アブサンというお酒をご存じですか? 緑色をしたリキュールで、「幻の酒」、「悪魔の酒」などと呼ばれた歴史を持つお酒です。
『酒の伝説』(朱鷺田祐介 著)では、日本酒やワイン、ビールなど様々な酒にまつわる伝説を幅広く紹介しています。今回はその中から、アブサンが「悪魔の酒」だという伝説についてお話します。
目次
19世紀パリで流行したリキュール・アブサン
アブサンとは、ニガヨモギなどのハーブを使用した緑色のハーブ系リキュールで、胃腸強化、風邪の治療、解熱などの作用がある。 『酒の伝説』p.283ニガヨモギはヨーロッパ原産の植物で、独特な香りと苦みを持ちます。18世紀のフランスで、薬草学の権威であるオルディオール博士がこのニガヨモギを使った薬用酒を開発し、同じくフランスのペルノ社によって生産されたのがアブサンというお酒です。
アブサンの特徴はアルコール度数が非常に高いことで、58~70度もあるといいます。ロックや水割りにして飲む他、平たくて穴の開いたアブサン・スプーンの上に角砂糖を置き、そこにアブサンを少しずつ垂らし、火をつけてアルコールを飛ばしてから水に溶かして飲むというチェコ・スタイルが知られています。
アブサンは19世紀のパリを中心に大変な人気を博しました。ゴッホやドガが絵画の中にアブサンを描いたり、ピカソがアブサン・スプーンをデザインするなど、芸術作品にも大きな影響を与えています。
しかし、酒に溺れ身を滅ぼす者も多く現れます。ニガヨモギに含まれるツヨンという成分に、幻覚症状や精神錯乱を引き起こす作用があるといわれ、1872年にアブサンは製造・販売禁止となってしまいました。
このような歴史を持つためか、アブサンは悪魔が造った酒だとする伝説があります。アブサンの原型であるニガヨモギの酒を悪魔が味見したというのです。
やがて、悪魔は気づいた。「この酒を世界に広めれば、人間は堕落して、神のいうことを聞かなくなるに違いない」と。悪魔は人間を堕落させることが仕事であるから、これほど素晴らしい酒はない。 かくして、アブサンは悪魔の手で広められ、人々は堕落していったのだというのだ。 『酒の伝説』p.284◎関連記事
ワインはいつからあったの? ワイン誕生にまつわる物語
「生命の水」ウォッカとロシアの深いつながり
アブサン=悪魔の酒?! アブサンが危険とされた理由
では、アブサン=悪魔の酒という伝説が生まれるほど、酒に溺れ人生を台無しにした人が続出した理由は何だったのでしょう? 本書によるといくつかの説があるようです。第1に、粗悪な類似品が出回ったことが挙げられます。19世紀のパリでのアブサン人気は相当なもので、生産が追いつかず品薄になった結果、薬効成分が強すぎたり、有害なオイル成分の強い薬草が混入するなどした、品質の悪い類似品が市場に出回ることとなりました。こうした粗悪な偽物を飲んだ結果、体調を崩した者がいたといいます。
第2に、当時の芸術家たちを中心によくない飲み方が流行ったことも、アブサンが危険な酒だとされた理由になりました。芸術家の中には、アブサンを飲むと幻覚が見えるようになるという説を信じ、作品を描くためにアブサンを浴びるほど飲んだ者がいたというのです。これではアルコール中毒になり、精神が不安定になったり、せん妄症状が現れても仕方ありません。
さらに、アブサンの中に阿片を混ぜるという飲み方すら存在したといいます。麻薬中毒になってしまっては、幻覚症状などが現れたり、身を滅ぼしてしまうのも当然です。
そして最後の説は、アブサンが本当においしいからだ、というもの。実際、水で割ったアブサンは非常に美味であり、ついつい飲みすぎてしまう。困ったものである。 『酒の伝説』p.286こうしてみてみると、アブサンじたいが危険な酒だったというよりは、類似品の製法や飲み方に問題があったといえるのではないでしょうか。
アブサンは多くのパリ市民を魅了しましたが、1872年に製造・販売禁止となってしまいます。しかしその後も人気は衰えず、「リカール」や「パスティス51」といった代替品が販売されたほどでした。
その後1995年になってWHOが再検証を行い、アブサンの原材料・ニガヨモギに含まれるツヨンの毒性はそこまで強くないとされたため、アブサンの生産・販売は再開されます。
しかしフランスなどでは現在も禁止されたままとなっているのです。
本書で紹介している明日使える知識
- 酒の分類方法
- 伝説の古代酒
- 縄文時代の月の酒
- 大航海時代で変化するワイン
- ビールの守護聖人
- etc...