西荻窪という街は東京のやや西側、新宿からJR中央線快速で5駅、約13分で到着できる位置にあります。
都内最大のターミナル駅である新宿から一本、朝のラッシュアワーには2~3分間隔で1時間に最大27本も走る中央線快速ですから、都心のみならず近郊都市などからもアクセスしやすい街といえます。
中央線は都内の路線の中でも歴史が古く、駅周辺も細い路地が多かったり、商店街にも小さな店舗が数多く見られます。中でも荻窪の辺りはそうした街の特徴を活かして、小さいけれどお洒落な店が多くなる傾向があって、懐かしい雰囲気と洗練された現代的な空気の同居する街並みが広がっています。
今回訪れることになった『オールド・アロウ』は、そんな西荻窪の駅からほど近い位置にあって、駅前の通りを道なりに進んでいけばすぐに見つけられるわかりやすいお店です。
△街に溶け込んでいて特別目立つわけではありませんが、店の雰囲気が感じられる看板です。 |
△外にはお店の概要を紹介した垂れ幕もあります。 お酒だけでなく、美味しそうな食べ物もいろいろありそうです。 |
街に暮らす人々が気軽に立ち寄ってお酒が飲める「パブ」は、ヨーロッパの広い地域にあってその土地なりの特徴があることで知られています。
日本にもイギリス様式の「イングリッシュ・パブ」や、アイルランドの「アイリッシュ・パブ」を謳ったお店が近年増えているので、ご存知の方や利用したことがあるという方も多いかもしれません。
オールド・アロウの場合は「英国式」ですが、店内の雰囲気やメニューを「中世風」にまとめたちょっと個性的なスタイルになっています。
お店の看板には、木でできたジョッキと「エール(ビールの一種)」、「サイダー(林檎酒)」、「スピリッツ(蒸留酒)」、「ミード(蜂蜜酒)」の文字とともに、「TAVERN(タヴァーン)」と書かれています。これはもともと近所の寄り合い所といった意味で使われる言葉だったようですが、旅籠の役割も持ったことから酒場や宿という意味でも使われました。
オールド・アロウでは中世スタイルという意味で「メディーバル・タヴァーン」をお店のコンセプトにしています。これらひとつひとつの言葉から感じられる古めかしい雰囲気も、店を特徴づけています。
△ちょっと地下に降りる感じの入口。今回は夕方の開店時間直前にお邪魔しました。 |
お店に入ると、お酒がたくさん並んだバーカウンターがまず目に入ります。ひと口にパブといっても色々ありますし、日本では通常の会計システムと異なるためあまり見かけませんが、このお店ではカウンターで注文したその場でお金を支払う「キャッシュ・オン・デリバリー」という形式になっています。
英国式パブの伝統的なスタイルなので、本場の雰囲気が楽しめる要素のひとつでもあります。ちなみに日本の居酒屋のようにまとめて最後にお会計スタイルも選べるので安心です。
△ここで注文して、注文した分の代金を支払います。 黒板や手書きのPOPにも味わい深い情報が。 |
店内を見回せば、そこここに中世ヨーロッパの雰囲気を感じさせてくれるアイテムが配置されています。楽器や武器防具の類、食器やタペストリーなど、店のコンセプトに合ったものを探したり、自作したものも多いそうです。
テーブルやベンチも雰囲気に合わせたものが選ばれているし、壁材などは年月を経た風合いを出すためにダメージを加えたり色褪せたように見える塗装を施しています。
△広いお店ではないので、混雑時には相席となったり、時には満席になってしまうこともよくあるそうです。 |
今回お店のオーナーさんにもお話を伺いました。お店のコンセプトを決めたきっかけについて伺うと、このように語ってくださいました。
「もともとパブ文化が非常に好きで、今ではアイリッシュ・パブとかスコティッシュ・パブとかイングリッシュ・パブとか色々ありますけど、もう出尽くしてしまった感もあったんです。それで、歴史が好きだったので中世後期のイングランドみたいな内装でやったら面白いかなと考えたのが最初です。ヨーロッパというか、東欧にもメディーバルタバーンという、昔からの建物を使って食事と飲み物を出すレストランみたいなお店があるので、そういう風にしたいと思ったんですね。イギリスのチューダー時代(15世紀末から17世紀初頭)の建物っぽくしてチューダーズ・パブみたいな雰囲気でお酒が飲めれば楽しいのかなと考えたんです」
△こちらはお店で作ったタペストリー。 ヨーロッパでは修道院でビールが造られることも多いのです。 |
△古い形だけど、実際に演奏もできるバグパイプ。 オーナーさんは元々古楽を嗜んでらしたとか。 |
お客さんがたくさんいる時はちょっと難しいかもしれませんが、こだわりの感じられる店内を見て回るのも楽しいお店です。
△歴史がお好きとのことで、店内には見慣れた本も置いてありました。いつもお世話になっております。 |
