☆クリスマス企画☆
「聖夜に読みたいショートストーリー」にご応募いただいた物語です。
◇◇
冬の夜、夜行列車に乗ったシャーリーはふしぎな鈴の音を聞く。
母を亡くしたばかりの少女に、聖夜が見せたまぼろしとは――
夜行列車の雪の夜
作者:狸穴醒
かたたん、かたたん。
規則正しい振動が響きます。
かたたん、かたたん。
冬の夜を通して、列車は進みます。
*
シャーリーが目を開けると、薄暗闇と静寂に包まれていました。
(ここ……どこ?)
生まれて以来の十二年を過ごしたアパートでないことはたしかです。
硬いベッドの感触と低い天井、右側をふさぐ薄いカーテン。 見慣れぬ調度をひととおり眺め、シャーリーはようやく、ここが夜行列車のベッドのなかだということを思い出しました。
そして、違和感に気づきました。
ずっと感じていた一定間隔の振動が、止まっているのです。
いまが何時なのか見当はつきませんでしたけれど、夜中なのは間違いがないでしょう。
列車はぴくりとも動かず、人の気配も感じられません。駅では楽しそうな顔をした人たちが大勢乗り込むのを見たのですが、みんないなくなってしまったのでしょうか。
(そんなわけ、ないよね)
なぜ停車しているのかわかりませんが、シャーリーには関係のないことです。彼女は毛布を肩まで引っ張り上げ、目を閉じました。
しかし、眠りはシャーリーから去ってしまったようでした。
何度も寝返りを打ちました。十二月も後半、列車が走り出すときには雪がちらついていましたが、車内は暖房が効いているし、自分の体温で毛布も温まっています。それでも眠気は訪れません。
シャーリーは、二段ベッドの下の段にいるはずのおばさんの気配を探しました。
耳を澄ましていると、静かな寝息が聞こえてきました。きっとぐっすり眠っているのでしょう。
おばさんといっても、半日前に初めて会った人です。
お母さんの妹だというその人は、三十歳にはなっていないように見えました。髪を無造作に後ろでくくり、ジーンズに黒いセーターを着て、男子学生みたいなダッフルコートを羽織っていました。
昼間に警察署へ迎えにきたおばさんは、シャーリーに会うなり「ああ、姉さんにそっくりだ」と言って、黙り込んでしまいました。
それきりろくに会話は弾まず、ふたりは必要事項をぽつりぽつりと交わしただけで、地下鉄に乗り、駅でフィッシュ・アンド・チップスを食べて、列車がロンドンを離れてすぐ、それぞれのベッドに入ったのでした。
(きっと、迷惑なんだろうな)
シャーリーは考えます。
出会ってからずっとおばさんは眉間にしわを寄せ、怒ったような顔で、ときどき考え込むような様子を見せていましたから。
(急にあたしみたいな子供の面倒を見なきゃいけなくなって、困ってるよね)
お母さんが会社の帰りに事故に遭ったのは、ほんの一週間前のことです。
シャーリーが先生に言われて病院へ駆けつけたときには口もきけない状態で、朝を待たずに息を引き取りました。
昨日、アパートの大家さんに手伝ってもらってお母さんの荷物を整理していたら、赤と緑の包装紙でラッピングされた日本製のゲーム機が出てきました。明日に迫ったクリスマスのために用意してくれたのでしょう。
でも、そのプレゼントをお母さんから渡されることは、もうないのです。
不意に涙が滲みそうになり、シャーリーはぎゅっと目をつぶります。
(だめ、だめ。一度も泣かずに頑張ったんだから)
シャーリーはもう十二歳です。子供ではありません。これからはお母さんはいないのですから、人に迷惑をかけずに生きていく方法を考えなければ――
しゃん、と。
遠くで、かすかな音が聞こえました。
たくさんの鈴が一度に鳴っているような音です。
(なんの、音?)
シャーリーは身体を起こしました。少し迷ってから、脇のカーテンを開けてみます。
寝台車両のコンパートメントは壁際に二段ベッドが備えつけてあってとても狭いのですけれど、いちおう小さな窓があります。
音は、窓のほうから聞こえてくるようでした。
静かに、短いはしごを降りました。下段ベッドのカーテンはぴたりと閉じられています。
しゃん、しゃん。
鈴の音はまだ聞こえています。さっきよりも近づいているようでした。
(誰か、外にいるのかな?)
