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作者:白城海
世界はかつて、闇に包まれていました。
人間が魔族によって、すべての尊厳を奪われた時代。
家畜として扱われていた暗黒の時代。
誰もがこの果てのしれない絶望が続くと思っていた中……
ある日、一人の少年が立ち上がったのです。
少年は六人の仲間とともに魔族を打ち倒し、ついには魔族の力の源であった神をも滅ぼ
しました。
かくして世界に光があふれ、平和が訪れました。
めでたし、めでたし。
しかしその後。
世界を救った少年は――
宿命に決着をつけ、故郷に戻った彼に待っていたのは――
すべてを焼き尽くす、滅びの光。魔法の炎でした。
世界を救った英雄は、殺されてしまったのです。
それも、かつてともに戦った六人の仲間の手によって。
殺された少年の名は、クオン。
かつて英雄と呼ばれた男。
永遠の名を持つ男、でした。
そして、時は流れ――
序章 『七年後の再会』
▼国立魔法研究所/地下二階 秘密実験室
もう七年になる。
壮年に差し掛かろうとする男、ロアは椅子に腰かけたまま感慨深く息をついた。
十メートル四方の部屋は、真夜中の地下室だというのに昼間のように光が満ちている。
部屋の中央には拘束具つきの手術台が鎮座し、壁際に設置された大小さまざまな棚にはびっしりと薬品類が並んでいた。
ロアはは世界最高の魔導士だ。彼がひとつ呪文を唱えるだけで百の兵は斃れ、堅固な城
壁もチーズのように穴だらけになる。人類最高の魔法の使い手にとって、明かりの魔法な
ど造作もなかった。
ロアにとって魔法とは空気だ。呼吸をするほど簡単で、酸素と同じほど必要なもの。な
ぜなら、彼は魔法の力だけでここまで成り上がってきたからだ。
魔族との戦争を戦い抜き、敵の都を落とし、神を滅ぼし、そして――
「まだか、助手」
手術台を眺めながら助手を呼ぶ。思い出に浸る時間は終わりだ。
「お待たせしました」
扉を開けて助手が現れる。かたわらには若い金髪の女を連れていた。女は麻で織られた
ガウン状の衣を着せられ、手錠により拘束されている。予定通りだ。
「ほう。昨日まではケモノ同然だったのに、外見だけは人間らしくなったじゃあないか」
「手術前ですから、清潔にしておかないと」
「手術? これは実験だよ。このメスも人間じゃあない。『牧場』から連れてきた実験動
物だ」
ロアの言葉に助手がうつむいて黙る。彼は非常に優秀な男ではあるが、いまだに大義が
わかっていないフシがあるのが欠点だ。
「発言には気を付けてください。あなたは国家の重鎮なのですから。人間を実験動物にし
てるなんて聞かれたら、いつか誰かに背中を刺されかねない」
「誰も私を止められはせんよ」
「忘れたのですか? あなたは一年前、一度死にました。視察先の鉱山の落盤事故で。新
聞にも載って大騒ぎになったではないですか」
咎めるような物言いの助手だが、ロアは一笑に付した。
「だが
「死んだはずのあなたが突然遠く離れた王都に現れた時は驚きましたよ……いい加減その
件について詳しく教えてはくれませんかね」
「駄目だ。この秘密は墓まで持っていく。といっても私は不死身だがね」
上機嫌に笑い、助手に実験の進行を促す。
暴力も権力も、誰もロアを止めることはできない。実験を止めるものは誰もいない。
被検体である女を手術台へと寝かせ、改めて四肢を拘束する。女はロアたちが会話して
いる間も、まったくの無反応だった。
「被検体番号A041。ユミィ。年齢は十七。身長は――」
服を脱がせ、台に寝かせた女のパーソナルデータを助手が読みだしていく。
「最後のAナンバーか。感慨深いな。かつての仲間を思い出すよ」
