりも、最新の歴史学を学ぶよい教材となっている。
ファンタジーワールドの街の成り立ちを考える時、ふとその地域が数千年前、どうだったのか? 少し考えてみると面白いかもしれない。
『アースダイバー』(中沢新一 著) |
ワールドクリエーターのためのファンタジーブックガイドシリーズ
第1回:『ディプロマシー』と『幼女戦記』で学ぶ地政学
第2回:地形から始まる古代史展望 ~『アースダイバー』から『ブラタモリ』へ~
第3回:明治維新を人材面から読む:榎本武揚と飯田橋の牧場
第4回:戦国日本へたどり着いた宣教者イエズス会