興味はあります。同時に、恐ろしいようにも思えます。
鈴の音はとても清らかなのに、聞こえるたびに、なんともいえない不安感が湧き上がるのです。
(……ううん、怖いことなんて、もう、なにもない)
一歩踏み出し、窓のシャッターを開けました。
ガラス越しのひんやりした空気が頬を撫でます。しかし冷たさに震えることも忘れ、シャーリーは外の風景に目を奪われました。
一面の、白でした。
都会ではありえないひろびろとした野原に、雪が積もっているのでした。雪原はあおじろく、真っ黒な空の下でほのかな光を放っています。
列車は野原のなかの駅に停車しているようです。ホームの小さな電灯以外、人工の灯りはどこにも見えません。
いまも雪は降り続き、あらゆる音を吸い込んで、林を、野原を、駅を、列車を、静かに包んでいきます。
しゃん、しゃん、しゃん。
鈴の音だけが、静寂を破ります。
深々と降る雪のなか、なにかが列車へ近づいてくるようです。
シャーリーは窓ガラスに頬をくっつけました。目を凝らすと、近づいてくるものの姿が見えてきました。
それは橇の一群――
闇のなかにぼんやりと光を放ちながら、何台もの橇が、列をつくってやってくるのでした。
橇を引くのは、馬ではありません。犬でもありません。
鹿に似て、大きな角の生えた、そう、あれはきっとトナカイです。しかし、動物園で見たトナカイよりずいぶん大きい気がします。
頭から生えているのは、ふつうの角ではありません。無数に枝分かれした角はトナカイの三倍くらい背が高くて、ところどころに葉っぱがついています。
トナカイたちは、頭に木を生やしているのです。
橇には、大勢の人が乗っていました。
みんな、白い服を着ています。男も女も、子供も老人もいるようですが、誰もが淡い長い髪をしていました。白い外套から覗く顔は、一様にとても美しいのです。
彼らは鞭と、長い弓を持っていました。
弓なんて映画やゲームのなかでしか見たことがありません。あんなものを現代に使う人がいるのでしょうか?
不思議なことに、これほど大勢いれば獣の嘶きや話し声でもっと賑やかでしょうに、雪の帷の向こうから聞こえるのは、鈴の音だけなのです。
橇は次々とやってきて、列車とすれ違っていきます。白い狩人たちは列車に気づいているのかいないのか、こちらに注意を向ける様子はありませんでした。
(なに……あれ……)
シャーリーは、窓の前で立ちすくんでいました。
そんなにたくさんの経験をしてきたわけではありませんけれど、この事態がふつうでないことはわかります。恐ろしくなって、シャーリーは一歩後ずさりました。
そのとき。
ひときわ大きな橇が、やってきました。
左右に別の橇を従えて、後ろに燐光の尾をきらめかせて。
大木を頭に生やした四頭のトナカイが引いています。柊の実でしょうか、丸く赤く光る粒が橇を飾ります。
その橇の上で、あたりを睥睨するように立つ人は――
背の高い女性でした。
純白の毛皮の外套をまとい、銀の髪に柊の葉を編んだ冠を飾っています。顔の輪郭は、どんな女優さんでもあり得ないような、完璧なかたちをしていました。
じきに、その橇が列車をかすめたとき。
女性の顔が、こちらを向きました。
女性は――狩人の女王は、たしかにシャーリーを見ました。
氷のかけらのような、うす青い瞳。
その瞳のなかには、どこまでも続く雪の原が、人知れぬ深い深い森が、氷に閉ざされた渓谷が、何百頭ものトナカイの群れが、そして、途方もない時間の流れがありました。
(あ……)
とたんにシャーリーは、彼らについていきたくて仕方なくなりました。
だって彼らはあまりにも堂々としていて、美しく、自由に見えるのです。誰かに頼らなければ生きていけない子供と違って。
シャーリーは、窓のロックを外しました。
(お母さんはもういない。あたしがいなくなっても、誰も悲しまない)
パジャマ姿ですし、コンパートメントに備え付けのスリッパを履いていましたが、別にかまわないと思いました。