さて、まずは飲み物から頼んでみましょう。外に書かれてあった通り、ちょっと他のお店ではあまり見ないようなお酒が飲めるのがこのお店ならではの特徴です。
しかも、この雰囲気の中で飲むからこそ楽しめると言うのはオーナーさんの仰った通りでしょう。それでは、まずは「ミード(蜂蜜酒)」から。
△このお店では、食器類もコンセプトに合わせたセレクトになっています。ちょっとお酒の味も変わってきそうですね。 |
ミードは蜂蜜に水などを混ぜて発酵させたお酒です。水を混ぜて放置するだけでも発酵が始まるので自然環境でもできますから、もっとも古い形のお酒ではないかとも言われています。
注文する前に、初めてミードを飲む人におすすめの種類を伺ってみました。
「やっぱり初めてミードを飲むお客さんが多いんです。メニューにも書いていますが、リトアニアの「スタクリシュケス」は価格帯も安低めですし、作りも出来がいいんです。ハーブとか、いろいろなボタニカルを副原料に入れているから香りもいいですし、こってり甘いお酒が苦手な方にもとっつきやすいと思います。それともうひとつ、国産のネクタルというミードがあるんですが、日本酒の酵母で発酵させているから少し日本酒のようなニュアンスも感じられる世界的に見ても面白いお酒があるので、こちらもよくお勧めしています」
スタクリシュケスを頼んでみて、ひと口含んでみると一瞬にして濃厚な甘さに満たされます。なるほど確かにハチミツだと感じられる味で、少し酸味もあります。
アルコールは12度とちょっと高いのですが、ぐびぐび飲むのでなければ甘さの方が勝って気になりません。基本的に冷やしてあるわけではないところがまた本場の雰囲気でもあります。
△こちらも試してみてください、とショットグラスで出していただいた2種類のミード。 |
それでも飲んでいればアルコールがしっかり効いてきます。初めてだし他のも試してみたいなと思っていたところに、オーナーさんがお試しのグラスを出していただきました。
フランス・ブルターニュ地方の「メルモール」と、お勧めされていた日本の「ネクタル」です。
メルモールはスタクリシュケスほど甘さが強くはなくて、ちょっとワインのような感触もあるお酒。アルコール13度で若干アルコール感は強めで、普通のグラスで飲むと一杯でけっこう回りそうです。
ネクタルの方は、日本酒に近い感じというだけあって「辛め」です。でもハチミツ感もしっかり残っているので濃厚さ、しっかりしたボディ感もあります。アルコール11度でキレもあるので、日本人に飲みやすくアレンジされたミードになっています。
お店には他にもちょっと珍しいお酒があるので、お勧めを聞いてみました。まずは、「サイダー(林檎酒)」から。日本では炭酸飲料の名称として知られていますが、本来はこちら。「サイダー」はイギリスでの呼び方ですが、日本ではフランス語の「シードル」の方が馴染みがあるかもしれません。
「アイルランドの「マグナーズ・アイリッシュサイダー」は世界的によく飲まれてるサイダーです。うちでは樽生で常時置いています。あとイギリスの老舗中の老舗でイギリス人なら誰でも知っている「ウェストンズ」というメーカーのボトルがやや甘口で飲みやすいですね。「シェピーズ」というイギリスのメーカーのものは、木の樽の香りがふわーんと漂う、香り豊かでありながらドライですっきり飲みやすいタイプです」
あとは、「ハーブ酒」についてもお聞きしてみました。
「バーなんかではカクテルに使ったりはするんですけど、うちの場合はこの飲み物のロマンを感じてもらいたいと思って、ストレートかロックで楽しんでもらっています。そういう出し方はひょっとすると邪道なのかもしれませんが、あえてそこを楽しんいただきたいですね。メニューに書いてある以外にも置いてあるものがありますよ」
他に、ビールにもたくさんの種類がありますので、お酒が強い方はそれらを飲み比べてみるのも楽しめそうですね。
△料理名から「中世ドイツのチキンとベーコンのパイ」ということで、中世メニューイチ推しの一品。 |
お酒ばかり飲んでいると肝心のレポートがおろそかになってしまいそうなので、中世のお料理もいただいてみましょう。まずは、いかにも中世らしいというか、名前に「中世」と入っているこのメニューは食べてみないわけにいきません。さっそく、お料理についてもお話を伺いました。
「中世ドイツのチキンとベーコンのパイは、ドイツで食べられていた料理のレシピが、イギリスの古い記録に残されていたものなんです。でもそういう古いレシピには材料や調味料の分量までは書かれていないので、シェフと相談しながら現代日本人の好みにも合うようアレンジしています。中でもこれは自分的にすごく好みの味に仕上がったので、定番メニューとして残していきたいですね」
器ごと上面がパイ生地で閉じられていて、いわゆる「ポットパイ」といった形の料理になっています。中にはクリーミーでありながら、ちょっとカレーっぽいスパイスの感じられるシチュー風の煮物が入っています。現代向けのアレンジについても聞いてみました。
