猫は年を取ると人語を喋るようになり、やがて神通力を使えるようになって猫又という妖怪になる――こんな話を聞いたことはありませんか?
『猫の神話』(池上正太 著)では、古今東西の猫にまつわる神話やエピソードを可愛らしいイラストとともに紹介しています。今回はその中から、猫又の歴史についてお話します。
目次
『徒然草』にも登場 正体不明の巨大な獣・猫又
猫又はいつから現れたのか、まずは日本人と猫の歴史を少し紐解いてみましょう。日本では、縄文時代にはすでに野生のヤマネコを飼い慣らしていたようです。
その後、少なくとも538年の仏教伝来以降に、仏典を鼠から守る存在として日本にイエネコが伝来したといわれています。
こうして日本にやってきた猫たちは、やがて貴族たちの愛玩動物となり、交配を経て独自の品種として人間の暮らしの中に溶け込むようになりました。
猫たちとともに暮らすようになった人々は、猫の持つ不思議な習性に妖しさを感じはじめます。鎌倉時代に橘成季が編纂した『古今著聞集』には、撫でると背を光らせる猫の話が掲載されています。これはおそらく静電気が原因だったと思われますが、当時の人々が不思議に思い恐れた様子をうかがい知ることができます。
こうした時代の流れを経て鎌倉時代になると、文献にはじめて猫又の話がみられるようになりました。藤原定家(1162~1241年)の『明月記』には、「猫又という獣が7~8人の人を食い殺した」という話が登場します。
また、鴨長明(1151~1213年)の『徒然草』にも、山の中に棲む猫又や老いて猫又となった猫が人を食うという記述がみられます。
これらの記録に登場する猫又はいずれも巨大な猫または猫のような獣で、後世とは違い、まだ不思議な力を持つとは考えられていません。その正体は未知のヤマネコ、大型の猿、野生化したイエネコなどだったのではないかと考えられています。
妖怪猫又は江戸の庶民がつくり出した?
猫又に関する噂は室町時代、安土桃山時代に一度姿を消しますが、江戸時代になると再び随筆や見聞録の中に登場しはじめます。しかし、その内容は鎌倉時代のものとはだいぶ異なり、次のような特徴を持っていました。・猫又の尾は2つに裂けている。
・体長も大型化し、1.5m~3mにも及ぶとされる。
・猫は、仲間と集まって踊ったり、人語を喋るといった段階を経て、化けて猫又となる。人語を喋るようになるまで10数年、神通力を使いこなすには14~15年かかる。
・猫又は神通力を使い、人に悪夢や幻覚を見せたり、死人を躍らせるなどの悪戯ができる。
・猫又が飼い主を食い殺して成りすまし、その家族に己を養わせたり、襲い掛かろうとすることもある。
このように江戸時代の猫又が妖怪として描かれるようになった理由は複数考えられます。 たとえば、庶民の間にも猫が普及し、その不思議な習性が人々の妄想をかきたてるようになったこと、5代将軍徳川綱吉(1646~1709年)によって「生類哀れみの令」が出されたことに対し、庶民たちが身近な動物である猫の怪奇譚を作って憂さ晴らししようとしたこと、中国から猫鬼や金華猫といった妖猫の話が流入したことなどです。
理由はどうあれ、人々は年老いた猫が猫又になることを恐れていました。当時は老猫の中でも、赤や黄色、黒、三毛といった毛色で尾が長いものが猫又になりやすいと考えられていたため、江戸では尾の長い猫が生まれると、幼いうちに尾を落として短くしたといいます。
いざ、妖怪猫又退治! 江戸時代に生まれた2つの物語
では江戸時代に描かれた猫又の姿がどのようなものだったのか、本書の中から2つの物語をご紹介しましょう。京都の医師・松井道円が書いた『吾妻むかし話』には、猫又退治の話が載っています。
ある日、比内大盾の城主・秋田忠次郎の奥方が入浴していると、突然巨大な獣が湯殿に乱入してきました。彼女が気を落ち着けて騒がないようにしていると獣は去って行きましたが、その後も度々襲撃が続くようになります。
そこで忠次郎はこの獣を退治しようと、湯殿で待ち受けることにしました。すると目の前に、身の丈が7尺(約2.12m)もあり、耳まで裂けた口と尖った髭を持つ法師が現れます。忠次郎が法師に斬りつけると、法師は叫び声を上げて姿を消してしまいました。
翌日、忠次郎と家来が周囲に残された生血の跡をたどっていくと、なにやら唸り声のようなものが響く岩穴があるではありませんか。そこで一行は熊手を差し入れて中の生き物を引きずり出し、叩き殺してしまいました。それは年を経た大きな猫又だったということです。
猫又退治はこのお話のようにいつもうまくいくとは限りません。1814年に刊行された『耳袋』には、こんな悲劇的な話が載っています。
とある組の同心の母親は、ある日「鰯を全部買い取るから安くしてほしい」と鰯売りに声をかけます。しかし金額が安すぎたため鰯売りが断ると、母親は見る間に化け猫のような形相になり鰯売りにつかみかかりました。鰯売りは慌てて逃げ出しますが、ちょうどその時、起き出してきた同心が母親の異様な形相を目撃してしまいます。
「ははあ、世間のいうように、母親は猫又に入れ替わられたのに違いない」と思った同心は、刀を抜くと母親をすぐさま斬り捨てました。そしてその姿が猫又に変わるのを待ちましたが、いつまでたっても変化はありません。
自分が斬り殺したのは猫又ではなく母親だったのだと悟った同心は、その場で切腹し果ててしまったということです。
これらのお話からもわかるように、江戸時代の人々は猫又を恐れていた一方、猫そのものは大いに愛され、遊女を中心に猫を飼うことがブームになったこともありました。猫は芸術にも影響を与え、歌川派の絵師・歌川国芳(1797~1861年)は数多くの猫の絵画を残しています。
妖怪猫又の話が多数語られるようになったのも、愛らしい存在である猫が不思議な習性を持っていることに、人々が大いに関心を持ったからかもしれません。
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