作者:ぬこげんさん
突如現れたエドガーの過去を知る赤毛の女剣士との邂逅に、心を揺らすニルファルと、自分を助けたくれた少女に心寄せる商人。これは中年騎士と石の魔術師の少女が織りなす、小さく、そして幸せな人間模様のお話。
【第1部】
1話 2話 3話 4話 番外編
第一話 金髪商人と魚眼石(アポフィライト)
「エドガーさん、エドガーさん」
サラマンダー退治から東へ向かって旅をすること八日目の夜、ニルファルがエドガーの天幕に顔を覗かせた。
命がけの戦いをしたあの日から、商隊の人間には信用はされているようだが、用心棒ということもあり、エドガーの天幕は一番外側に少し離れて設営されている。
「どうした、子供はもう寝る時間だぞ」
剣の手入れをしていたエドガーは顔を上げずにそう答えると、ランプの灯に剣をかざして刃を眺める。あちこちが欠け少し歪んだそれは、近いうちに鍛冶屋に持ち込むか、新しく買い直したほうが良さそうだった。
「むぅ、また子供扱いして……子供じゃないもん」
「子供はみんなそう言うんだ」
ニルファルのすねた声にエドガーは剣を鞘に戻し、天幕の入り口で腕を組んで頬を膨らませる少女に視線を移す。
「どうしたこんな時間に」
剣を左手に下げて立ち上がり、エドガーは少女の頭に右手をポンとおいた。ニルファルがプイと顔を背ける
「すねるなよ、悪かった」
「エドガーさんの意地悪……。まあいいです、ちょっと一緒に来てください、すごいんです」
「おいおい、どこへ連れていく気だ」
銀色の杖を背負った少女が、興奮した表情でエドガーの手を取り、つかつかと歩きだす。
「静かにしてついてきてください」
海から離れたこのあたりは寒暖差が激しく、夏の終わりにもなると肌寒い。そんな中、上着もはおらず、軽装のニルファルはウキウキした様子で小走りに遠ざかってゆく。
「わかったわかった。そう急ぐな。転ぶぞ」
半マイルほど歩いただろうか、キャンプから丘を二つほど挟んだその場所で、ニルファルは立ち止まると腰の袋から小さな黒い石を取り出した。
「それは?」
「ほら、あれです、退治した後で爆発したサラマンダーの欠片」
ニルファルが蜥蜴の鱗の形をした、ツルリとした黒い石を月の光にかざして、おもむろに杖の先についた小さなハンマーに取り付けた。パチンとバネ仕掛けの音がして黒い石が挟み込まれる。
「あそこです、いきますよ!」
低木の茂みを杖の先でさし、楽しそうに言ってからニルファルが杖を足元の岩に叩きつけた。パン!と弾けるような音とともに石が砕け散り……。
「うわっ」
目の前で起きた光景に、エドガーは思わず声を上げる。三フィートほどの火球が膨らむと、ボムン! と音を上げて低木の茂みが吹き飛んだのだ。
「ね、すごくないですか、すごくないですか? 高く売れないかな?」
いたずら小僧のように目を輝かせて笑うニルファルに、エドガーは小さくため息をつく。
「すごいが、危なくてしょうがないだろ、大体こんなもの誰が……ああ……」
「ああ?」
お前以外誰も使えないだろう、と言いかけた言葉を飲み込んだエドガーをニルファルが小首をかしげて見上げていた。
「錬金術師か薬師なら欲しがるかもしれんな……」
「高く売れるといいですね!」
次の日の午後遅く、商隊はサバデルの街が見える丘へと差し掛かった。この調子で行けば日が沈む前には街へたどり着けるだろう。
砂と石ころの海だった隊商路は、三時間ほど前から石が敷き詰められた「道路」へと姿を変えていた。道路わきにはちらほらと緑が増え始め、なだらかな丘の頂まで登ったところで、城壁に囲まれたサバデルの街が目に入ってくる。
辺境のティルスと比べれば、城壁に囲まれたサバデルは連合王国の西の玄関口といったところだろう。
「エドガーさん」
街に気を取られていたエドガーが少女の声に振り返ると、ラクダの背に積まれた荷物の端っこに腰掛けていたニルファルが、荷物の上にひょいと立ち上がった。
「危ないぞ、落ちたらどうする」
曲芸士のようにラクダの背の上に立ち上がった少女を見上げて、手綱を引いていたエドガーは眉をひそめた。
「岩陰に馬車が止まってます、あと誰か倒れてるみたいです」
言うなり、スルリとラクダの背からニルファルが飛び降りる。
「こら、どこに行く気だ」
後ろを歩く部族の青年に早く来いと合図して、エドガーは手綱を投げるように渡すと、ニルファルの背を追いかけた。
――まったく、盗賊の罠だったらどうするつもりだ。
流石にこの街の近くで罠を張る盗賊もいないだろうが、荷馬車で足止めしての奇襲というのはよくある話だった。
「待て、ニルファル」
