中世ヨーロッパの城塞都市に暮らした人々は、どんな教育を受け、どのような暮らしを送っていたのでしょうか?
『図解 城塞都市』(開発社 著)では、中世ヨーロッパの城塞都市に暮らした人々の様子や、当時の攻城戦兵器・戦術などを図解でわかりやすく解説しています。今回はその中から、城塞都市の教育機関と牢獄についてご紹介します。
目次
勤勉どころか追いはぎ・殺人も 城塞都市の教育機関
14世紀頃になると都市では急速に教育機関が発展し、領主をはじめ裕福な家の子供たちは学校や家庭教師を通じて教育を受けるようになりました。領主の息子は男子のための修道院付属学校に通ったり、貴族の家で騎士見習いとなるなどして、読み書きや基本的なマナーなどを習います。裕福な家庭の娘も、女子のための修道院付属学校に通ったり、専属の家庭教師をつけて教育を受けるなどしました。裕福でない家庭の子供のための学校として、フランスやドイツには「リトル・スクール」が設けられています。そこでは宗教やマナー、歌、ラテン語や計算といった内容が学習されており、男女は一緒に学んでいました。
やがて時代が進むと、ドイツでは「シュタットシューレン(国の学校)」、イギリスでは「グラマースクール(伝統的教育機関)」といった男子校が設置され、より高度な教育が行われるようになります。
黒死病(ペスト)が落ち着くと、ヨーロッパ各地に大学やカレッジが創設されるようになりました。代表的なものには、1348年創立のプラハ大学、1379年創立のオックスフォードのニューカレッジなどがあります。大学によって授業内容には特色があり、フランスのパリ大学は神学、イタリアのボローニャ大学は法学、サレルノ大学は医学で有名でした。
当時の大学は現代の大学とは違い、大学としての特定のキャンパスを持ちません。授業は教会や教師の借りた部屋などで行われていました。大学とは物理的な場所を指す言葉ではなく、学生ギルドと教師ギルドの相互団体という意味合いだったのです。
当時、大学で学ぶ学生たちは必ずしも勤勉とは限りませんでした。学生のほとんどは聖職者でしたが、追いはぎや淫行、暴行、さらには殺人を企てる者もいるなど、大学生活は荒れていたといわれています。中には「難しい問題を出した試験官を刺し殺すことを禁じる」といった宣言を出さなければならないケースすらありました。
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どこにあったの? ダンジョン=牢獄の秘密
城塞都市では、捕虜や囚人は城のどこに収容されていたのでしょうか? ファンタジーRPGなどではよく、城の地下牢に閉じ込められたキャラクターを救出する場面が描かれますが、現実の牢獄は主塔の最上階に設けられることが多く、脱獄は非常に難しかったとされています。たとえばウェールズ公グリフィーズはイングランド王の名将ウィリアム・マーシャルに捕らえられ投獄された後、逃げ出そうとしますがロンドン塔から墜落してしまいました。城塞の中で最も高い場所はキープ、フランス語ではドンジョンと呼ばれます。このことから、「ダンジョン」という言葉は牢獄という意味も持つようになりました。
やがてルネサンス時代になると、囚人は主塔の最上階ではなく地下室に収容されるようになり、今度は地下牢のことをダンジョンと呼ぶようになります。
地下牢に収容された囚人には首かせが付けられ、逃げられないよう城の壁や柱と鉄製の鎖で繋がれます。ただし、地位の高い貴族など一部の人間はこのような扱いを受けずに済みました。
このように囚人が最上階または地下のダンジョンに投獄されるようになったのは、中世以後のこととされています。それ以前は即決裁判が基本で、罰金や、手足、耳や鼻といった身体の一部の切断、死刑といった刑罰が即執行されていたため、罪人を長期間収容する必要はありませんでした。
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ライターからひとこと
中世ヨーロッパの城塞都市の様子は、皆さんのご想像通りでしたでしょうか? 殺人を企てるような学生がいたり、牢獄は地下ではなく最上階にあるなど、意外だったかもしれませんね。本書では城塞都市の暮らしについて、他にも様々な観点からご紹介しています。ファンタジー世界に興味がある方は特に必見です。◎参考ページを読む
【タダ読み】罪人はどこに収容されたのか-『図解 城塞都市』