中世ヨーロッパと言えば、貴族の優雅な暮らしや、騎士、ギルドなどロマンチックな情景が浮かぶ時代です。
一方で、大変不潔な印象を持たれている時代でもあると思います。排泄物を道路に投げ捨てて廃棄していたことは、もしかしたらロマンチックな情景よりも先に思い浮かんでくる印象かもしれません。
そんな不潔であったとされる中世ヨーロッパにも「入浴」という行為は存在し、それは現代の私たちと同様にほぼ日常的に行われていました。
今回は、中世ヨーロッパのお風呂事情について『図解 中世の生活』(池上正太 著)を参考にご紹介します。
目次
日本とはちょっと違った中世ヨーロッパのお風呂事情
不潔という印象の強い中世ですが、当時の民衆にとって、お風呂は大きな娯楽であり、一般的な存在でした。この時代におけるヨーロッパの入浴は、日本とは違い早朝に行われていました。
これにはヨーロッパの人々が、疲れを癒すためというより身支度を整えるために入浴を行うことに起因しています。
当時の人々は、私たちと同じように機会があれば毎日入浴をしていたそうです。
貴族、平民問わずお風呂は頻繁に利用されていましたが、家に浴槽を持つ家庭はほとんどなかったため、人々は専門の風呂屋に通っていました。
風呂屋は身分を問わない交流ができる娯楽の場だったので、貧民も恩恵にあずかれるように財産家が寄付をして入浴をさせることすらありました。そのため、最下層の民衆も一か月に一度は入浴が保証されていたといいます。
入浴が定着していたことから、自身の身だしなみは比較的綺麗に保たれていたといってもよいでしょう。
◎関連記事
不潔なのが当たり前?! 城塞都市のトイレやお風呂の衛生事情
中世ヨーロッパの一風変わったお風呂屋さん
専門の風呂屋の規模も、農村の小さなものから市街地の大きなものまで様々でした。それでは、当時のお風呂はどのようなものだったのでしょうか。
農村の風呂屋は防火と水の便から川べりにあり、木桶を使った温浴、または蒸し風呂が一般的でした。
他にも、 なんとパン屋が経営する風呂屋が存在していました。パン焼き窯の熱気を利用した蒸し風呂です。客は窯の上に備えられた浴室で蒸気を浴びて汗を流し、身体を拭って綺麗にしていました。
都市の風呂屋は農村のものよりも大きく、複数の浴室を備えています。
社交場としての役割も果たしていたため、風呂屋自体の数も多く、大体の市街地には一軒の浴場がありました。
また、お風呂を楽しむだけではなく飲酒や飲食、係員による垢すりや洗髪、散髪などのサービスを受けることもできました。
都市の風呂屋にも変わった特徴があり、風呂屋は医療行為の場でもあったのです。瀉血や外科手術が行われており、風呂屋の主人は医療技術を持っていたそうです。
しかし、社交場でもあった風呂屋は犯罪の温床となっていました。
そして、中世後期の梅毒の流行による影響や売春が多く行われる場所になってしまったことで、風呂屋文化は衰退していったのです。
誰もが楽しめる娯楽でしたが、病原体の発見や、生活環境に対する衛生の概念が未発達だったことで衰退してしまった文化ともいえます。
もし衰退せずに後期も風呂屋が栄えていたら、中世ヨーロッパが不潔だという今のイメージも少しだけ払拭できたのかもしれません。
◎関連記事
技術よりも理論派だった? 迷信に彩られた中世の医術
◎Kindleで読む
ライターからひとこと
中世ヨーロッパの風呂屋は、日本の銭湯に近い部分があると思います。今はあまり見かけない銭湯ですが、見かけた際は、是非立ち寄ってみてください。おしゃべりな常連さんが、日本のお風呂事情について教えてくれるかもしれませんよ。
☆この記事の参考ページを読む
【タダ読み】意外と知らない? 中世のお風呂事情-『図解 中世の生活』