水木しげる原作『ゲゲゲの鬼太郎』のアニメでは、和歌山県の代表として活躍した一本足の妖怪です。
しかしほとんどの作品において、主役級の活躍をすることのない一本ダタラ。
今回は、そんな妖怪にスポットライトを当ててみましょう。
目次
妖怪一本ダタラは職業病にかかっている?
さて、まずは一本ダタラの姿を思い浮かべてみてください。アニメや漫画で同名のキャラクターを見たことがある方なら、ひとつ目で一本足の毛むくじゃらな妖怪を想像したのではないでしょうか。
ではなぜそのような姿になったのか、「一本ダタラ」という名前をもとに考えていきましょう。
まず「一本」というのは、一本ダタラの特徴である一本足を指します。
ではダタラとはいったい何なのでしょうか。
これには2つの説があります。
ひとつは「たたら製鉄」を指すという説。
たたら製鉄とは、ふいごという器具で空気を送り込むことにより、不純物を含んだ砂鉄や鉄鉱石から製鉄を行う技法です。
勢い余ってよろめいてしまうことを意味する「たたらを踏む」も同じ語源で、タタラを踏む姿と空足を踏む姿を重ねてそう呼ばれるようになりました。
一本ダタラを鍛冶師(タタラ師)として考える説によると、鉄の輝きを見続けた結果片目が潰れてしまい、ふいごを踏み続けた足は萎えてしまったため、このような姿になったのだといいます。一本ダタラの逸話が残る場所には鉱山跡が多いことも、この説に一役買っているでしょう。
また一本ダタラは、ひとつ目の鍛冶職人という特徴から、天目一箇神(あまのめひとつのかみ)という日本神話の神様が零落した姿だとされることもあります。
その昔、鍛冶はごく一部の人々だけが扱える技術として神聖視されていましたが、広く技法が伝わるにつれて神秘性を失っていき、 天目一箇神も妖怪に身を落としてしまったのではないかと推察されています。
しかし、機械化が進み鍛冶技術が希少となってしまった現代では、一本ダタラが再び天目一箇神へと返り咲く日も近いかもしれませんね。
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一本ダタラはダイダラボッチ?
ダタラが「たたら製鉄」であるという説をご紹介したので、次はもうひとつの説についてお話します。ダタラは「ダイダラ」という言葉に由来していると考える説です。映画『もののけ姫』で有名なダイダラボッチと同じ「大太郎」という文字を当てることができ、大人や大男を意味する言葉になります。
大男のイメージからは離れますが、四国の高知県では「山爺(やまちち)」と呼ばれる一つ目一本足の妖怪が目撃されています。
七十歳くらいの老いた外見とは裏腹に、獣を捕らえてバリバリと丸かじりにしてしまうほど元気だそうです。
穏やかで騙されやすいとされている山爺ですが、大声が自慢でどちらが大きな声を出せるのか勝負を挑んでくることがあります。
どれほど自慢かといえば、山爺の声は山中に響き渡り木の葉をふるい落としてしまう程だとか。
山爺の声の衝撃で死者も出たという話です。
山はもとより危険な場所ですが、山爺のような妖怪に対処するため、狩人などは「八幡大菩薩の弾丸」と呼ばれる弾丸を持ち歩いていたそうです。
この弾丸は山爺を狙う為の物ではなく、山爺から勝負を仕掛けられた時に「山爺が大声を出す時は耳をふさがせてもらうが、こちらが大声を出す時は目を閉じていてくれ」という条件を出すために使います。
そして目を閉じた山爺の耳元で銃を撃ち、相手が驚いている間に逃げてしまうのです。
しかし、山爺は仕返しの為に蜘蛛に化けて家へと入り込んでくるそうなので、夜中に蜘蛛を見つけたら糸を巻き取って囲炉裏に投げ込んでしまうとよいそうです。
昔から夜蜘蛛は殺せと言いますが、もしかしたら山爺の伝承が形を変えて伝わってきたのかもしれませんね。
一本ダタラとよく似た妖怪「一つ目小僧」
一本ダタラの系譜ともいえる妖怪はたくさんいます。その大半が山奥に住んでおり、自ら進んで人里に降りてくることはありません。
しかし関東地方では、旧暦の2月と12月の8日になると、ひとつ目をした子供の妖怪が里にやってくるといわれています。
そのため、この日は目の粗い竹籠などを軒先に吊るして一つ目小僧を追い払うそうです。
岐阜県ではひとつ目一本足の大入道が雪の朝に現れたという逸話があり、危害を加えることはないけれど山野で人を驚かせるといいます。
こちらは山爺と少し似た伝承ですね。
ちなみに一つ目小僧は一本ダタラ同様、天目一箇神だという説があります。
もしかしたら一本ダタラと一つ目小僧は、同じ妖怪を指しているのかもしれませんね。
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