きっとあの列に加われば、寒さなんて感じなくなるでしょう。
シャーリーは窓枠に手をかけました。
雪と風が吹き込んできます。
「待ちなさい!」
ぐいと身体を引かれ、シャーリーは振り向きました。
いつの間に目を覚ましたのでしょうか。おばさんが、シャーリーの肩を掴んでいるのです。
おばさんは外をちらりと見るなり厳しい表情で窓を閉めてロックをかけ、シャッターも閉めてしまいました。
雪原の燐光は遮られ、灯りは列車の常夜灯だけになりました。
「あ……あれ?」
シャーリーは何度もまばたきをしました。
頭のなかにかかっていた霧のようなものが、晴れるのを感じます。
「目が覚めたかい?」
「えっ……あっ……は、はい」
「そうかい。よかった」
おばさんは安心したようにため息をつき、ベッドに腰掛けました。
「この時期だからね、ああいうのがたまに出るんだよ。気をつけな」
ああいうの、というのは、白い狩人たちのことでしょうか。シャーリーは首をかしげました。
「さっきの人たちは……なに?」
「人でないものさ」
おばさんはさらりと答えました。
「安心しな。こちらから関わらなければ、手出しはしてこない。夏至や冬至のころにはああいうのがうろつくからね、昔の人はよくわかってて、怖いものが寄りつかないように火をたいてお祭りをした。教会の神さまがくるよりも前のことさ。わたしはその手の研究が専門でね、少し知ってるんだけど……」
ふとシャーリーの顔を見たおばさんは、妙な表情をして肩をすくめます。
「なんだい、興味があるのかい」
シャーリーはこくりと頷きました。
「変わった子だね。いいよ、知りたきゃ着いてから教えるさ。だけど、いまはちゃんと眠るんだ。これからいくらでも話す機会はあるんだから」
シャーリーは思わず下を向いてしまいました。おばさんはシャーリーを引き取ることを、迷惑に思っていたんじゃないのでしょうか。
と、不意に、頭に手が置かれました。
顔を上げると、おばさんは相変わらず怒ったみたいな顔をしていましたが――
「わ」
急に抱き寄せられて、シャーリーはびっくりしてしまいました。
おばさんの腕のなかは温かくて、懐かしい香りがしました。
「だからね、勝手にいなくなるんじゃない。あたしは姉さんと仲良くなかったけど、それでも……いま、すごく悔やんでる。あんたがいてくれて、よかったと思ってるんだよ。だから……」
「……はい」
おばさんはシャーリーの肩をぽんと叩き、腕をゆるめました。
いつもにこにこしていたお母さんと違って無愛想ですし、喋り方もちょっと変わっているけれど、微笑むと、目元がお母さんによく似ています。
「――おやすみ。人は眠る時間だよ。特に、子供は」
もぐりこんだベッドにはぬくもりが残っていました。さっきまであんなに目が冴えていたのが嘘みたいに、眠気が襲ってきます。
うとうとしながら、シャーリーは口を開きました。
「ありがとう、おばさん」
「おばさんはよしとくれ。わたしはアイラだ」
シャーリーはくすりと笑いました。笑ったのは、一週間ぶりでした。
「ありがとう――アイラ」
言い直すと、下の寝台から「ふん」と変な返事が聞こえました。
*
やがて列車は動き出しました。
かたたん、かたたんと、規則正しい音が響きます。
駅を離れ、雪原をあとに、針葉樹の林を抜けて。
クリスマスの朝を待つ人々を乗せ、北へ。
橇の列はいつのまにか姿を消していました。
彼らがどこから来て、どこへ行くのか。それは、誰も知らないのでした。
(Fin)
ぱん太からひとこと
かたたん、と揺れる夜行列車の車窓をのぞけば幻想的なビジョンが広がっていて……。冬の狩人と目があった瞬間ドキリとしちゃった。夜の帳をひた走るトナカイの群れと白い狩人たちが、ボクにも見えた気がするよ。エクセレント!
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