花といえば桜――。平安時代の頃から日本人が愛してやまない桜は、観賞はもちろん数々の作品の題材になり、そして食品としても利用され、今でもわたしたちにとって特別な存在です。一般的に桜といえば、人気の高いソメイヨシノが有名ですが、この花には、実はクローンだという話があります。
今回は 『花の神話』(秦寛博著)より、わたしたちの実生活に根ざす桜の話、そしてソメイヨシノのクローン説についてご紹介します。
目次
ソメイヨシノ以外に三百種! 日本人の精神の花
桜とは、バラ科サクラ属の植物で、一般的にはその中から、スモモ、モモ、ウメ、ニワウメ、ウワズミザクラなどの亜種を除いたものを指します。主にソメイヨシノが有名ですが、日本にはソメイヨシノを含めた約十種類の基本種からの変種が、およそ百種も自生しています。また、人の手が加えられた園芸種は、約三百種にものぼります。
奈良時代には、花といえば萩や梅のことをさしていました。桜もあったのですが、『万葉集』で桜を題にした歌は四十程度であり、萩や梅は百首を超えています。
しかし平安時代の『古今和歌集』になると、その状況は逆転します。この頃には、『枕草子』や『源氏物語』などでも「日本の花」として桜が認知されるようになったのです。
桜の花言葉は「優美な女性」、そして「精神の美」です。とくに「精神の美」という花言葉は、徳川幕府の士農工商のもとで、武士の魂としても象徴とされたことからも、日本人の心や美学をよく表している言葉といっていいでしょう。
たとえば、竹田出雲の名作歌舞伎『仮名手本忠臣蔵』では、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)が切腹する場において、桜が散る演出があるのは有名です。
これに加え、劇中では「花は桜木、人は武士」という台詞が登場し、士農工商の四階級のうち、その首位が武士であることと、花のトップが桜であることを対比させています。 武士たちは、桜の散りざまの潔さを、己の人生に照らしていたのです。
食品から薬効、木材まで! 実用的な桜の利用方法
花より団子ということで、「桜といえば、桜餅!」と答えたくなる人もいるのではないでしょうか。桜は観賞だけではなく、食品にも用いられていますよね。 桜餅は、3月3日の桃の節句に食べられます。また、塩漬けの桜の花びらを白湯に浮かべた「桜湯」は、結婚式や結納などの祝いごとの席で供されます。
かつては、桜の散りぎわに、色が急速に褪せていくことを「桜ざめ」と言っていました。 これを男女の仲がさめていくことに当てはめて縁起の悪いものだとしていましたが、現代ではこの言葉は廃れ、正反対の「(祝いごとの)花が咲く」という明るい意味合いに転じています。
なお、食用にする場合は、ソメイヨシノのような桜ではなく、色の濃い八重桜が好んで用いられています。
薬効としては、桜の香りにはクマリンと呼ばれる芳香成分があり、心を和ませたり、憂鬱を解消したり、食欲を増進させるはたらきがあります。内樹皮は漢方の「桜皮」といって、煎じてお茶にして飲み、食中毒や食あたりに使われます。
また、咳止めにもなり、プロチンと呼ばれる抽出エキスは、市販のシロップ薬などにも配合されています。 江戸時代には、桜皮を煎じて、打ち身や湿疹を治療する外用薬として用いていました。
木材としては、かつて印刷のための版木として使用されました。桜の木は柔らかいために加工がしやすく、墨の含み具合も良く、時が経過するにつれて硬くなる性質があります。 なかでも版木としてはヤマザクラの木が最上とされ、現在でも「桜にのぼす」といえば、版木印刷のことをさします。
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ソメイヨシノの消える日? 桜の「クローン」説
さて、みなさんは日本の桜を代表するソメイヨシノが、クローンであるという話を聞いたことがあるでしょうか?ソメイヨシノはもっとも日本で広く分布している桜ですが、実は突然変異から生まれた雑種なのです。
各地にあるソメイヨシノは、その最初の一本から分け苗をしたもので、遺伝子的にはまったく同じです。つまり、ソメイヨシノが「クローン桜」というのは事実なのです。
他のクローン生物の例に漏れず、ソメイヨシノもまた非常に短命です。 日本古来種であるヤマザクラの樹齢は、百五十年から長くて千年以上であるのに対して、ソメイヨシノは、なんとわずかに七十年から、百五十年です。
ソメイヨシノの名前の由来もご紹介しましょう。時は江戸時代末期、東京都豊島区駒込と巣鴨の境にある染井墓地近くに、河島権兵衛という植木師がいました。
権兵衛は、オオオシマザクラとエドヒガンの自然交配によって生まれた新種の桜を発見し、これを「吉野山から採ってきた桜」と偽って、売り出したのです。寿命が短いゆえに、生育が早く、また見事な花をつけるこの桜は、またたくまに各地に移植されていきました。
しかし、やがて吉野山の桜であるヒガンザクラ系とは形質が違うと気づく人々が現れました。そして一九〇一年、東京帝国大学の松村任三教授により「染井で売り出された吉野桜」という意味で、正式に「ソメイヨシノ」と名付けられました。
幕末から百年あまりが経過した今、ソメイヨシノはその寿命を迎えつつあります。
全国どこの樹木でもほぼ同一の性質のため、ごく近い将来、日本からソメイヨシノがいっせいに消えてしまう可能性があるのです。
現在、各地でこのソメイヨシノを延命させるべく、さまざまな対応策が練られています。
たとえば、青森県のリンゴ栽培技術を応用した策は、これまでタブーとされた桜の剪定に踏み切った画期的なものです。
桜の樹木は、「桜切るバカ、梅切らぬ馬鹿」という言葉があるように、枝を切ったり折ったりすると腐ってしまうので、園芸界ではタブーとされていました。しかしリンゴ栽培技術の応用による剪定によって、すくすくと成長させることができるようになり、その成果は弘前公園で見ることができます。
ソメイヨシノは海外でもとても愛されている桜です。
もはやわたしたち日本人の春のみならず、世界の人にとっての、美しい春の花なのです。
以上、ソメイヨシノと桜についてご紹介しました。
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ライターからひとこと
ここでは紹介しきれませんでしたが、桜の精や、『日本書紀』に登場する「木花之佐久夜毘売(このはなさくやびめ)」、桜の樹の下に埋まる死体の話など、伝承なども多数紹介されています。日本人にとって桜とは、他の花とは比べものにならないほどの思い入れの強い花であることがよくわかります。最近、忙しくてお花見もご無沙汰だという方も、今年は本書を片手にぜひ桜を観に出かけてはいかがでしょうか?