異類婚姻譚ってなんだろう?
。書き出しから個人的な身の上話ではじめてしまうのもなんだか面映ゆいのだけれど、2017年の年末に僕は車に撥ねられた(それもかなり強烈に撥ね飛ばされた)。幸いにも命に別条はなかったものの、しかし他のあらゆる面で影響は出た。というか、現在進行形で出ている。
なにしろ片方の目が使い物にならなくなっているのだ。これでは日常的な作業や簡単な家事ですらおぼつかないし、車の運転などはもってのほかである。
それにもちろん、作家としての仕事にも響いた。某出版社の担当と進めていた新作の企画が休止を余儀なくされたことなどは、まったく痛恨の極みといえる。
さて、そうした折にチャンスをくれたのが新紀元社さんだった。第2回モーニングスター大賞の社長賞に関することでメールのやりとりをした際に、このパンタポルタでの連載オファーを頂いたのだ。
「お申し出はすごく光栄なんですが、小説の仕事はいまちょっと無理そうなんです」
後日、僕が事情を説明して電話越しに頭を下げると(この時には既に連絡手段は通話へと移行していた)、受話器の向こうの担当者は、いえ、小説でなくてもいいんです、と言った。
「ほら、たとえばエッセイなんてどうですか?」
先日のなろうのエッセイ、良かったですよ。パンタポルタ担当編集の重岡女史は、そう言って朗らかに笑った。
彼女のいう『先日のエッセイ』とは、パソコンでの作業が出来なくなった僕がスマホでの執筆に慣れるために投稿した一種の習作で、自分ではよく書けたと自負している。
「テーマを一つ決めて、毎回それについて書いてもらうんです。それで、これはわたしの個人的な要望ですけど……」
そう前置きしてから重岡女史は続けた。
「わたしは東雲先生の書く異類婚姻譚とか、読んでみたいです」
「いるいこんいんたん」
間抜けそのものの声で繰り返した僕に、重岡女史は楽しそうに、はい、と応じた。まだ見ぬ彼女の笑顔が回線越しに見えたような気がした。
「異類婚姻譚っていうのはさ、要するに人間が人外の存在と結婚したり恋に落ちたりする話のことだよ」
重岡女史との通話の後、物を知らない僕に異類婚姻譚という概念を解説してくれているのは、同じ「小説家になろう」出身作家の二宮酒匂先生だった。
二宮先生と僕とは自他共に認めるライバルであり、また親友でもある(さしずめフィッツジェラルドとヘミングウェイのような関係とでも言おうか。あまりに親密であったが為に妻にゲイの疑惑を持たれたところまで同様である)。
木曜日の午後、500キロを隔てた土地から講義は発信されている。インターネットのチャットを介して。
「ポピュラーどころだと雪女とか鶴の恩返し、安倍晴明の母親の葛の葉狐なんかもそうだね。古今東西、それこそ新旧
漫画の『魔法使いの嫁』とかストレートに異類婚姻譚だよね、と二宮先生は言った。
「てかさ、図書ドラ(※1)のユカとリエッキなんかもそれじゃない? あの二人は恋愛なのかわかんないけどさ」
「あー」
思わずポンと手を叩いた。灯台下暗し、まったく「あー」である。
「自覚してなかっただけで結構あるんだな、異類婚姻譚。考えてみりゃ二宮さんの自販機(※2)とかきつねよめとかまさにそれだし。……あ、舌切り雀とかもそう?」
「あれは結婚も恋愛の要素もないでしょ。でも、いい線ついてるよ。日本では昔から異世界や異種族と関わると幸を得るって信じられてるようなところがあって、物語のモチーフとしても人気だったんだよ。鬼ヶ島出征で宝を得た桃太郎とか、酒呑童子退治で英雄になった源頼光とかね。『異種族との交わりが幸せを呼び込む』っていう大きなくくりの中でなら、舌切り雀も異類婚姻譚の仲間といえるかも」
なるほど、なるほど。さっきからうなずくことしきりの僕だった。
この二宮酒匂という男、とにかく多方面に博識なのである。歴史や文化については仲間内屈指のエキスパートで、一度などは自著の中で神主が誦える祝詞を自作したことすらあるほどだ。
はて、とそこで僕はあることに思い至る。ならば現在隆盛を誇っている異世界転生ジャンルも、ルーツというか広い枠組みで見たら異類婚姻譚のお仲間ということになるのだろうか?
