「賽は投げられた」、「来た、見た、勝った」、「ブルータス、お前もか」などの台詞で知られるユリウス・カエサル。古代ローマの政治家・軍人として数々の業績を残した偉人ですが、決して完全無欠の人間だったわけではないようで、実は人間味あふれるユニークなエピソードが残されています。
『帝王列記』(磯田 暁生著)では、アレクサンドロス大王やチンギス=ハーン、ナポレオン1世など、類い希なる頭脳と行動力で歴史を動かそうとした人物たちの活躍を紹介しています。今回はその中から、カエサルの持つちょっと変わったエピソードをご紹介します。
目次
ユリウス・カエサルは実は男色? 遊びほうけていた?
ユリウス・カエサルは正式名をガイウス・ユリウス・カエサルといい、紀元前100年頃に名門貴族の家に生まれました。
彼が青年になった頃のローマは政治的に不安定で、ふたつの勢力に分かれ対立を繰り返していました。内乱が続く中、当時政治の実権を握っていたスッラによって敵とみなされたユリウス・カエサルは、命からがらローマを脱出します。
長旅を経て小アジア(現在のトルコ付近)西岸にたどり着いたユリウス・カエサルは、小アジア総督マルクス・ミヌチウス・テムルスの軍団に身を隠すことにしました。
ここでカエサルに与えられた任務は、小アジア北西にあるビティニア王国への使者となることです。きちんと任務を達成したものの、この地で遊びほうけでもしたのか、カエサルはビティニア王ニコメデスの宮廷に非常に長く滞在しています。
ニコメデス王には男色の愛好家であるという噂があったため、王とユリウス・カエサルもまた深い関係にあったのではないかという憶測を呼ぶこととなりました。
当時のローマは男色に寛容ではなく、この噂は終生カエサルについてまわることとなります。
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返済不能? 巨額の借金王だったユリウス・カエサル
ユリウス・カエサルはその後ローマに帰還しますが、対立する一派に睨まれ、再び国外へ逃亡することとなります。目的地は留学先として最高といわれていたロードス島(現在のギリシャ領)でした。
ロードス島の地で、ユリウス・カエサルは教養を身につけながらのんびりと過ごします。やがて神祇官に選ばれたカエサルはローマへ帰還し、ローマ軍団の大隊長に当選しました。大隊長とは百人隊長6人を束ねる地位ですが、まだ大勢の中のひとりに過ぎず、出世したとはいえません。
ですがカエサルはすでに有名人でした。といっても、軍人としてではありません。
借金王として有名になっていたのです。
彼は服装に凝る男でした。公式の席で巻く長衣や、普段着として着る短衣のデザインを工夫し、金をかけて独自の意匠を施しました。
また女性にもまめで、高価なプレゼントを数多くの愛人に贈っています。
その他、書籍代や遊興費にもかなりの金額を使った結果、ユリウス・カエサルのつくった借金の総額は「10個軍団以上の兵士を1年間食べさせることができる」ほどだったといわれています。
皮肉にもこの借金王は、後に財務官としてスペインに赴任することとなりました。財務官とはローマの属州を統治する総督職のもとで、財務や公文書を管理する役職です。この財務官の仕事が、彼の元老院入りのきっかけにもなりました。
財務官に続き按察官となった彼は、さらなる借金を重ねます。といっても今度は金を自分のために使ったのではありません。ローマの主要幹線であるアッピア街道を修復したり、剣闘士の試合を演出するといった仕事を、公費ではなく、自ら借金することでやってのけたのです。
もはやユリウス・カエサルの借金は天文学的な金額となっていました。ですが彼は借金を全く恐れず、さらに金を借り入れて選挙資金とし、元老院議員となります。
その後の彼の活躍は、皆さんが世界史の授業でも習った通りです。
ユリウス・カエサルというとローマの偉人であり、超人的な人物のようなイメージがありますが、実際には男色の噂が立つほど遊びほうけた過去を持ち、天文学的な金額の借金を重ねる借金王でもありました。この記事を通してユリウス・カエサルという男を少しでも身近に感じていただけたら幸いです。
ライターからひとこと
天文学的といわれるほど巨額の借金を重ねたユリウス・カエサル。とても返せそうにない状態なのにお金を貸してくれた相手がいたことも驚きですが、公共事業に投資するといった借金の使い道もまた一風変わっていて面白いですね。本書では彼のエピソードや当時の時代背景をさらに詳しく解説していますので、気になる方はぜひお手に取ってみてください。