あ唐突に宣言してしまうけれど、僕がこの文章を書いている今は2018年3月5日の午後3時18分である。連載第一回目の公開日は3月7日(このままなにも問題がなく順調に事が運べば、だ)の予定なので、隔週連載で第二回目用のこの原稿が掲載されるのは3月21日ということになる。
つまり今この文章を『書いている』僕と『読んでいる』あなたとの間には、最低でも16日間の時間の距離が横たわっている。そしてその差は、開くことはあっても縮まることは決してない。
なぜならあなたの時間は一つしかなくて、この僕の時間もまた一つしかないからだ。
……と、持って回った言い方をしてみたけれど、要するに伝えたいのは『いまは3月5日のおやつどきですよ』ってことだけである。カッコつけてどうもごめんなさい(だけどカッコつけられるときにつけておきたくなる僕の立場とか気持ちも、ちょっとでいいから汲んでくれると嬉しい)。
さて、しつこいようだが現時刻は3月5日の15時過ぎだ。
曇りガラス越しに午後の日差しを浴びながら、僕は電話を待っている。スマホが着信音を鳴らすのを今か今かと、待っている、待っている、待っている。
――鳴った。
「もしもし! 新紀元社の重岡です!」
「心得ております! さらに言えばお待ちしておりました!」
若干おかしくなったテンションで僕が言うと、重岡女史は溌剌と「お待たせいたしました!」と応じてくれた。
「いただいた第一回分原稿、チェック完了です! 連載は予定通り明後日からで、夕方にはTwitterの公式アカウントで告知も打ちます!」
いえーい、と僕は言った。
いえーい、と重岡女史も言った。
物理的な距離さえなければ、きっと我々はハイタッチさえ交わしていただろう。
「はー、いよいよ連載の日取りまで本決まりか。しかしとにかく、これでようやく一安心です」
「なに言ってるんですか、本当の戦いはここからですよ」
頑張りましょうね。意気込みも新たにそう言った女史に、頑張ります、と僕。
僕にとっては、この瞬間こそが真に連載開始の時だった。記念碑はここに建てられた(たった五回の連載に大げさな、とかは言わないで欲しい)。
読者よ、親愛なる16日の未来の読者よ。とにかくこれで、あなたを17日は待たせずに済みそうだ。
「そういえば東雲先生、いま、テレビって点けてます?」
と、そのとき重岡女史が言った。
点けてない、と僕は答える。
「そうですか。いまね、ワイドショーはどこもアカデミー賞の話題で持ちきりなんですよ」
ああ、そういえば、と僕は思う。
しつこくしつこく念押しするけど(3回目、これで最後だ)、今日は2018年の3月5日。
第90回アカデミー賞の授賞式は、日本時間ではこの朝から始まっている。
「それでさっき、私の大好きな監督の作品が監督賞はじめ4部門も受賞したんです。ギレルモ・デル・トロ監督、ご存知ですか?」
「ギレルモ監督って、確か『パシフィック・リム』の人ですよね?」
重岡さんの趣味ってなんかやたら男らしいですよね、と茶化す僕。詳しくはまた後述しようと(というか暴露しようと)思うのでいまは書かないけれど、とにかくこの重岡編集という女性、ゲームやらなにやらの趣味も妙に男っぽいところがある。
「パシフィックリムは確かに男の子向けですけど、どちらかというとデルトロ監督の描くゴシックファンタジーがすごく好きなんですよ。パンズラビリンス、名作です! ……と、話が逸れましたが、今回4部門受賞した『シェイプ・オブ・ウォーター』が、ちょっと私たちに関係あるんですよ」
どういうことです? と作法に則って質問する僕。
重岡女史は、ふっふっふ、と笑って続けた。
「1960年代冷戦下のアメリカ、政府の研究施設で下働きしている女の子が、研究目的で捕らえられている半魚人と出会って心を通わせ……というのが『シェイプ・オブ・ウォーター』のあらすじなんですが、これってつまり……」
「あー、つまりつまりつまり」
ここまで言われたらいくらなんだって鈍い僕にもわかる。
僕の反応に、電話の向こうで女史がニヤっとした気配があった。
「ええ、つまりそういうことです。東雲先生、もしかしたら異類婚姻譚のムーブメント、来ちゃってるかもしれません」
なるほど、と僕は言う。なるほど。
いや、さすがに世界一権威のある映画賞(かつて世界のクロサワも受賞したあのオスカー)とネットの場末の短期連載を結びつけるのは我田引水にも程があろうが、しかしなんにせよ幸先はいい。
「来ちゃってたらいいなあ」
「来ちゃってたらいいですよねぇ」
それが希望的観測よりもなお現実から遠い願望であるとは互いに了解していながら……というか了解していたからこそのほほんと呑気に、僕と重岡女史はまるで日向の老人のように(でなければ筋肉少女帯の歌詞のように〔※1〕)「いいなあ」「いいよねえ」と言葉をやりとりした。
大成功なんて贅沢は言わないからささやかに奮うといいなと、大反響なんて欲張らないから少しは反応あったらいいなと、きっと我々はそんな思いを共有していた。
月曜日の午後はそのようにして暮れていく。
「……大反響ですよね、これって」
「……大反響ですね」
水曜日、僕と重岡女史はまたしても通話中である。
回線の向こうで、女史の声は少しだけ強張っている。そして、おそらくは僕の声もまた。
水曜日。我々がのほほんと言葉を交わした月曜日から2日後の、つまり連載開始日である3月7日の水曜日である。遡ること数時間前の午前9時台に、早くも第一回の原稿は掲載されていた。
反響はあったか?