日本人の物語的な趣味嗜好は太古から一貫しているのかもしれないなあ。
「そうかもね。でもまあ、今回のテーマは異類婚姻譚みたいだし、いまはそっちひとつに絞って考えたほうがいいかも。追求しはじめると面白そうだけどね」
「うん」
「あと、もうひとつだけ。さっきはああ言ったけど、『異界的な存在との交わりが幸運と結びつく』って言い切っちゃうのは、実はこれってかなり一面的な神話観なんだよね。連載でやるなら『神話の裏の顔』も是非しっかり取り上げてほしいな。その方が内容が充実すると思うし」
神話の裏の顔、とタイピングで復唱する僕。
そう、裏の顔、と二宮先生。
「とにかく頑張ってね。私も協力するからさ」
親身な友人にありがとうと礼を言い、僕はSkypeのチャット窓を離れた。
2月の短命な夕暮れは、すっかり夜の領域へと沈んでいた。
「いるいこんいんたん」
「そう、異類婚姻譚。簡単にいうと、人間が人外の存在と結婚したり恋に落ちたりする話のことだよ」
夕食後のリビングで二宮先生からの受け売りをドヤ顔でパクって、「知ってた?」と問うてみる僕。
しかし僕のささやかな期待に反して、妻はいとも呆気なく「知ってた」と答えた。
「というかびっくりだよ、作家のくせに異類婚姻譚も知らなかったの? ラノベにも漫画にもありふれてるモチーフなのに」
興味の向かないものにはとことん無知だよね。呆れを通り越して半ば感心したように妻が言った。
「あ、ありふれてるからこそ、それが異類婚姻譚ってものだと今までは意識してなかったんだよ」
慌てて詭弁を弄する僕だった。
「それに、今は興味津々だよ。なんたってそれをテーマにした連載を打診してもらったんだから」
「異類婚姻譚で?」
「そう、イルイコンインタンで」
僕は再びドヤ顔を取り戻してうなずいた。(どうでもいいけど、異類婚姻譚って何度も言ってると変な気分になってくる。イルイコンインタン、イルイコンインタン……なんだか旧支配者の眷属でも呼び出せそうだ)
「でも新紀元社さんって、創作系の資料で有名な出版社さんだよね? それで、パンタポルタはそんな新紀元社さんが立ち上げた、確かな知識に基づいた読み物を掲載してるウェブサイト」
打ち合わせもしていないのに、なんだろうこの説明的な台詞は。
「あるの? 確かな知識?」
「ないよ」
あっさりとそう認めた僕に、妻が今度こそ唖然とした顔になる。
「だから、知識はこれから連載を通して身につけていくんだよ。僕も、それから僕の連載に付き合ってくれる読者さんたちもね」
はてな顔になる妻。
僕は連載の構想とその趣旨を説明する。
「考えたんだ。付け焼き刃の知識で取り繕っても面白い連載にはできないって。だったらいっそ知識ではなく無知をさらけ出して、そこから一生懸命学んでいく実況的なエッセイなんてどうかって考えたんだ。僕という無知な作家が学び、そしてそれを読む読者もまた共に学ぶんだ」
知識よりも無知を。うん、そのほうがきっと僕らしい。
「一緒に勉強、かあ。なんだか学校みたいだね、それって」
「そうだね。でもそのほうが楽しく知識が身につく気がしない? それに教師のアテもついてるんだ」
どうせ二宮さんでしょ、と妻。へへへ、僕は笑って誤魔化す。これでも笑顔には自信があるほうなのだ。
「なんだか他力本願だなあ。でもまあ、面白そうではあるね。それに二宮さんなら安心だし。だけど、頼りにしきっちゃダメだよ?」
これはあくまでも東雲先生の連載なんだからね、と妻。今度は僕も笑って誤魔化したりはしない。真摯に受け止めて、素直にはいと返事をする。
ちょうどその時、2階から降りてきた飼い猫がリビングに入ってきて、僕と妻に向かって夜の挨拶をした。
「ねえ、人間と猫が結婚する伝説とかもあるのかな?」
うりうりと猫をあやしてやりながら妻が言った。
その様子を見ながら、たぶんあるんだろうなあ、と僕は思う。それから、はやくその物語に会いたいな、とも。
