作者:東雲佑
「ああ、女化神社に行かれるんでしたら――」
バスを降りるとき、僕らは運転手さんに女化神社への道筋を聞いていた。親切な人柄が面相に表れているおじいちゃんドライバーだった。
運転手さんの説明はある種牧歌的とすらいえるほどのんびりしていたけれど、でも誰も急かしたりはしない。ここは終点で、すでに僕たち以外の乗客は一人もいなかったのだから。
「この道をまっすぐ行くと丁字路にぶつかりますんで、そこを右に折れてください。そこから歩いて、10分か15分か、まあ20分はかからんでしょう」
僕らは運転手さんにお礼を言ってバスを降りた。そして、ゆっくりと走り出す回送のバスを見送って、それから歩き出した。
前回の記事の最後で書いたけれど、バスを降りると嘘のように風景が変化した。振り返れば住みやすそうなベッドタウン、進む先には素朴な田舎の景色。
風景というよりも、時代そのものが違っているような印象すらある。
旅の目的が目的だけに、狐に化かされている気分で僕たちは道を歩んだ。静かな午後だった。だけど、通り過ぎてきた閑静な住宅街とは、やはり静けさの質が違う。
運転手さんの言っていた丁字路はすぐに現れた。女化神社の大きな看板が信号の横に設置されていた。ようやくここまで来たのだと、妙な感慨を覚える。
さらに進むと、県道48号という片側二車線の大きな道路にぶつかる。その道路を渡ると、横断歩道のすぐ先に正体不明の祠があった。また少しだけ時代を遡上したような気がした。
歩く。道幅が狭くなる。歩く。周囲の建物の築年数が古くなる。歩く。茂みが、それこそ狐が飛び出して来そうな茂みが道の横に広がっている。
そして、森が現れた。進行方向の右手に、木々の密生する森が。
鎮守の森。
僕たちは、ついに異類婚姻譚の神社にやってきたのだ。
女化神社の境内は静かだった。あるいは神社という場所はおしなべてそうなのかも知れないが、なにか神聖な気配に満たされていて我知らず背筋が伸びてしまう。
それになんといっても、今回は確たる意思と意欲を持って(罰当たりな告白をしてしまうけれど、これほどアクティブな関心を神社仏閣に向けたのは生まれて初めてだ)、長い旅の果てについに到着したのだ。敬神の念はひとしおというものである。
「筏田先生に教えてあげたいね」
「うん」
妻が言う筏田先生とは、宝島社で僕と担当を同じくする筏田かつら先生のことである。僕たち夫婦を(特に妻を)可愛がってくれているノリのいいお姉さんで、パワースポット巡りや御朱印集めを趣味にしている。
この女化神社は、きっと筏田先生の琴線にも触れる。是非一度連れてきたいものである。
それはさておき。
僕らは賽銭箱にお賽銭を投げると、作法に則って二礼二拍手一礼を捧げた(この参拝作法は取材前日に重岡女史から仕込まれたものだった。回線越しにもドヤ顔が透けて見える担当に「そんなん神社関係者か新紀元社社員でもなきゃ知らねえよ!」と僕は反論したが、妻は当たり前のようにこの作法を知っていた。なんで?)。
各々瞑目して祈りやお願いごとを捧げて、それから、神社の関係者を探しつつ境内の散策をはじめる。
僕らが通ってきたのはどうやら裏参道だったらしいのだけど、社殿の裏手から正面に回ってみると、境内がかなりの広さであることがわかった。お社を背にして立つと長い長い表参道が目の前に伸びる。
参道には鳥居がいくつも立てられていた。連なり立ち並ぶ鳥居のその先を眺めていると、なんだか遠近感がおかしくなってくるというか、妙な感覚の喪失を覚える。鳥居というのは神域と俗界を隔てる結界であるというが、それは本当なのかもしれない。
お社自体はまだ新しかったけれど、女化神社はそこかしこに歴史の洗礼を感じさせる神社だった。境内のあちこちにあるお稲荷さまの祠や、それに一部の鳥居や手水舎も、すべてが美しく神さびている。
そうした中でもひときわ印象的だったのが、表参道の終わりに(つまり社殿の近くに)配置されている狛犬……ではなく、狛狐(当然だ、なんたってここは稲荷神社で、さらにいうならば狐女房の異類婚姻譚の地なのだから)。
稲荷大明神の神使である、一対の狐の石像だった。
「あっ!」
最初にこの石像の特別さに気づいたのは妻だった。
「どうしたの?」
「これ、これ! ほらここ!」
僕が尋ねると、妻は興奮した様子で狛狐の一部分を指差した。
一体なんだというのだ。怪訝な思いを抱きながらも、とりあえず僕は妻の指先を追う。
そして……。
「あっ!」
さっきの彼女と同じように、思わず声を上げてしまった。