牝鹿のように走る少女に声をかけ、エドガーは後を追う。路肩の草むらに斜めに止まった馬車は小さいが作りは良さそうだ。
「こっちです、エドガーさん」
くさむらに突っ込んだ二輪馬車につながれた馬は、のんびりと草を喰んでいる。その御者台から転がり落ちたかのように、うつ伏せに男が倒れていた。
「おい、大丈夫か?」
警戒しながらも、浅く息をする男をエドガーは仰向けにして起こす。青い顔をした男は、激しく咳き込むと肩で息をした。喘鳴に混じってヒュウと高い音がする。
「何か背中に入れて座らせてあげてください、寝ている方がしんどいです」
テキパキと指示を飛ばしながら、腰の革袋を覗き込んだニルファルが石を選り分ける。布でくるまれた小さな石を取り出すと、半透明のそれを慎重に杖に挟み込んだ。金髪の青年が不安そうな表情でエドガーとニルファルの顔を交互に見比べる。
「安心しろ、大丈夫だ」
マントを脱いで丸めるとエドガーは青年の背の下に押し込んで、軽く上半身を起こしてやる。手慣れた連携で金髪の枕元に盾を置くと、エドガーは一歩後ろに下がった。
「目を閉じて、眩しいですよ!」
不安そうにエドガーを追いかけてきた青年の視線が、ニルファルの声に反応して止まると、まぶたがギュッと閉じられた。ガン! と盾を殴る金属音がして、辺り一面が薄緑色の光に包まれる。
「どうですか? まだ苦しいですか?」
大きく息を吸い込んだ後、激しく咳き込んで青年が地面につばを吐く。
「だいじょうぶです、落ち着いて」
そう声をかけながらニルファルが背をさすってやるうちに、金髪の青年の呼吸が正常にもどってきた。
「ありがとうございます、助かりました。私はマルセロ、マルセロ・クレブラス」
飾り刺繍のついた白い服とつばなしの帽子、手入れの行き届いた馬と小綺麗な馬車を見るに、それなりに裕福な家の人間だろう。乱れた髪を整え、苦悶の表情が消えると中々の優男だ。
「エドガー・オーチャードだ、こっちは……」
「ニルファル、ニルファル・シルファ」
エドガーの後に半分隠れるようにして、ニルファルが名乗り返す。先程の勢いとのギャップにエドガーは苦笑いした。
「商隊……? どこから来たんです?」
エドガーたちの横を抜け、街道を追い抜いてゆく長い行列に目をやって、マルセロと名乗った青年が目を細める。
「ティルスからだ」
「サラマンダーが出て通れないと聞き及んでいますが」
青年の言葉にエドガーとニルファルは顔を見合わせる。小さく頷いてからエドガーはマルセロに言葉を返した。
「倒してから通ってきた」
「なんと……嘘でしょう? 我々の雇った傭兵も返り討ちにあったというのに?」
青年の言葉にムッとした顔をして、ニルファルが腰の袋からサラマンダーの欠片を取り出すとマルセロに突きつける。
「嘘じゃないです!」
親しい人間を殺されたという、その事実を否定されたように感じたのだろう、涙目で睨みつけるニルファルの肩をエドガーはそっと抱き寄せる。
「失礼しました、ではあなた達が西からの一番乗りと言うわけですね、こうしては居られません、さあ乗ってください、お礼とお詫びは必ずいたします」
ニルファルの勢いに気圧されたかのように、帽子をとると深々と頭を下げ、マルセロが馬車に飛び乗る。先程まで息も絶え絶えだったとは思えない素早さだ。
「エドガーさん?」
見上げるニルファルに頷いて、エドガーも荷台に飛び乗った。西からの一番乗りの商隊と聞いて目の色が変わったのを見ると商人だろう。エドガーがニルファルに手を伸ばして引き上げるのをもどかしげに待って、マルセロが馬車を出す。
「私の家は、サバデルの街で商会を営んでおりまして……お礼と言っては何ですが、ぜひ積み荷を私たちに売って頂きたい。悪いようにはしません、先程のサラマンダーの鱗も、高く買わせていただきます」
そこまで一息にいってから、マルセロは軽く咳き込んだ。
「それに、薬師も投げ出したこの咳の病を治していただいた、ぜひその術も……」
その言葉に、ニルファルがエドガーを見上げて首を振った。
「発作を抑えただけです、治したわけじゃ……同じ石で呪符を作ればマシには……」
嬉しそうなマルセロの様子に、小声でいうニルファルにエドガーは小さく頷いて見せる。肩越しにチラリとこちらを見るマルセロに肩をすくめて、エドガーはため息を付いた。
――どうにも、厄介ごとの匂いがする。
商隊の長い列を追い抜こうと、荷馬車が石畳を走る。途中、追い抜きざまに見かけたニルファルの父、ウルグベクの剣呑な表情は、とりあえず見なかったことにした。
◎関連記事
◎おすすめ小説