『こうしてイギリスから熊がいなくなりました』
(ミック・ジャクソン 著/田内 志文 訳)東京創元社
November 27 , 2018
親愛なるお姉さまへ
すっかり秋めいてきましたわね。あんまり寒いと朝ベッドからなかなか出られなくて、難儀してしまうわ。いっそこのまま冬眠でもしてしまいたい気分よ。
冬眠といえば、熊っておもしろい生き物だと思いませんこと? 2本足ですっくと立ってこちらをじっと伺う様子は、まるで人間のようだわ。ハチミツ大好きな某黄色い熊や第26代米国大統領の名を冠した某熊のぬいぐるみなど、かわいらしいキャラクターたちが世界中で愛されている反面、実際の熊はなかなか凶暴ね。いったい、熊たちはなにを考えて生きているのかしら。
というわけで今月は、とっても奇妙でちょっぴり切ない、「かつてイギリスに暮らしていた熊たちの物語」を紹介するわ。
この物語を読む前に、お姉さまに知っておいてもらいたいことがあるの。それは現在のイギリスには野生の熊が存在しないということ。原因は人間による乱獲。このことを先に頭に入れておいてから読むと、いっそう興味深く読めるはずよ。
“熊は、食わなくてはならない。それが自然の摂理というものだ。餌がなくなると熊は往々にしてすぐさま不機嫌になり、不機嫌な熊というものは誰にとっても厄介の種となるようなことばかりするものなのだ。”
熊も人間も、生きていくためには食べなくてはならない。そして、日々の糧を得るにはそれ相応のリスクを背負って働くことになるわね。この本では、人間によって理不尽な役目を負わされてしまった熊についての8つの物語が、きわめて寓話的に語られているの。それぞれ独立したお話として読むこともできるけれど、ゆるやかに繋がっているところもあるから、やはりちゃんと通しで読むのがおすすめよ。
さて、人間たちから厄介者扱いされている熊だけれど、ミック・ジャクソンの描く彼らの生活はなかなか大変。供物を食べ故人の罪を引き受ける“罪食い”をさせられたり、鎖につながれ見世物として犬と闘わされたり、サーカスでこき使われたり……。
なかでもわたくしが気に入ったのは、「下水熊」の物語よ。舞台は疫病が蔓延した19世紀のロンドン。その頃は人間たちが熊を下水道に閉じ込め、清掃員として働かせていたというのよ。そこで熊たちは溜まった水を抜いたり、シャベルでゴミを片付けたりと忙しく働いていたの。熊たちは作業をしながら食料になりそうなものを集めつつ、人間にとって価値のありそうな硬貨や宝飾品も探していた。それを食料品と交換してもらうためにね。
ある日、下水熊のもとへジミー・ザ・ハットと呼ばれる男がやって来るの。いつものように、あまり価値のなさそうながらくたばかり差し出す熊。しかし最後にためらいながらも金の指輪を渡すの。熊自身、指輪はいつものがらくたとは違う、とっておきの値打ちものだと勘付いていた様子よ。たくさんの食料をもらえることを期待してジミーに渡してしまうのだけれど、ジミーはウインクしてそのまま立ち去ってしまった。怒りに吠える熊は、鉄格子に残ったジミーの残り香を胸に焼き付ける。そして……。結末はぜひ読んで確かめてみてほしいわ。
人間によって痛めつけられ疲れ切った熊たちは、ある時から偉大なる熊(グレート・ベア)なる存在からの呼びかけが聞こえるようになるの。偉大なる熊に導かれ、はたしてイギリスの熊たちはどこへ向かうのか? 読み終えた時は、哀愁ただよう熊たちの生き様に胸がいっぱいになったわ。
ミック・ジャクソンは突飛な設定の物語を淡々とした文章で描いていって、読者を物語の世界に入り込ませるのがとても上手い作家だと思うわ。前作『10の奇妙な話』でもそうだったのだけれど、奇妙な設定と登場人物たちの生きづらさが不思議と共鳴し合っているようなの。それから忘れてはならないのは、前作に引き続き挿絵を担当するデイヴィッド・ロバーツの存在。エドワード・ゴーリー風のちょっぴり不気味でかわいらしいイラストが、物語をさらに深めてくれているの。
ぜひお姉さまも、イギリスの熊たちの奇妙で切ない物語に浸って、秋の夜長を過ごしてみてね。
愛を込めて
アイリス
◇書籍紹介
これは、イギリスで絶滅してしまった熊に捧げる、大人のための寓話です。
昔々、森を徘徊する悪魔だと恐れられた「精霊熊」。死者のための供物を食べたせいで、故人の罪を引き受けてしまった「罪喰い熊」。人間の服を着て綱渡りをさせられた「サーカスの熊」。ロンドンの下水道に閉じこめられ、町の汚物を川まで流す労役につかされた「下水熊」。人間に紛れて潜水士として働く「市民熊」。ブッカー賞最終候補作家が、皮肉とユーモアを交えて独特の筆致で描く8つの奇妙な熊の物語。
訳者あとがき=田内志文
定価:本体1,500円+税
発売日:2018年8月
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◇アイリスの夢百夜
第一夜:『アイリーンはもういない』
第二夜:『飛ぶ孔雀』
Irisについて
グルノーブルで700年続く名家に生まれ、不自由のない幼少時代を過ごす。
大好きな姉が2年前にイギリスへ嫁いでしまい、アイリスは従者と共に1年間日本へ留学することになった。
遠い島国から、姉へ向けて毎月一通の手紙を書いている。お気に入りの本の感想を添えて……。