イラスト:鈴木康士
題名は知ってる文学作品 オススメされたから読んでみよう
ぼく:ラノベの編集者。理工系の大学からSEを経てラノベ編集者に、というめずらしい経歴の持ち主。ラノベは大好きでジャンルに関係なく乱読していたが、それ以外の本はほとんど読んでおらず、文系出身の同僚たちの話についていけないことも。
ぱん太:パンタポルタのマスコット。パンダっぽい謎の生き物だが、読書に対しては広く深い愛情を持つ。ときどき登場人物やシチュエーションへの情熱が溢れだし、マスコットとしての本分を忘れることもある本コラムのナビゲーター。
シェイクスピア 『お気に召すまま』
『お気に召すまま』(新潮文庫) |
「……なるほどねえ…… みんなはどう思う?」
説明を聞き終わった編集長は、しばらくの沈黙のあと、企画書から目を上げ、低い声で編集部員に問う。
まずい。この台詞は、編集長が良いと思っていないときにでるやつだ。
企画書を出した同僚の顔が緊張でこわばる。
今日は半月に一度の編集会議。
いま担当している作品の進捗報告とともに、新しい企画を吟味する場でもある。
今日はぼくの同期が提案をする番だった。
ぼくは学生のころからラノベが好きで、わりとノンジャンルに広く浅く読んでいるほうだ。だけど、今回同僚が提案したようなネタは見たことがなく、読む人を選ぶところはあるけど、好きな人にはざっくり刺さりそうな内容で、同僚自身もかなり力が入っていた。
ぼくも企画書を作る段階からアイデア出しに協力したり、カフェでああでもないこうでもないと3時間も意見を出し合ったりしていた企画だったので、かなうなら通ってほしい。
そう思っていたが、会議での旗色は良くないようだ。
「たしかに斬新だけど、どれくらいの人がこういうのを読みたがってるのか、ってところはありますね」
「出オチみたいになっちゃわないか心配ですね」
「切り口は目新しいし、面白いと思うんだけど……」
他の編集部員たちから出てくる意見は、その多くが否定的だった。
「……たしかにこの切り口は面白い。ただ、その切り口だけに頼っても、という気はするね。『輝くものすべて金にあらず』(*1)って言うじゃない?」
ん? なんか名言みたいの出てきた?
「やり方をもう少し練った方がいいんじゃないかなあ。『愚か者はすぐに射離す』(*2)『速く走る奴は転ぶ』(*3)なんて言葉もあるしね」
ん? ん?
「……そうだな、みんなが言うように、もうちょっと考えて進めてみようか。『険しい丘を登るには、最初はゆっくり歩くことが必要だ』(*4)ってやつだ」
また名言ぽいの出てきた。しかもみんな頷いてる。知らないのぼくだけ?
そんなぼくの戸惑いをよそに、同僚が企画の細部を再検討することが決まり、編集会議は閉会した。
「……残念だったね」
どう声をかけたものか思いあぐねながら話してみると、同僚は意外とさっぱりした顔で、落ち込んでいる風ではなかった。
「いや、確かにひとつのネタにこだわりすぎてて、細かいところを詰めきれてなかった。『ガマの頭の中にある宝石』が見つけられるよう、もうちょっとがんばってみる! 手伝ってくれてありがとな」
お、おお? 同僚までなんか言いだした?
あ、うん、がんばってね、などとあいまいに返事をしながら、ぼくはなんとなく負けた気分で自分の席に戻った。
***
ガマの頭の中の宝石…… 宝石ねえ……
ぱん太「え? シェイクスピアでしょ? 『逆境はガマガエルにも似て、醜く毒があるが、頭の中には宝石がある』ってやつ。有名だよね?」
思わず机に突っ伏すぼく。
きっとぱん太くんからはガマガエルみたいに見えていたに違いない。
ぱん太「……あ、そっか。ラノベ以外はあんまり読んでないって言ってたっけ」
うう…… 編集部の人たちはみんな知ってるみたいだったんだよね……。
ぱん太「まあ、シェイクスピアは英文学を勉強する人は必ず読むはずだし、そうでなくても面白いから読んでる人は多いと思う」
面白い、かあ……。
シェイクスピアってどうも高尚でお堅そうなイメージがあって……。
ぱん太「そんなことないよ! そもそもシェイクスピアは劇作家だから、大衆のための作品を作っていた人なんだ。劇の台本だから会話で話が進むし、話もつかみやすい。
そしてなにより、キャラクターの描き方がすばらしいのさ。魅力的な登場人物が多くて、ちょっとした脇役でも印象に残る一言を残していったりする。いい人も悪い人も否定されずに生き生きと描かれているのが、シェイクスピアの魅力なんだ」
へえ…… そうか、キャラクターがしっかりしてるから、古くても面白く感じられるのかもね。
ぱん太「もうひとつ、シェイクスピアのすごさは、その言葉の美しさにあると思う。ウィットに富んだ表現や気の利いたひとこと、皮肉や悪口まで…… 現代英語に最大の影響を与えた作家のひとりと言われているらしいよ。
いわゆる『名言』みたいなものも多くて、現代でもいろんな作品で引用されたり、ちょっともじって使われたりしてるよね」
あ、じゃあ編集会議でみんなが使っていたのは……
ぱん太「たぶん、そういう『名言』のひとつだね。さっき言ってた『ガマガエル』の話みたいに定番になってる言葉も多いから、読んでおくと表現の幅が広がるかも!」
ああ、たしかに。編集会議でも、シェイクスピアを知ってたら、一緒にニヤってできたのかも。
ぱん太「よし、じゃあ今回の読書会はシェイクスピアの『お気に召すまま』にしよう!
読みやすいし、長さもほどほどで初心者にはおすすめだよ」
『お気に召すまま』 ……聞いたことあるような、ないような……。
ぱん太「シェイクスピア作品の中でも長く人気を誇っている作品のひとつだよ。
主人公は若き騎士オーランドー。あるとき兄と仲違いして森に逃げ込んだところを、前公爵に助けられるんだ。
同じ頃、公爵の姪のロザリンドが追放されることになり、こちらは男装して追手の目をくらましながら、公爵の娘シーリアとともに森に逃げていく。
やがてオーランドーとロザリンドは森で再会するんだけど、そのころオーランドーは以前出会ったロザリンドのことが忘れられずもんもんと過ごしている。それを知ったロザリンドは、男装のまま相談に乗るふりをしてオーランドーの心を確かめようとする。
というところでややこしい事態が次々起こって……というお話。
この二人の関係が、さまざまな出来事を通じてどう変わっていくのか、どんな結末が待っているかは読んでからのお楽しみ!」
***
そんなこんなで、第2回の課題図書はシェイクスピアの『お気に召すまま』に決まった。
400年もの間世界中で愛されているシェイクスピアが著わした、16世紀の恋人たちの会話劇。さっそく読んでみよう。
*1:『ヴェニスの商人』 *2:『ヘンリー5世』
*3:『ロミオとジュリエット』 *4:『ヘンリー8世』
■お気に召すまま Kindle版
河合 祥一郎 訳
福田 恆存 訳
小田島雄志 訳