皆さんは、城塞都市の城主や夫人たちが、お風呂やトイレをどのように済ませていたかご存知ですか? これらは小説や漫画ではあまり描写されなくても、実際の生活には欠かせない設備ですよね。
『図解 城塞都市』(開発社 著)では、ヨーロッパを中心とした、城塞都市での住民の暮らしや、攻城戦で用いられた兵器・戦術など、城塞都市に関する情報を幅広い角度から解説しています。今回はその中から、城塞都市のお風呂やトイレ事情についてご紹介します。
目次
肥溜めにおまる 城塞都市のトイレ事情
中世の衛生観念は、現代の私たちのものとはかけ離れたものでした。城塞に初めてトイレが設けられるようになったのは11世紀頃のことです。ガルドローブと呼ばれる城壁を突出させた部分に死角を作り、そこに丸い穴の空いた石の座面を据え付け、トイレとして使っていました。使用者が丸い穴から用を足すと、排泄物はそのまま城壁の下部や城塞直下を流れる河川などに落下していきます。
城塞都市によっては初歩的な下水処理設備を整えているところもあり、そうした城では排泄物は城塔の最下層に運ばれて1か所に溜まります。この肥溜めのような場所は年に1~2回、農夫たちが掃除をしなければなりませんでした。
後の時代になると、ガルドローブと肥溜めや堀とを結ぶ管が設置されるようになります。また、イーストヨークシャーにあるレスル城ではトイレ用の小塔が建設され、より効率的に汚物を排出できるようになりました。
この他、中世ヨーロッパではいわゆる「おまる」も使用されています。排泄物を中に溜めていき、満杯になると外へぶちまけるのです。これは城塞だけでなく、一般家庭でも使われていた方法で、当時の都市はいたるところに排泄物が転がっている有様でした。
◎関連記事
城を防衛せよ! 城塞都市の設計マニュアル~城壁編~
城を防衛せよ! 城塞都市の設計マニュアル~城門編~
入浴は年に数回 城塞都市はけっこう不潔
では城塞都市のお風呂事情はどのようなものだったのでしょう。城主たちが入浴するのは年に1回から多くても3回程度、主にクリスマスや復活祭といった祭日や、結婚式など特別な催し物がある日に限られていました。
ほとんどの城塞に浴室はありません。城主や城主夫人が入浴を所望すると、召使いたちが寝室までお湯を運び、それから城主や城主夫人は腰湯に浸るという仕組みになっています。
城主や城主夫人ですらほとんどお風呂に入らないのですから、一般庶民の衛生状態がもっと酷いものだったことは想像に難くありません。人々は身分の差を問わず、寄生虫にたかられていましたし、近隣の村落や町ではプロのシラミ取りが商売をしていました。
入浴の習慣は無いに等しかった一方、食事の前に手を洗うことは重要な儀式と考えられていました。城塞の内部には排水口の付いた水盤が設けられた他、大量の水が必要な台所にも大きな流し台が据えられています。これらの設備で使用された水は排水口から外壁上の吐水口へと流れ、城の外へと排出されました。
城塞の他の部屋の様子もご紹介しましょう。 城塞の床にはイグサが敷かれていますが、掃除は数ヵ月に1度、祝宴の日が近づいた時だけで、ノミが繁殖しやすい環境でした。 また寝具もあまり洗濯や乾燥をしなかったため、トコジラミの温床となっています。さらに大ホールや領主のベッドには領主の飼っている猟犬が出入りをし、人間にペスト菌を感染させることもありました。
厨房では夏になるとハエが飛び回り、ガルドローブ下の肥溜めでは汚物が細菌をまき散らしています。
このように、お風呂やトイレに限らず、城塞都市の衛生環境はお世辞にも良いとはいえないものでした。中世の城というと、美しく整えられた中庭や豪華な調度品、優雅な暮らしぶりなどを想像しますが、実は相当に汚い環境だったといえます。
中世の人々は細菌と疫病に関係があることをまだ知りませんでした。そのためこうした環境での暮らしも、当時の人々にとってはごく普通の当たり前のものだったのです。
◎関連記事
神の怒りが原因だった? 中世の災害や疫病とその影響
乞食は職業だった! 中世ヨーロッパの貧民の暮らしとは
本書で紹介している明日使える知識
- どうして城塞都市が造られたのか?
- 城塞都市はどこに作るべきか?
- 古代ローマの都市創設の儀式
- 城塞都市の住民はふだん何を食べていた
- 攻城兵器その4 投石機・カタパルト
- etc...