「目には目を、歯には歯を」のハンムラビ法典で知られるハンムラビ王。彼が築き上げたバビロン王朝では、マルドゥクという至高神があつく信仰されていました。
あまりなじみのない神様ですが、マルドゥクとは一体どんな神様だったのでしょうか?
『オリエントの神々』(池上 正太著)では、西洋の神々のルーツのひとつとなったシュメール・アッカド系の神々をはじめ、ゾロアスター教やマニ教の神々など、世界最古の文明の地オリエントに生まれた多様な神々を紹介しています。
今回はその中から、バビロン王朝の主神マルドゥクとはどんな神様なのかご紹介します。
目次
マルドゥクってどんな神? 姿と持ち物とは
INTRO
マルドゥクという名前を初めて聞いたという方も多いと思いますので、まずは彼がどんな神なのかご紹介しましょう。
マルドゥクはバビロン王朝の主神であり、シュメール語ではアマルトゥと表記されます。
アマルトゥとは「太陽の若き雄牛」という意味ですが、正確な名前のルーツは現在のところはっきりしていません。
バビロニアの創世神話『エヌマ・エリシュ』によると、マルドゥクは知恵の神エアとその妻ダムキナの息子とされています。マルドゥクの神話の末尾には、彼に対する50もの称号が列挙されています。
マルドゥクは神々の太陽なる息子であり、一切を創造したものであり、天地の堺を固定する木星でもありました。
マルドゥクは4つの目と4つの耳、もしくは2つの頭を持っており、その唇が動く様子は火が吹き出したようであったといわれています。もっとも、現在残されている図像では、冠をかぶり髭を生やした人間の男性の姿で描かれています。目や耳、頭が多数ある姿は、マルドゥクの聡明さを示すための形容だったといえそうです。
マルドゥクは鋤に似た三角の刃を持つマルンという武器(または農具)を持っています。また、胸には王権の象徴として、神々の運命を記した天命のタブレット「トゥプシマティ」を下げていました。
彼の最大の武器は洪水です。その力は強大で、「最も険しい山をも潰滅させ」「海の波を狂ったように掻き立てる」と表されるほどのものでした。
マルドゥクは何の神? マルドゥク神の御利益あれこれ
マルドゥクの姿は想像できましたが、一体彼は何の神だったのでしょう?
マルドゥクは元々、バビロンの都市神でしたが、後に英雄神・至高神とされるようになります。
『エヌマ・エリシュ』によると、マルドゥクは多くの神々が恐れおののく中、古き母神ティアマトが生み出した11の魔物とその司令官キングーを打ち倒したとされています。
さらにティアマトの遺骸を使って世界を創造すると、父エア神の知恵を借りて人類を生み出しました。この功績により、マルドゥクは至高神エンリルの後継者となり、全ての神々を統べる存在となったのです。
マルドゥクが英雄神・至高神となったのは、ハンムラビ王(在位 紀元前1790年~紀元前1750年)がバビロニアを統一し、バビロニア第一王朝を築き上げてからのことです。
古代メソポタミアでは、地上の王の支配権は神々から貸与されたものだと考えられていました。そこでハンムラビ王は、首都バビロンの守護神だったマルドゥクの権力を増長させ英雄神・至高神とすることで、自らの権力をも強化しようとしたのです。
マルドゥクは英雄神・至高神であると同時に多面的な神であり、様々な方面において信仰を受けています。
太陽神:マルドゥクは生命と光をもたらす春の太陽の象徴で、春に植物を芽吹かせ、再生させる力を持っていました。そのためマルドゥクは農耕の神としても崇められています。
呪術神:当時の呪術は医療とも深いつながりがあったため、マルドゥクは呪術に加え、医術の神としての機能も持っていたとされています。
王権授与の神:ハンムラビ王をはじめとする歴代のバビロン支配者たちは、即位の際に「マルドゥク神の御手を取る」儀式を行っています。この儀式はかの有名なマケドニアのアレクサンダー大王も行ったということです。
呪術神:当時の呪術は医療とも深いつながりがあったため、マルドゥクは呪術に加え、医術の神としての機能も持っていたとされています。
王権授与の神:ハンムラビ王をはじめとする歴代のバビロン支配者たちは、即位の際に「マルドゥク神の御手を取る」儀式を行っています。この儀式はかの有名なマケドニアのアレクサンダー大王も行ったということです。
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バビロンの新年祭はマルドゥク神のお祭りだった
最後に、バビロンで行われていたマルドゥク神の祭りをご紹介しましょう。
バビロンでは春になると新年祭が行われていました。この新年祭は元々、都市国家ウルで行われていたアキトゥ祭を起源としており、作物の豊穣を祈願するものだったと考えられています。
バビロンの新年祭は11日間にわたって行われます。その間、マルドゥクの像はバビロンの都市外にあるアキトゥの家という施設に移され、祭の最終日に盛大な行列を伴ってバビロンへと凱旋しました。
また祭の4日目には、『エヌマ・エリシュ』の朗読も大々的に行われています。