中世ヨーロッパといえば騎士の時代。騎士たちはどのような暮らしをし、何を見て何を考え、どんな人生を送っていたのでしょう?
このシリーズでは、1165年にフランスに誕生した架空の騎士ジェラールを案内人に、中世ヨーロッパと騎士の姿をわかりやすくご紹介していきます。
第5回目のテーマは、「中世ヨーロッパの騎士と従士制」です!
目次
騎士の基になったゲルマン人の「従士制」
前回は、中世ヨーロッパの騎士たちが「臣従の誓い」をたてて主君と契約関係を結んでいたことをお話しました。
今回はその基となったゲルマン人の「従士制」や、中世の「騎士」という言葉の意味をご説明しましょう。
ゲルマン人というとドイツというイメージですが、実は私のようなフランスの騎士とも大きな繋がりがあるのです
ローマの歴史家タキトゥスは、『ゲルマニア』の中で彼らの風俗や従士制度を描写しています。
それによると、ゲルマン人の自由民たちは17歳前後で成人すると、長老と呼ばれる貴族や父親、近親者からフラメア(槍)や楯を与えられ、戦士として戦いに出たり、部族会議に参加するようになったといいます。
戦士となった青年の中には、従士団に加わり、「従士」としてひとりの長老と主従関係を結ぶ者もいました。
長老と従士の関係は奴隷のようなものではなく、あくまでも個人と個人の結びつきです。
彼らはお互いに次のような関係にありました。
*従士→長老
・戦いで多くの敵を倒し、名誉と武勇を示す。
・勇敢に戦った者ほど従士団の中での席次が上がる。
*長老→従士
・長老は従士に馬や家畜、武器、日用品、奴隷などを与えて生活の面倒をみる。
・戦いの戦利品を分配し、宴会を開いて労をねぎらう。
・戦いで多くの敵を倒し、名誉と武勇を示す。
・勇敢に戦った者ほど従士団の中での席次が上がる。
*長老→従士
・長老は従士に馬や家畜、武器、日用品、奴隷などを与えて生活の面倒をみる。
・戦いの戦利品を分配し、宴会を開いて労をねぎらう。
ゲルマン社会での従士と長老の関係は、私たち騎士と主君の関係に似ていますね
封建騎士の誕生
4世紀末になり、ゲルマン人が異民族の影響などで大移動をはじめると、ガリア(フランス)にもゲルマン人が移住し始めます。
こうしてゲルマン人の従士制度はフランスにも伝えられました。6世紀初めになると、ゲルマン人の部族法典のひとつ『サリカ法典』の中にも、従士制を表す言葉が登場するようになりました。
やがて、ゲルマン人たちはフランス最初の王国「フランク王国」を建国します。
フランク王国の宮宰カルル・マルテル(689~741年)は、騎馬部隊を整備すると、臣従の誓いをたてた従士たちに馬を飼育する財源となる領地(恩貸地)を与え、その代わりに戦闘に出る義務を負わせるようになりました。
こうして封建騎士や「臣従の誓い」が誕生したのです
「騎士」という言葉は、フランス語で「シュヴァリエ」、イタリア語で「キャヴァリエール」、ドイツ語で「リッター」といいますが、これらは全て「騎乗」を意味する言葉が語源になっています。
このように、騎士と騎乗とは深い結びつきのある言葉でした。騎士は馬に乗りますが、馬を飼うには大変なお金がかかります。
そのため、騎士が主君から馬を飼うための財源となる領地(恩貸地)を貰い、代わりに主君に戦闘力を提供するという仕組み(「レーエン制度」と呼びます)は、互いにとって利益のあるものとして大いに広まることとなりました。
しかし、時代が下って領地が世襲されるようになると、公然と王に反抗する家臣も現れはじめます。従士制から発展した騎士の仕組みも万能ではなかったのです
ゲルマン人の従士制が発展し生まれた中世ヨーロッパの騎士制度。次回は騎士たちが装備した鎧をご紹介しましょう!
◎中世騎士物語
騎士が生まれた日 ~中世時代の暦~
騎士が生まれた日 ~中世の洗礼と宴会~
騎士が生まれた日 ~中世ヨーロッパの階級社会~
騎士が生まれた日 ~中世の出陣風景~