「子狐がいる……!」
そうなのだ。
読者よ、写真をよく見て欲しい。二体の狛狐は、それぞれ子狐を連れているのだ。
「これって、女化ぎつねが人間との間につくった、三人の子供だよね」
僕は深く頷く。左の狐は二匹、右の狐は一匹、計三体の子狐がここにはいる。
なんだか感動してしまって、しばらく声が出なかった。女化ぎつねの物語にはいくつかのバリエーションがあるのだけど、生まれてくる子供は一貫して三人なのである。
今更ながら実感した。僕らは聖地巡礼を果たしたのだ。
と、そのとき。
「――あの、もし」
狐たちに見入っていた僕らに、背後から声がかけられた。
振り返ると、ポロシャツ姿のおじいさんが、にこにこと柔和な笑みを浮かべてそこに立っていた。
社務所の奥の応接室に僕らは通された。二人がけのソファーに並んで腰掛ける。どこからともなく畳と木造建築のいい匂いがした。
待つこと1、2分だろうか。さっき声をかけてきたご老人が部屋に入ってきた。僕らは揃って立ち上がりお辞儀をする。
この方こそ、今回取材に応じてくれた宮司の青木さんだった。
「新紀元社を通じて取材を申し込ませていただいた、作家の東雲佑と申します。今回はお忙しい中お時間作ってくださり、ありがとうございます」
内心ガチガチになりながらそれっぽい挨拶を口にして、どうにかこうにか名刺をお渡しする。
だって仕方ないじゃん。なにを隠そう取材なんてこれがはじめての体験なんだから。緊張するなってほうが無理がある。
だけどそんな僕に対して、青木宮司はやはりにこにこと感じのよい笑顔と態度で、終始気さくに接してくださった。あるいは職業的に培ったものなのだろうか、なんだか人を安心させるオーラの持ち主だった。
おかげでいくつか雑談を重ねるうちに僕の緊張も解けはじめて、そこからはリラックスしてお話をお聞きすることができた。
「せっかく来てくださったのに申し訳ないのですが」
青木さんはそう切り出した。
「お話しできることというのが、実はほとんどないんですよ。なにせ資料的価値のある文献なんかもまったく残っていないもので」
平成十四年に全面的な改築をしましてね。その時になにかしら出てくるだろうと私どもも期待してたんです。ところが蓋を開けたらなんにも出てこなくて、がっかりでしたよ。
そう語る青木さんは、なんだか本当にがっかりしているようだった。
「ありがとうございます。でも、なにか特別な話をお聞きしたいわけじゃないんです。女化物語の土地に足を運んで、女化町と女化神社をこの目で見られただけですごく価値のある取材になりましたから」
僕は青木さんにそう伝えた。気休めではなく、本心からの言葉だった。それにいま、こうして代々女化神社を司って来た一族の方と言葉を交わすことができた。それは僕にとって一つの大きな勲章だった。
そこから先は雑談めいた質疑応答となった。
まずは女化神社の変遷を聞かせていただいた。
大昔(鎌倉時代らしい)に稲荷大明神の神社として創建されたこの神社は、時代がくだり地名が女化と変わってから『女化稲荷社』となった。その後明治二年に祭神の名を冠した『保食神(うけもち)神社』となったが、明治17年に『女化神社』と再度名を改め現代に続く。
「明治に変遷が激しいのは、廃仏毀釈だとか神仏分離だとか、そういうのの影響でしょうか?」
「だと思いますね。なにしろ明治以前にはお寺さんが管理していた神社ですから」
なるほど、歴史だ。
それから、この神社の敷地内だけが龍ケ崎である理由。これは江戸時代の一揆の集会場だったのが原因だとか、はたまた近隣が仙台藩の領地だったことが関係してるとか、諸説聞かせてもらった。
仙台といえば、女化ぎつねの話で娘に化けた狐が「奥州から来た」と自己紹介したのを思い出す。なにか関係あるのだろうか。
「そういえば」
そこで、僕の代わりにメモを取ってくれていた妻が発言した。
「女化ぎつねの末っ子は、戦国武将になったって伝説があるんですよね。たしか、栗林……」
「ああ、栗林義長ですね」
そう、女化ぎつねの物語には続きがある。
忠七と狐が化けた女房の末っ子が(あるいはその息子、あるいはその孫が)、後に栗林義長という戦国武将となって大活躍したという話だ。この人は日本の諸葛孔明とも称されるような、たいした戦略家だったとか。
「栗林さんて苗字の家は、少ないですがまだこの近くに残ってるんですよ。5世帯くらいあったかな」
おー、と揃って声をあげる僕と妻。やはりこの町は物語と地続きになった場所だと、そう思った。