あった。それも、かなり盛大にあった。
「閲覧数、ちょっと驚くほど伸びてます。それにこれはそちらでも確認されてると思いますが、感想や言及してくださってるツイートも、かなり」
ありがたいなあ、と僕は思う。これは本当に、心の底から。この場を借りてあらためてお礼申し上げます。連載第一回を読んでくださった皆様、本当にありがとうございました。
話を戻すが、とにかく連載は大反響で迎えられた(しつこいかもしれないけどありがたいばかりだ。読者の皆様、愛してる)。『少しは反応あったらいいなあ』程度の期待は良い方面に裏切られた。
では、これは成功だろうか?
……それがそうとも言い切れないのが、我々の声が揃って固くなっている理由だった。
「……でも、なんで?」
互いに共有していながらそれまで言葉にされなかった疑問を、僕が代表して口にした。どうせいつかは言わなければいけないことだった。受話器の向こうで同意するように沈黙の気配が揺れた。
そうなのだった。望外の反響を受けまたそれに感謝していながら、しかし僕らはその反響の要因や理由を把握できていなかった。
「……第一回目は前置きとか挨拶に終始した内容で、こう……」
「……はい。ぶっちゃけてしまうと、まだ何一つ『学んで』ないですよね……」
この女ほんとにぶっちゃけやがったな! と僕は思った。でも実際その通りなのだから反論はできない。
「と、とにかく! ここはもう遅れを取り戻すつもりで、急いで学びましょう! 幸いにもすでに読者からの投稿が来てますから、まずはそれをもとに!」
「ああもうどこまでもありがたい読者様たちだなあ!」
読者よ、親愛なる読み手よ、ありがとう。よかったらこれからもよろしくお願いします。
さて、とにかく。
「学ぼう!」
「学びましょう!」
そういうことになった。
∞~~~∞~~~∞~~~∞~~~∞~~~∞
ペンネーム『天麻』さん
神さまと人の異類婚姻譚でしあわせな結末のものについて知りたいです。
神さまと人の異類婚姻譚でしあわせな結末のものについて知りたいです。
「よかった! なんとか手に負えそうなお題だ!」
「ファイトです!」
さて、神様が相手というとパッと思いつくのはなんといってもギリシア神話だ。でも日本の神話もギリシアと同じ多神教的な世界観だし、探せばザクザク見つかりそう。
それに日本なら神話までいかなくても、民話レベルにも無名の神様がいっぱいいる。
神様が身近な世界観って作家に優しいなあ! ビバ八百万!
他にもアフリカとかポリネシア神話も人と神様の距離が近かった気がする。
同じく多神教の神話といえばインド神話や北欧神話、イスラム以前のエジプト神話も当てはまるけど、そこらへんは人と神との交わり自体が薄いというか、神様の色恋沙汰は神様同士で完結してしまっているイメージがある。
中国神話は……ごめんなさい、実はあんまりよく知らないのだ(だって出てくる神様の名前がみんな漢字で覚えられないんだもん)。
しかし……。
「神様と人の異類婚姻譚ってことならかなりたくさん見つかりそう。ただ、幸せな結末となると……」
「そうですねぇ。そもそも異類婚姻譚ってジャンル自体、悲劇的な結末のものが多いですしね」
うーん、と悩みこむ作家と編集者。
と、そのとき記憶の扉が開いた。
「神は神でも魔神なんだけど、前に二宮さん(※2)から女魔神と添い遂げた王子の話を聞いたことがあった」
これは千夜一夜物語の第807夜から第814夜で語られる『ヌレンナハール姫と美しい魔女の物語』の後半部分にあたる。
この物語の主人公であるフサイン王子は、物語の前半部分では美しい姫の心を射止めることに必死になり、後半では姫よりもさらに美しい女魔神にコロッと乗り換える(要約が過ぎるせいでとんでもない男に聞こえるかもしれないけど、この女魔神はフサイン王子をずっと慕っていたことが作中で語られている。つまり魔神の恋が実ったのだ)。
女魔神と結ばれた後も物語は続くが、内容は王子にとっても女魔神にとっても幸せなものだ。王子は大臣らに唆された王様(王子の父親だ)により命を狙われるが、魔神たちの力を借りて反撃。
最後は新しい王となって、末永く女魔神と暮らしましたとさ。
この物語の主人公であるフサイン王子は、物語の前半部分では美しい姫の心を射止めることに必死になり、後半では姫よりもさらに美しい女魔神にコロッと乗り換える(要約が過ぎるせいでとんでもない男に聞こえるかもしれないけど、この女魔神はフサイン王子をずっと慕っていたことが作中で語られている。つまり魔神の恋が実ったのだ)。
女魔神と結ばれた後も物語は続くが、内容は王子にとっても女魔神にとっても幸せなものだ。王子は大臣らに唆された王様(王子の父親だ)により命を狙われるが、魔神たちの力を借りて反撃。
