地球ではない場所。忘却の地と呼ばれる大地には、ドワーフやエルフ、果ては動物や爬虫類がヒトに臣下したものなど、多くの異種族が住んでおり、協力したり争ったりしながら住んでいた。忘却の地には“モノ溜まり”という場所があり、異世界から流れ着いた文物が大きな山となっていた。
そんな世界のとある町に、一つの武術道場がある。
その一、仕込み杖と日本刀
「先生よぅ、ちょっと見てもらいたい物があるんだけれどさ」
取り出された一本の杖を床に置いて、言葉が続く。
「ついさっきモノ溜まりから持ち帰ったんだけどよぅ、オレの勘がピリリと反応したんだ。こいつぁ単なる棒きれじゃあない。結構なお宝だ、とね」
「熊公よ。お前さんの勘働きは確かなものだよ」
「おおぅ。やっぱり、先生はこれが何かわかるんだな?」
町はずれにある一軒の道場。そこへ訪れた、熊のような巨体に鬼のような厳つい顔を乗せた一人の男。熊公と呼ばれているが本名はイービルベアードと言い、モノ溜まりから帰って来たばかりの“探索者”だ。
板張りの床に胡坐をかいて嬉しそうに笑っている熊公。その前で正座しているのは、五十歳を過ぎたかどうかという歳の男性だった。彼はいわゆる“普通の人間”であり、斎舟を名乗る、この道場の主でもある。
「これはいわゆる“仕込み杖”と呼ばれる武器だね」
ごつごつとした指で掴みあげていた棒。見た目には艶のある木製の単なる棒にしか見えないそれを、斎舟が両手で握りしめ、ぐい、と力を込めて捻った。
すると、僅かな金属音と共に美しい刀身が露わになる。
「片刃の刀身。仕込み刀と呼んでも差し支えないだろう。見た目は単なる杖だが、いざとなれば抜きはらって刀として使える」
「へえ、そいつぁすげえや」
「本来は暗殺用だが、法により刀を公然と持ち歩けなくなった頃に護身用として使われていた……と聞いたことがある。私もあまり見たことはない珍しいものだ。よく見つけたね」
「そこはそれ、日ごろの行いってやつだぜ」
「はいはい」
熊公の言い分に斎舟は苦笑いで返し、再び仕込み杖へと視線を戻した。温かく、懐かしみと寂しさが入り混じる瞳で。
仕込み杖はいわゆる“暗器”の一つ。隠し武器の一種であり、一見して杖や傘に見えるが、留め具を外して引き抜くと刀身が現れる。
こういった武器は洋の東西を問わず多く作られ、時には押し付けると毒針が露出するものなどが作られ、後には毒ガスなど薬品が噴出するものも出てきた。
こうした武器たちは斎舟にとっては懐かしいものだが、熊公にとっては初めて見る“異世界のモノ”だ。
彼らが住むここは、色々な種族が混ざり合う世界。
そんな世界の片隅に『モノ溜まり』と呼ばれる場所がある。いくつもの崖をよじ登り、急流を泳いで渡るような危険を冒して、ようやく辿りつけるその場所。そこにうず高く積まれた雑多な“モノ”は、その全てがどこか別の世界からの贈り物であり、中には貴重な宝石や高度な技術が使われた細工、そして武器があった。
危険を掻い潜り、希少なお宝を持ち帰る者たちは、熊公のように自分たちを“探索者”だと名乗っている。
モノ溜まりからの回収物について、熊公は斎舟の知識を頼ることが多い。しかし斎舟という人物について、熊公は良く知らなかった。ただ、合気柔術とかいう妙な技を使い、非力なはずの人間なのに熊公のような力自慢をものともせずに叩き伏せる強さがある。どこから来たのかは誰も知らないが、少なくとも今では種族を問わず多くの門下生を抱えた、名士の一人だ。
「しかし、この刀って武器はなぁ……」
「嫌いかね」
「切れ味が良いってのはいいんだ。でもよ」
熊公は刀を「脆い」と評した。力自慢の彼にしてみれば、刀は細すぎて繊細で、硬い鎧に当たれば刃が欠けてしまうのが危なっかしく感じるらしい。
武術全般を修める斎舟は、そんな熊公の言い分に怒ることは無い。
だが、黙っていられない人物がいた。エルフの娘であり、斎舟の弟子であるルリだ。
「また刀を馬鹿にしているの!?」
「うぉっ!? ルリ、いたのか……」
斎舟の背後から乗り出す様にして現れたルリは、熊公の言い様に腹を立て、ぷい、とそっぽを向いた。
かと思うと、斎舟の隣に素早く正座して熊公が話を続けようとするのを遮るように話を続けた。
「師匠(せんせい)、少し彼に“説明”しても?」
「好きにしなさい」
「お、おい。先生よぅ……」
どうせ言っても聞かないだろう。そう思った斎舟はルリの良いようにさせる。いつものことだった。
「何度も言ったと思うけれど、刀というのは芸術品でもあり、武士の魂でもあるの」
彼女は斎舟にとって良い弟子ではあるが、それ以上に成長過程において立派な武器オタクとなっていた。
熊公がモノ溜まりから回収した武器はもちろん、斎舟から教わった、彼の故郷に伝わる武器などを時に自作し、時に訓練をしている。知識と実力を兼ねた武器オタクだ。
