皆さんは「知恵の実」をご存知でしょうか。禁断の果実という名で呼ばれることもある、エデンの園に実る果実です。『旧約聖書』の中でアダムとイブが蛇にそそのかされて口にしたといわれています。
知恵の実と聞くと、りんごを思い浮かべる人も多いでしょう。アダムとイブを題材にした多くの絵画でりんごが描かれているのも事実です。
しかし、この知恵の実の正体がりんごではなく別の果物だという説もあるのです。
あのミケランジェロも、知恵の実を「とある果実」として描いています。それは、どんな果物なのでしょうか?
アダムとイブが楽園から追放される原因となった、特別な果実「知恵の実」の正体に迫ります。
目次
エデンのりんごが招いた、アダムとイブの失楽園
知恵の実については、ユダヤ教やキリスト教の聖典『旧約聖書』の中で語られています。「創世記」3章の、アダムとイブの話はあまりにも有名ですよね。神の造った最初の人間の名は、アダムとイブだと「創世記」に書かれています。神はまず土からアダムを造り、次にアダムの肋骨からイブを造り出しました。そして神は、アダムとイブをエデンの園に住まわせることにしました。エデンの園はアダムとイブのために用意された楽園だったのです。
アダムとイブの暮らしたエデンの園の中央には、2本の特別な木が生えていたといいます。これが、生命の樹と知恵の樹です。この知恵の樹にアダムとイブの運命を変える「知恵の実」が実っていました。神は、知恵の実を食べることをアダムとイブに固く禁じました。
しかし、イブは蛇にそそのかされて、知恵の実を口にしてしまいます。アダムもイブに勧められて、知恵の実を食べてしまいました。こうして2人は罪を背負い、楽園を追放されることになったのです。
このエピソードはキリスト教において大変重要な出来事ですので、多くの画家が絵にしています。絵の中のアダムとイブの手には、知恵の実を象徴する果物としてりんごが描かれていることが大半です。
ところが、創世記の中には明確に「りんご」という名称は出てきません。
はたして、アダムとイブが食べたのは、本当にりんごだったのでしょうか?
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アダムとイブが手にした知恵の実は、多くの場合りんごとして描かれています。しかし前項でお伝えしたように、聖書には知恵の実がりんごであるという記述はありません。もし、りんごでなく他の果実だとするならばどんな果実が考えられるでしょうか?
そのヒントは聖書の中に隠されています。アダムとイブの置かれた状況を確認してみましょう。エデンの園の中央で知恵の実を食べたアダムとイブは、ハッと目覚め自分たちが裸であることを知ると、すぐにそれを恥ずかしいと感じました。そのため、イチジクの葉で自分たちの腰を覆うことにした、と創世記は伝えています。このシーンにりんごの名は出てきませんが、イチジクという名前がはっきりと記されているのです。
もしも彼らが急いで体を隠そうとしたのならば、手近な木の葉を使うのが自然です。アダムとイブの食べた果実が、イチジクであったとしてもそれほど不思議はありません。
また、りんごの原産地は中央アジアなどの涼しい地方です。『旧約聖書』と関わりの深いパレスチナ地方が原産のイチジクの方がより身近な存在である点も見逃せません。
次に、りんごとイチジクが何を象徴するかという点からも検証してみましょう。キリスト教の信仰においてりんごは「知・生命・美」を象徴します。それに対しイチジクは「生活の豊かさ、豊穣、贅沢」を表すものです。知恵の実を食べたアダムとイブがイチジクの葉で覆ったのは、「豊穣」の意味合いを持つ生殖器でした。またイチジクは女性性を暗に示すものでもあります。
いかがでしょうか。知恵の実がりんごでなくイチジクであることを指し示す状況証拠がずいぶん集まっているようです。
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イチジクは聖書の中だけでなく、様々な地域で重要な樹木だと考えられていました。古代エジプトにおいて、イチジクは神々の樹でした。また、古代ギリシアやローマでもイチジクを聖なる木として崇めています。北部アフリカでは、イチジクの実は豊穣の象徴だけでなく、現世と祖先の国を繋ぐものと信じられていました。
しかし、聖なる木と崇められる一方、イチジクに関する言葉が卑猥な意味を持つなど、不浄な木として扱われたこともあります。古代ローマの豊穣の女神の神殿にイチジクの木が生えた際には、伐採するばかりでなく神殿をも破壊したというのですから驚きですね。このように、イチジクはふたつの異なる側面を持ちますが、人間にとって大きな意味を持つ果樹だったのはまちがいありません。
これまでご紹介した通り、『旧約聖書』のアダムとイブの話はもちろん、『新約聖書』の中のキリストやユダの話にも何度も登場しています。
イチジクの原産地は聖書の生まれた地域に近く、イスラエルや地中海の沿岸です。そこではイチジクの木が4000年ほど前から栽培されており、古くから人間と深く関わりのある木でした。これらのことから、知恵の実はりんごでなくイチジクだという可能性も、十分に考えられるのです。
実際にルネサンス期のイタリアでは、りんごではなくイチジクを知恵の実として描いた例があります。16世紀に活躍した美術界の巨匠、ミケランジェロの描いたシスティーナ礼拝堂の天井画には、知恵の実の象徴としてアダムとイブがイチジクを手にしている姿が描かれているのです。
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