最後は新しい王となって、末永く女魔神と暮らしましたとさ。
「一神教のイスラム世界においてジン(イスラム世界の魔神、魔人、精霊。ちなみに男のジンをジンニー、女のジンをジンニーアと言う)が宗教的な意味での神であるわけないとは思うけど、細かいことは気にしないってことで……どうですかこんなんで!」
「お見事です! 大変良いと思います! かなり学んでます!」
学んだー。
∞~~~∞~~~∞~~~∞~~~∞~~~∞
「ところで東雲先生」
「はい、なんでしょう?」
不意に声のトーンを変えた重岡女史に、僕は素直に返事をする。素直さは僕の美徳の一つだ。
「これだけの反響、皆さん今回の連載に期待してくださってると思うんですよ」
「そうですね。ありがたいことです」
「それで、そんなに期待してくれてる読者を2週間も待たせちゃうのは胸が痛みますし、今回に限って第二回の前にさらにもう一話掲載しませんか?」
さしずめ第1.5回みたいな、と重岡女史。
「うーん、確かに『せっかくだし鉄は熱いうちに』という気持ちは僕にもあります。でも、残念ながら原稿がありません。僕は筆も遅いから、今から第二回と並行して書くのは、ちょっと」
「原稿ならあります」
瞬間、編集者の編集者的な笑みが見えた気がした(同業者ならわかってくれようが、ろくなもんではない)。
「いいですか。この電話を切り次第、すぐにさっき学んだ内容(つまりあなたが今読んでいるこの内容だ)をまとめてください。それに一昨日送ってもらった原稿を合わせればちょうど一回分の文章量になるはずです」
ちょっと待ってくれ、と僕は言った。
「一昨日送ったやつって、僕が『16日後の読者よ』とかカッコつけてたやつ? それを、再来週じゃなくて来週掲載するの?」
「はい」
「や、やだよ! そんなことしたら16日が9日に、絶対縮まらないとか言った時間がすごい縮まっちゃうじゃん!」
そんなの全然カッコよくない。というか、カッコつけた分だけカッコ悪い。すごく。
「やだ! 絶対やだ! 断固拒否します!」
「でもここで更新しないのは大きな機会損失ですよ! ちょっとカッコ悪いくらいのことは我慢してください!」
「だって重岡さん隔週って言った! 隔週って言ったじゃん!」
「確かに言いました。だけど大人は時に嘘をつくものです。いえ、大人は嘘つきではなく、ただ間違いをするだけ……」
「なに荒木先生(※3)みたいなこと言ってんだよ! だいたい声の感じからしてあんた僕より年下だろ!」
「だったら東雲さんが少し大人になってください」
重岡女史は……良好な関係を築いていたと信じていた担当はにべもなかった。
「あ、そうだ! せっかくだから今回みたいに読者投稿で学ぶのをコーナー化しましょう! コーナー名は『東雲佑の読者だより』なんてどうですか? お便りと頼りをかけてみたんですけど」
「やだー! やだー! そんな僕の他力本願さが強調されたようなコーナー名はいやだー!」
せめて『読者と学ぶイルイコンインタン』とかにしてくださいと僕は言ってみたのだけど、長いからダメとばっさり却下された。
結局、こちらの要望は何一つ聞き入れられないまま通話は終わり、僕はいま真新しい痛みを胸にこの原稿を書いている。というか、書かされている。
こんなのは創作活動じゃない。ただの文学的雪かきだ。
読者よ、親愛なる読み手よ。
こんな僕を哀れと思うなら、次回もどうかよろしくね。
※1
筋肉少女帯の『マタンゴ』という曲の中に似たようなやりとりがある。ちなみにこの原稿を読んだ重岡女史には「この曲って『爺さんはいい塩梅』ですか?」と聞かれた。なんでそんなん知ってるの?
※2
第一回を読んでくれた方にはおなじみの二宮酒匂先生のこと。
※3
『ジョジョの奇妙な冒険』の荒木飛呂彦先生が作中の矛盾について謝罪した時の言葉。
*作者紹介*
東雲佑(しののめ たすく)。幻想小説を得意としている。第3回なろうコンの拾いあげ作品『図書館ドラゴンは火を吹かない』が宝島社より発売中。
第2回モーニングスター大賞では『雑種の少女の物語』が最終選考まで残り、社長賞を受賞。ちなみに、第1話の作中に登場する「先日のエッセイ」とは『名前の中のストーリー』のこと。
東雲佑(しののめ たすく)。幻想小説を得意としている。第3回なろうコンの拾いあげ作品『図書館ドラゴンは火を吹かない』が宝島社より発売中。
第2回モーニングスター大賞では『雑種の少女の物語』が最終選考まで残り、社長賞を受賞。ちなみに、第1話の作中に登場する「先日のエッセイ」とは『名前の中のストーリー』のこと。
『作家と学ぶ異類婚姻譚』
第1話