生活のほとんどを稽古と研究に費やしている彼女は、今も道着に袴という出で立ちでエルフの特徴である豪奢な金髪を後ろで一まとめにしている。先ほどまで稽古をしていたのだろう。
「剣はどこでもポピュラーな武器よね。この世界でもそう。師匠の世界でもそうだった。でも師匠がいた国、日本ではちょっとだけ変わった進化を遂げたの」
日本で最初に作られていた剣は両刃であり、楯と共に使用するための片手剣だったと言われている。その生まれは矢じりのように得物に突き刺して斬り裂く道具の発展形として作成された石造りの両刃のナイフが元であり、金属が使われるようになってから剣としての形がある程度定着するようになる。
やがて鉄の加工技術が進み、布都霊剣(ふつのみたまのつるぎ)を代表とする、片刃刀で反りを持つ日本刀の原型が生まれた。
但し、これはいわゆる内反りと呼ばれるもので、緩やかにカーブを描く刀身の内側に刃がある。楯を使う当時の戦闘状況から、ククリナイフのように楯の向こうにいる相手に攻撃が届きやすくなるためであるとも、儀礼用として作物を刈り取るための形に似せているとも考えられる。
「そして時代が進んで刀は楯を使わないことを前提とした両手剣として進化し、反りの外側に刃を作り、刀身を滑らせることで斬りつけ易い形を得たのね。やがて馬上から斬りつけることを前提とした大太刀から、携帯性の高い打ち刀へと短くなり、同時に刀の扱い方も戦場剣術から一対一を主眼に置いたものへ変わった……ですよね?」
確認するかのように斎舟へと視線を向けたルリは、ゆっくりとした頷きで返されて嬉しそうに笑みを浮かべた。
「熊公、あなたのように何でも馬鹿力で解決できるなんていう単純思考とは違うのよ」
「言い過ぎだ、ルリ。お前は馬鹿力というが、熊公の膂力に対抗できるほど技に優れているわけでもないだろう? 何度も言うが、力は悪いものではない。だが、力が無くとも戦う術はある。それだけだ」
「はい。すみません……でも、日本刀の素晴らしさは叩くでは無く斬ることへ特化したものです。それだけは見せておかないと!」
そう言ってルリは立ち上がると、道場の壁に掛けていた自分の刀を掴んだ。
「お、おい!?」
「安心して良いよ、熊公。彼女は君を斬るわけじゃない。ほら」
慌てる熊公を嗜めて斎舟が視線で示した先では、道場の中央で刀を腰に提げたルリが、一枚の紙をふわりと放り投げていた。
刹那。
抜き打ちに斬りつけられた紙片が、空中で真っ二つに切り裂かれる。
「すげぇ……」
武道に明るくない熊公にもわかった。この世界で一般的に使われる剣は重さで叩き斬るのが主流であり、同じことをやっても紙を叩くだけで終わってしまうだろう。
固定されていない空中で、重さと厚みがある安物とはいえ、紙を斬ることがどんなに難しく、如何に刃が鋭いことを示しているのか。
絶句している熊公をよそに、評価を求める視線を斎舟に向けていたルリ。
だが、斎舟は彼女への評価を口にするわけでもなく、座ったままで傍らに置いていた短刀を掴み、目の前に落ちていた紙片を摘み上げた。
「ルリ。どんなに分厚い剣でも、刃があれば紙を斬ることはできる。お前の腕前はわかるが、刀の鋭さを示すには足りないよ」
言うや否や、ルリと同様に斎舟は紙片を放り投げた。
「うおぉ……」
感嘆の声をあげる熊公は見た。
いつ抜いたかすら見切れなかった一閃は、納刀さえもまともに目視できなかった。代わりに、厳然たる結果だけが残る。
紙が、薄皮を剥がしたようにして二枚に分かたれたのだ。
ルリも息を飲み、状況を見て黙り込んでしまった。
そんな二人の様子を一瞥した斎舟はゆっくりと座りなおし、短刀を床に置いた。その視線は、目の前に置かれた仕込み杖へと移っている。
斎舟は思う。どこか違和感がある、と。この仕込み杖が単なる武器とも美術品とも思えず、例えようの無い落ち着かなさを感じていた斎舟は、ふと仕込み杖の柄部分に小さな突起があるのを見つけた。
「これは……」
その正体が気になった斎舟が手を伸ばそうとした瞬間、我に返った熊公が抱え込むように仕込み杖をつかみ取り、やにわに立ち上がった。
「そろそろ失礼するぜ。このままここに居たんじゃあ、朝までルリの話を聞かされる羽目になっちまう。先生、ありがとうよ。こいつは高く売れそうだ!」
命を賭けてモノ溜まりから拾ってきた甲斐がある、と喜色満面の様子で道場を後にしていく熊公に、斎舟は声をかける間も無かった。
「なんて失礼な……師匠、どうされましたか?」
いつになく厳しい目をしている斎舟にルリが話しかけたが、彼はただ「まさか、仕込み銃……」とだけ呟き、後は何も語らなかった。
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