可愛らしい衣装を着てかいがいしく主人に仕えるというイメージのあるメイド。しかしその実態は過酷なものでした。
今回は実際のメイドの給料とその使い道をご紹介しましょう。
目次
メイドたちの給料はいくら?
メイドたちの給料は、地域や時代背景、雇用主の経済状況、メイド自身の職種によってかなり差がありました。
また、お茶や砂糖、ビール、制服などの現物支給(「お仕着せ」という)がない代わりに、その分の手当てが支給される場合もあります。こうした嗜好品や生活物資は高額なものが多く、個人で購入すると相当な金額を支払わなければならなかったのです。
1861年版『ビートン夫人の家政読本』の中から、お仕着せの支給がない場合の給料の相場をご紹介しましょう。
【男性使用人】 ※年額。単位はポンド。
・家令:40~80
・執事:25~50
・料理長:20~40
・従僕:20~40
・給仕:8~18
【女性使用人】
・家政婦:20~45
・小間使い:12~25
・雑役女中:9~14
・台所女中:9~14
・洗い場女中:5~9
・家令:40~80
・執事:25~50
・料理長:20~40
・従僕:20~40
・給仕:8~18
【女性使用人】
・家政婦:20~45
・小間使い:12~25
・雑役女中:9~14
・台所女中:9~14
・洗い場女中:5~9
まず全体を通して、男性使用人の方が給料が高いことがわかります。
当時、使用人を雇う階層の年収は最低でも150ポンドでしたので、40~80ポンドも貰っていた家令はかなりの高給取りだったといえるでしょう。
一方、下級使用人の給料は低く、中には年額で5ポンドを下回った例すらありました。
この他、「園丁」や「狩場番人」といった職種の使用人たちも高給をもらっていました。1906年のデータでは、園丁長は年額70~120ポンド、狩場番人は100~150ポンドの給料をもらっています。これらの仕事は当時かなり重要視されていたのです。
チップは貴重な収入源
メイドたちは定められた給料の他に、付け届け(チップ)をもらい生活しています。
チップの習慣は16世紀にはすでに存在しており、18世紀になると「チップが用意できないという理由で、招待客がパーティーへの出席を断る」という事態も発生する程エスカレートしていました。
実際、友人の家を訪問するだけでも、以下のようにたくさんの場面でチップを支払わなければなりません。
・訪問の際に取次いでもらった時
・客間へ案内された時
・食事で給仕してもらった時
・女性に手紙を渡す時
・帰宅時のお見送りの時
こうした事態を改善すべく、ヴィクトリア朝の時代になると、雇用主たちが示し合わせてチップを廃止し、その代わりに特別手当を支給するといった動きもみられるようになります。
◎関連記事
旅行や名門寄宿学校が人気 ヴィクトリア朝の娯楽と教育
お嬢様はいない?! 執事の仕事場は銀食器やワインの在り処
仲介手数料や不用品販売で小遣い稼ぎ
チップ以外にメイドたちの収入源となったのが、仲介手数料や不用品の販売です。彼ら彼女らは自分の役職の権限を活用し、様々な小遣いを稼いでいました。
*執事
・お屋敷の酒類や生活物資などを購入する際、商人から仲介手数料をもらう。
・蝋燭の燃えさしを下取りに出す。
*料理人
・お屋敷の食料品を購入する際、商人から仲介手数料をもらう。
・調理の時に出た肉汁やウサギの皮などの不用品を業者に売り払う。
*従者・小間使い
・雇用主・女主人から譲り受けた衣類や装飾品を販売する。
*下級使用人
・お屋敷のゴミを販売する。
・お屋敷の酒類や生活物資などを購入する際、商人から仲介手数料をもらう。
・蝋燭の燃えさしを下取りに出す。
*料理人
・お屋敷の食料品を購入する際、商人から仲介手数料をもらう。
・調理の時に出た肉汁やウサギの皮などの不用品を業者に売り払う。
*従者・小間使い
・雇用主・女主人から譲り受けた衣類や装飾品を販売する。
*下級使用人
・お屋敷のゴミを販売する。
中には自らの権限を悪用し、小銭を稼いでいた者もいます。たとえばある料理人はお屋敷の金で食料品を多めに買い込み、余った食材を下取りに出すなどしていました。
メイドたちの休暇と娯楽
コツコツ貯めた給料を使い、メイドたちは様々な娯楽や息抜きを楽しんでいます。
【メイドたちの娯楽】
・帰郷
・読書
・時間をかけて手紙を書く
・パブやカフェで酒を飲む
・雇用主や使用人主催のパーティー
・雇用主の旅行の付き添い
・使用人同士での噂話
もっとも、こうした娯楽を楽しむことのできた使用人は多くはありません。メイドは他の職業に比べて拘束時間が長く、娯楽を楽しむ余裕などありませんでした。
上級使用人や男性使用人は比較的自由時間が多かったものの、大半の女性使用人の労働時間は15時間を超えていたといわれています。
ヴィクトリア朝中期になると、日曜日の半休、2週間に1度の全休、月に1度の非番、年に1度の長期休暇(1~2週間)といった慣例が定着するようになります。
とはいえ、これらはあくまで慣例で、実際に長期休暇が与えられることは稀でした。
雇用主や女主人たちの生活はメイドがいなくては成り立たなかったため、従者や小間使いなどは全休を取ることも許されなかったといいます。
華やかなようで実は過酷だったメイドの暮らし。給料も低く休みも取りづらい中、メイドたちは他のメイドとの噂話や小遣い稼ぎなどにささやかな楽しみを見出していたといえそうです。
◎関連記事
粗末な家も多かった ヴィクトリア朝の庶民の住宅事情
メイドの職種③厳しかった料理の世界 料理人と台所女中