来客によって青木さんが退席を余儀なくされるまで、僕らはたっぷりとお話を聞かせていただいた。ほとんどが脇道にそれた雑談だった気もするけれど、僕にとっては充実した時間だった(帰り際には女化神社の記事が掲載されている読売新聞のバックナンバーまで持たせていただいた。貴重なものだったのではないだろうか)。
もしも僕がもっと場数を踏んだ、取材慣れしたインタビュアーだったなら。そう考えると、なんだか悔しいような気持ちも残る。
だけどその反面、はじめての取材相手が女化神社の青木宮司で良かったと、心からそう思ってもいた。
青木さん、この度は本当にありがとうございました。
こうして無事取材を終えた僕らが社務所を出ると、近所に住んでる方たちだろうか、参道で二人のおばさんが話し込んでいるのが目に入った。
青木さんとの取材の後で気が大きくなっていたのかもしれない。僕は思い切っておばさんたちに話しかけてみた。
女化町の人はみんな気さくなのか、あるいは僕一人ではなく妻もいたからか、おばさんたちは心良く僕らを会話に混ぜてくれた。やはり近所の人たちで、買い物や野良仕事の帰りにいつもお参りに来ているらしい。
僕が女化神社に取材に来た作家だと明かすと、ここの催しなら毎年の初午祭り(初午は『はつうま』と読む。稲荷神社ではポピュラーなお祭りらしい)が立派だ、ちょうどこのあいだ終わったばかりなのだと、そんなことを話してくれた(この日は4月12日で、今年の初午祭りは3月27日だったらしい。もう少し早く知っていればと、ちょっぴり悔しかった)。
そうした会話の中で、聞き逃すことのできない名前が飛び出した。
「そういえば、もう狐の穴には行ってきたのかい?」
忠七と子供たちの前から姿を消した狐女房が逃げていった先には森があり、森の中には穴があった。その穴は女化ヶ原へと通じていた。
これが狐の穴。近隣の人たちにはお穴さん、お穴さまなどと呼ばれて親しまれている、女化神社の奥の院にあたる場所らしい。
伝説に語られた場所が、いまも残っている。
「昔はよく油揚げお供えに行ったんだよ」
「やだねえ、今でもお供えしてるよ」
そんな風に話すおばさんたちに「是非行きたいです!」と言うと、彼女たちは丁寧に『狐の穴』までの道筋を教えてくれた。
「神社を出て少し行くと老人ホームがあるんだけど、その横っちょに道があるから……」
神社を後にした僕たちは、今しがた教えてもらった説明に従って道を歩いた。
目印の老人ホームはすぐに見つかった。横手の道というのも、おそらくはこれだろうというものがあった。
それは、ただでさえ静かな表通りからさらに裏手に入り込んだ、完全な生活道路だった。地元の人以外にここを通る人は、あまりいないのではないかというような。
本当にこの道でよかったのかな。少しだけ不安になりながらもとにかく歩いていると、道の突き当たりに森があり、さらにその手前に赤いものが見えた。
鳥居だった。
早足になりながら、というかほとんど駆け足になって、僕らは鳥居の前まで行った。
ロケーションはこの上なく幻想的だった。
住宅地の終わりの森の中に、導くように、誘うように、鳥居が伸びている(神道的にここはいざなうとルビを振るべきか?)。
鳥居の向こうで、森は暗い口を開けて待っている。
「まるでゲゲゲの森(※)の入り口みたいだね」
妻が言った。まったく同感である。
鳥居は新しいものもあれば古いものもあり、中には明らかに他のものとは違う時代に立てられたものもあったけど、それは雨風と歳月に曝されて朽ちかけていた。
それから、ここにも一対の駒狐がいた。女化神社のものより新しくてサイズも小ぶりだけど、それぞれ玉と筒状のもの(のちにこれは巻物であると知った)を咥えていて、いかにも『我は神の使いである!』という顔つきをしていた。
「それじゃ、行こうか」
「うん、行こう」
僕らは鳥居をくぐって森に入った。
そしてその先で、やはり鳥居が異界への入り口だというのは本当なのかもしれないと、強烈にそう思わせられる光景に遭遇した。
森の中に広場があり、そこには無数の塚や祠があった。
「うおー、うおー」
妻が、感動のあまり野生的な感嘆詞を吐いた。
だけど僕も、我が妻のたしなみのなさを嘆くことも忘れて、すっかりこの光景に見入ってしまっていた。うおー。
「すっげいね」と妻。
「うん、すごい」と僕。
内助の功、またもその言葉を思う。この感動を共有できただけでも、彼女が一緒に来てくれてよかった。