連載の構想を簡単な企画書にまとめて重岡女史に送ったのは翌日のことだった。
はたして、メールの送信から10分と待たずに着信はあった。
「大変いいと思います!」
型通りの挨拶(お世話になっております、新紀元社の重岡です、というあれだ)も完全に省略して、開口一番に彼女はそう言った。というか、ほとんど叫んだ。
「そ、そうですか?」
「はい!」
「そうかあ……いや正直、かなり特殊なコンセプトだよなあって自分でもわかってたので、こう……」
「冒険だなあって?」
「うん」
「だから、この企画は通らないかもなあって?」
「うん、まあ……」
「とんでもない!」
重岡女史は力強く言いきる。それから、いいですか東雲先生、と彼女はさらに言った。
「いただいた企画はパンタポルタの理念に合致してるんですよ。すっごく」
ーー「パンタポルタ(phantaporta)」とは、ラテン語で“幻想”を意味する「phantasia」と、“扉”を意味する「porta」を組み合わせた造語です。ファンタジーに関わるあらゆる情報に門戸を開き、世界中へ発信するためのポータルとなることを願って名付けました。
以上、パンタポルタAboutページからの引用(というかコピペ)である。
「『作家が教える』とか『作家に学ぶ』っていうのはたくさんありますけど、『作家と学ぶ』はあまり聞いたことがないですし、これって新しいかもです!」
それにこれなら固くならずに楽しく読んでもらえるでしょうし、ひいてはそこからファンタジーに親しんでもらえると思うんです! と重岡女史。
耳に当てたスマホまでもが熱を帯びるほどの(充電しながら通話してたのも原因かも)ファンタジー普及への熱意に、これが新紀元社の編集者というものかと、僕はちょっとした感動を覚える。すごいなぁ、ガイアの夜明けとかで取り上げてくれないかなぁ。
しかしともかく、短い連載ではあるが企画は通った。実際にはまださらに上部のゴーサインが必要らしいが、大丈夫です! と重岡女史は請け負ってくれた。ありがたい担当さんである。
「あ、そういえば」
電話を切る直前、女史が思い出したように言った。
「タイトルはどうしましょうか。このエッセイのタイトルです」
「タイトルかあ……」
タイトルなんて、僕も全然考えていなかった。
だけど問われた次の瞬間には、それじゃあこんなのどうですか? と口をついて飛び出したものがあった。
重岡女史がさっき言ったように、『作家が教える』はたくさんあっても、『作家と学ぶ』はあまりないのだ。
全5回の連載、『作家と学ぶ異類婚姻譚』はそのようにしてはじまった。
読者の皆さん、どうぞよろしくね。
※1
宝島社から発売中の現時点での僕の代表作『図書館ドラゴンは火を吹かない』のこと。語り部の少年と少女の姿のドラゴンが仲良く旅をしていく物語である。
図書館ドラゴンは火を吹かない
宝島社
著者:東雲佑
イラスト:輝竜 司
※2
カドカワBOOKSより出版の二宮酒匂著『幼馴染の自動販売機にプロポーズした経緯について。』のこと。優しく愛嬌のある自動販売機の精と少年の恋物語という、まさしく今回のテーマにうってつけの1冊。
カドカワBOOKS/株式会社KADOKAWA
著者:二宮酒匂
イラスト:細居美恵子
*作者紹介*
東雲佑(しののめ たすく)。幻想小説を得意としている。第3回なろうコンの拾いあげ作品『図書館ドラゴンは火を吹かない』が宝島社より発売中。
第2回モーニングスター大賞では『雑種の少女の物語』が最終選考まで残り、社長賞を受賞。ちなみに、作中に登場する「先日のエッセイ」とは『名前の中のストーリー』のこと。
東雲佑(しののめ たすく)。幻想小説を得意としている。第3回なろうコンの拾いあげ作品『図書館ドラゴンは火を吹かない』が宝島社より発売中。
第2回モーニングスター大賞では『雑種の少女の物語』が最終選考まで残り、社長賞を受賞。ちなみに、作中に登場する「先日のエッセイ」とは『名前の中のストーリー』のこと。