正月といえば初詣、初詣といえば七福神ですが、七福神の神々の由来や、どんなご利益があるかは皆様ご存知ですか?
『日本の神々』(戸部民夫 著)では、招き猫や河童神、照る照る坊主など、日本に根づいた神霊とその御利益、儀式、祭具などについて具体的に解説しています。今回はその中から、七福神のひとり、大黒様についてご紹介します。
目次
大黒様の由来①古代インドから中国、そして日本へ
大黒様は正式名称を大黒天という神様で、一般的には狩衣を着て頭巾をかぶり、右手に打出の小槌を握り、左肩に袋を背負って米俵を踏まえる姿で描かれます。打出の小槌は『一寸法師』にも登場する、何でも望みをかなえてくれるという槌で、大黒様の富を生み出す神通力のシンボルです。また、肩に背負った袋の中には限りない幸運が詰まっているとされています。米俵を踏まえているのは大黒様が台所の守り神とされているからで、台所からの連想により、大黒様は豊作や家の繁栄をも司る存在として広く信仰されています。
さてそんな大黒様ですが、元は福神ではなく、古代インドの恐ろしげな神様でした。大黒様は元々、古代インドではマハーカーラという神で、マハーは「大」、カーラは「黒」という意味であることから、中国で大黒天と訳されます(大黒天の「天」は「神」という意味です)。
マハーカーラはシヴァ神の破壊の面を表した神で、凶暴な形相をした色の青黒い神像として描かれ、寺院や戦闘を守護する神とされていました。手には剣や袋、打出の小槌などを持っていたといわれます。この神が中国に伝えられてからは寺院の台所に祀られたことから、厨房の神、豊穣を司る神へと性質が変化しました。
日本に大黒様を伝えたのは、天台宗の開祖・最澄(767~822)です。大黒様は比叡山延暦寺の厨房の神として祀られ、寺院の守護神、地主神となりました。以降、天台宗を中心に多くの寺院の厨房に大黒様が安置されるようになります。ちなみに僧侶の妻のことを「だいこくさん」と呼ぶことがあるのは、大黒様が厨房を司ることと主婦が厨房を取り仕切ることの連想からきているといわれています。
大黒様の由来②大国主神と習合し、日本の神様へ
日本にやって来た当初は仏教の厨房の神だった大黒様ですが、鎌倉時代頃になると一気にイメージが変わり、庶民の間で人気を得るようになります。そのきっかけは、大黒様が日本神話の大国主神と合体(習合)したことでした。どちらも同じ「ダイコク」と発音することや、手に袋を持った姿で表されることなどが共通していたことから2神は習合し、家に繁栄をもたらす福神として信仰されるようになったのです。さらに大黒様の信仰を広める役割を果たしたのは、室町時代以降の門付け芸人たちでした。彼らは頭巾をつけて大黒の姿に仮装し、正月に家々を訪ねて踊りながら祝い言を歌唱するという「大黒舞い」を演じました。彼らが売り歩いた札や彫像、塑像は家庭の台所に祀られ、大黒様は庶民の間に広く浸透していきます。こうして、大黒様の信仰は寺院から商人へ、都市の住人へ、そして農村へも広まっていきました。
本書では、大黒舞いの際に門付け芸人たちが歌唱したという祝い言も紹介されています。
「大黒という人は、一に俵を踏んまえて、二ににっこりと笑って、三に酒つくりて、四つ世の中よいように、五ついつものごとくにて、六つ無病息災で、七つ何事ないように、八つ屋敷を広めて、九つ小蔵をぶっ建って、十でとうとう納まる御代こそめでたけれ」 『日本の神々』p.22同じ七福神でも、恵比寿神は寺院が中心となって人々に信仰を広めていったのに対し、大黒様は門付け芸人や庶民自らが中心となり周囲に信仰を広めていったという違いがあります。恵比寿神と大黒様はセットで祀られることも多い神様ですが、このように元は出自も歴史も異なる神様だったのです。
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