数えきれないお稲荷さんたちが神聖さを呼吸しているのか、あたりはあたかも聖域めいていた。祠も塚も、どれも古くからこの場所にあるものらしいのがわかる。
帰宅後に女化神社に問い合わせてみたところ、現在こちらの『狐の穴』では神事などは一切行われていないという。ほとんど神社の手を離れた場所であるらしかった。
だけど広場を歩いてみると、そこにはゴミなんて全然落ちていない。誰かが定期的に清掃しているらしいことが、はっきりとうかがえる。
『昔はよく油揚げお供えに行ったんだよ』
『やだねえ、今でもお供えしてるよ』
そのとき、神社で話したおばさんたちの言葉が甦った。
それから、さっき森の中で見かけた、手書きの注意看板のことを思い出した。
女化のお狐様は、いまでも地域の人に愛されているのだ。
「あ、見て見て!」
一人で散策していた妻が、なにかを見つけて僕を呼んだ。
「ほら! このお稲荷さん、狐だけじゃなくて猫もいるよ!」
嬉しそうにはしゃぐ妻の横から覗くと、たしかにその祠には、狐の像に紛れて猫の像が(というか人形が?)並べられていた。
よくこんなのに気づいたなと呆れ混じりに感心しながら、やはり彼女を連れてきてよかったのかもしれないと、そう思った。
2018年の関東は満開の桜をあっという間に見送った。全国的にも異常なまでに足の早かった今年の桜前線を、ワイドショーの見出しは韋駄天桜と称した。
さっきも書いたと思うけど、取材のこの日は4月12日だ。桜前線はもはやその背中すら遠くなり、神社境内の桜もすでに葉桜と成り果てていた。
そんな帰り道に、妻が満開の桜を見つけたのだ。女化区民会館の敷地内、道路に面した一本の木だけが鮮やかな桃色を咲かせていた。
「どうしてこの木だけ咲いてるんだ?」
なんだこれ気持ちわり! そんなニュアンスを隠しもせずに僕が言うと、「当たり前でしょ、だってそれ八重桜だもん」と呆れたように妻。
「ヤエザクラ?」
「うん、ソメイヨシノより遅く咲くんだよ」
ほら、花弁のかたちが違うでしょ? と妻。そんなこと言われたって、こっちはソメイヨシノの花弁がどんな形をしているかも知らない。
だけどそれを言うとまた呆れられそうなので、とりあえずわかったフリをしておく。わーほんとだ、全然違うね。
「綺麗だね」
夫の口にしたささやかな欺瞞には気づかず、妻はいとも素直な視線を満開の八重桜に注いでいた。
そんな彼女を見ながら、一緒に来てもらってよかったのかもしれないと、再び思った。
取材は言うまでもなく大成功だった。青木宮司は素敵な方だったし、出会った人々もいい人ばかりだった。そして女化神社には歴史が、狐の穴には物語が渦巻いていた。
来る前からわかったつもりになっていたことが、実際に来てみて確信に変わっていた。女化町は、素晴らしい土地だ。
だけど、一人でも成功していたはずの取材が大成功になったのは、自分で自分を良妻と呼ぶ、目の前のこの人のおかげなのかもしれない。
事故後不自由になった片目を軽く揉みほぐす。大きなダメージを残すこの利き目がどこまで回復してくれるのか、考えてもあまり明るい気持ちにはなれない。
だけど、僕とは違うものを見、違うものの見方をするこの人が僕の片目になってくれるのなら、それほど悲観することもないのかもしれないと、そんな風に思った。
あるいは、夫婦になるというのはこういうことなのだろうか。
※
アニメ『ゲゲゲの鬼太郎』で鬼太郎たちが暮らしている異界の森。この取材の日からちょうど10日後の4月22日には、現在放送中のアニメ第6シリーズでもゲゲゲの森が初登場した。読者の皆さんはアニメ鬼太郎、見てますか?
*作者紹介*
東雲佑(しののめ たすく)。幻想小説を得意としている。第3回なろうコンの拾いあげ作品『図書館ドラゴンは火を吹かない』が宝島社より発売中。
第2回モーニングスター大賞では『雑種の少女の物語』が最終選考まで残り、社長賞を受賞。ちなみに、第1話の作中に登場する「先日のエッセイ」とは『名前の中のストーリー』のこと。
東雲佑(しののめ たすく)。幻想小説を得意としている。第3回なろうコンの拾いあげ作品『図書館ドラゴンは火を吹かない』が宝島社より発売中。
第2回モーニングスター大賞では『雑種の少女の物語』が最終選考まで残り、社長賞を受賞。ちなみに、第1話の作中に登場する「先日のエッセイ」とは『名前の中のストーリー』のこと。
『作家と学ぶ異類婚姻譚』
第1話
読者だより①
第2話
読者だより②
『シェイプ・オブ・ウォーター』特集
第3話
作家と学ぶ異類婚姻譚 ~東雲佑の取材記 〈女化紀行 前編〉~