古代ローマの夕食といえば、テーブルを豪華な料理で埋め尽くすケーナのイメージが強いのではないでしょうか。しかし、実際にはそんな贅沢ができたのは貴族だけです。では、貴族ほど豊かでない平民や貧民の夕食はどんなものだったのでしょうか。
今回は『図解 食の歴史』(高平鳴海 著)より、古代ローマの平民や貧民の夕食についてご紹介します。
目次
古代ローマで親しまれ、楽しまれていたケーナ
古代ローマでは誰もが夕食をしっかりと食べていました。人々はケーナと呼ばれる正賓(せいひん)を午後4、5時ごろから始め、明るいうちに夕食を終えると、日暮れとともに床に就きました。
現代の感覚からするとかなり早い時間ですが、これは灯りに使う油が高価だったからです。富裕層は夜になってもケーナを続け、その後コミッサーティオ(酒宴)まで開いていましたが、庶民は夕食を食べ終えたらすぐ就寝していました。
ケーナは、もともとは祭りや祝い事があるときにする食事のことでしたから、上流階級の家だけでなく、平民も仲間うちで集まって晩餐会を開くことがありました。もちろんそれは、貴族のケーナと比べるべくもない、実につつましいものでした。トリクリニウム(寝椅子)も使わず、床に座るかテーブルを囲んで、ケーナを楽しんだのです。
貧民は夕食にスペルト小麦の「ポレンタ」(粥)や、ヒヨコマメ、ヒラマメ、エンドウマメなどを煮たスープ、そしてたまに「プルメンタリア」(乾燥肉)を食べる。バール(軽食屋)でテイクアウトの料理を買って帰ることもあった。 『図解 食の歴史』p.70また、パンやおかずが配給された時代もありました。
その昔ケーナが昼に行われていた頃には、夕食は「ウェスベルナ」と呼ばれていましたが、ケーナを夕方に開くようになってからは、ウェスベルナは夜食を指すようになりました。ケーナのあとはたいてい酒宴になるので、その後に食べるのが夜食です。夜明けまで宴会が続けば、夜明けにウェスベルナが出されることもありました。
パトローヌス(平民保護貴族)は友人や同僚ばかりではなく、保護下の平民をお情けで食事に招待することも多くありました。呼ばれた平民はこのチャンスを生かすため、できるだけたっぷりと腹に詰め込んで帰ろうとし、また、家族のために料理を持ち帰ったりもしたそうです。
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