「これは上にパイをかぶせてるんですけど、恐らく当時は重ね生地のパイではなくタルト生地みたいに作っていたんじゃないかと思うんです。でもそういう作り方だと中身がパイ生地に負けてしまうことが往々にしてあるので、重ねの折りパイにすることでサクサクッと崩して気軽に食べられるようにアレンジしています。昔はスパイスもよく使われていたので、これにもけっこう効かせています。サフランを使っているんですけど、もともとフレンチのお店で働いてたうちのシェフが初めて来た時に、「こんなにキツくなくていいんじゃないか」って言ったくらいの、超ぜいたく仕様です」
確かに、パイで包まれているだけあって中身はアツアツのホクホクです。お肉が塊でゴロゴロ入っているので満足感もあって、普段の食事でも食べたい感じです。
△「初ニシンフィレの燻製」です。ブナの木のチップで低温スモークしています。 |
メニューを見て「これは!」と思ったのは、ニシン料理です。中世ヨーロッパでニシンは食べる機会が多すぎるくらい馴染み深い食材だったようで、さまざまに味付けなどを工夫して食卓に上がっていました。もちろん、燻製にすることで持ちを良くすることも必要不可欠です。
日本でニシンといえばやっぱり煮付けなどのイメージがありますが、こちらはサラダ風でさっぱりした味付けです。
△こちらはコーニッシュパスティ。材料が揃う時はオススメボードに書かれます。 |
お店のツイッターアカウントで紹介されていたコーニッシュパスティも、気になるメニューでした。今回は特別に材料も調達していただいてしまいました。
コーニッシュは「コーンウォールの」という意味で、鉱山で働く人々が弁当代わりに食べていたという伝統料理です。脂肪分の多いパンに似たペストリー生地にさまざまな具材を包み込んだもので、鉱山では手が汚れるため持った時に汚れていない部分を食べたといわれています。鉱山に棲む妖精ノッカーが好んだという言い伝えもあります。
具材がぎっちりと詰まっているのを切り分けながら食べるので、小さめに見えてもなかなか食べ応えがあります。また、添えられた豆のソースをつけて食べることで味が変わるのもポイント。このソースが豆の甘みでちょっと甘納豆みたいな懐かしい味に思えます。
△最後に、ノンアルコールの「ウィザードポーション」を。ゲームに出てきそうな小瓶に入ってます。 |
今回の取材陣は揃って小食だったため、あまりメニューをたくさん試すことができなかったのが残念ですが、お料理の種類は豊富で美味しそうなものばかりでした。
普通パブといえば飲み物以外はメニューもあっさりした感じであることも多いのですが、オールド・アロウさんはお料理にも力を入れているそうです。お店のアピールをされたいポイントをお聞きしたら、少し照れた感じで「食べ物が美味しいですよ(笑)」と仰ってました。
また、お店では不定期に古楽器の演奏を聴くイベントや歴史に関するトークが楽しめる英会話イベントが行われています。
こだわりの感じられる古楽器の演奏もそうですが、英会話イベントも歴史好きにはたまらない内容で、店のオープン時から協力している歴史好きなイギリス人のルークさんが毎月歴史に関するテーマを決めて、週に1回行われています。
ひと月の間は同じテーマですが、1回だけの参加でも4回続けて参加しても楽しめるように変化をつけて、何度も参加することでよりディープに楽しめるよう意識しているとのことでした。ここ最近のテーマは、「武器と鎧」、「海賊」、「古代ローマの建国」、「古楽と吟遊詩人」といった感じで、けっこうマニアックな内容も含まれているそうですよ。
10月末のいわゆるハロウィンには、お店全体でケルト式のハロウィン「サウィン祭」を行うとのこと。それもぜひお邪魔してみたいものです。
取材/文 塩田信之
オールドアロウ
http://www.oldarrow.com/index.html
※参考にこちらもどうぞ
『図解 食の歴史』高平鳴海 著
古代の狩猟を中心とした生活から、メソポタミア諸文明や古代ローマの食生活、中世・近代に至る人間の営みを食から多角的に見た豆知識集です。ローマ時代の蜂蜜酒の話や、中世の宿屋やニシン料理の話など、オールド・アロウでお食事を楽しむ際にも知っておくと話題が広がる内容が詰まっています。
『図解 中世の生活』池上正太 著
こちらは食生活に限らず、中世の人々の暮らしを幅広く扱った内容です。中世の居酒屋についてや、都市・教会や修道院・城での食事がどんなものであったかとか、中世の料理と味についてのコラムなどが参考になります。専門書ほど詳しくはありませんが、気軽にたくさんの知識を得たいという方にお勧めです。
『図解 中世の生活』池上正太 著
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