七年前、ロアは友を捨てた。友であった《英雄》を、故郷の村ごと焼き払ったのだ。
戦時中でもめったに使うことがなかった大規模な破壊魔法。炎の塊が空から降り注ぎ、
すべてを焼き尽くした。
強大な魔法の前に人間は無力だ。悲鳴が、絶望が、死が村を覆いつくすのをロアは遠く
から悠然と眺めていた。母が子を地面に押し付けてかばおうとするのも、我先に逃げ出そ
うとする男がいるのも、ロアはすべてを見ていた。
思い出すだけで興奮する。胸が高鳴る。股間に血が集まる。
無力なヒトが虫のように散っていくのはなんという喜びだろう。
母は子供と一緒に生きたまま焼けていき、家屋は熱波で吹き飛んだ。逃げた男も泣きな
がら死んでいった。
死んだ、死んだ。みんな死んだ。素晴らしい光景だった。
ただ、想定外のこともあった。村は吹き飛んだが、人間とはしぶといもので、数十人も
の生き残りがいたのだ。
「感謝したまえ。A041。私がいなければ君はあのとき始末されていた。私が救ったの
だよ。牧場のAナンバーとしてね」
女に反応はない。何も映さない瞳で虚空をじっと見つめているだけだ。
人間牧場。それはロアが管理する実験用人間の飼育場だ。ロアたちの目的を達成するには生きた人体が必要だ。しかし、多くの人間を犠牲にした人体実験が明らかになればただ
では済まない。昔と違い、神隠しなどという言葉が通用する時代ではないからだ。
だからこそ、中規模の
ユミィの両親も実験に貢献したのをロアはよく覚えている。
「特にA041の両親は素晴らしかった。今まで被検体は二十四時間以内に死んでいたと
いうのに、彼らだけは今も生きている」
両親の話をしたとき、被検体の視線がぴくりと動いた。きっと数日前まで一緒に暮らし
ていた親の姿を思い出したのだろう。
もっとも、 『あれ』を人間と言っていいのかはロアには疑問だが。
彼ら夫婦から最初に失われたのは理性と思考力だ。やがて記憶も失い、ヒトの形すらと
どめなくなった。今ではエサを取り込むだけの紫色の肉の塊だ。
「ご存知でしょうか。ユミィ両親は村のパン屋でした。食糧不足の中、毎日毎日、地道に
パンを焼いていた夫婦です」
「ほう、よく調べているな。もしかしたら実験結果には生い立ちなども関係しているかも
しれない。考慮しておこう」
「……素朴な味でしたが、食べると心が温かくなる味でした」
「パンの話はもういい。いまはもうただの物体だ。まさか実験動物に情が移ったのではな
いだろうな」
おとなしく聞いていたが、だんだんと苛立ちがあふれてくる。助手の物言いは何だ。や
けに今日は突っかかってくるではないか。
「失礼しました」
「今後は口を慎め。例の薬はあるな?」
ロアが問いかけると、助手が頑丈なカバンを差し出す。開けるとそこには瓶詰めされた
青い液体と注射器が入っていた。
無言で注射器と薬品を手に取り、手術台に寝かされた女へと顔を向ける。
「君はこれから人間を超えるんだ。素晴らしい世界が待っている。すぐにお父さんとお母
さんのところに行けるよ」
注射器に液体を吸わせながらロアが優しく言う。少女に恐怖を与えるために。
「覚えているかい。君の両親の様子を。徐々に正気を失い、ヒトの言葉を話さなくなった
ね。君のこともわからなくなった。特にお父さんの様子は傑作だったよ。理性も記憶も失
ったケモノのオスが取る行動がこんなにもシンプルだとはね」
「い、いや……やめて。やめてお父さん」
ようやく女に強い反応があった。きっと様々なことを思い出しているのだろう。心も姿
も怪物となっていく両親と同居していた日々を。
彼女の抱いた恐怖と絶望はきっと実験をさらなる高みにもっていくだろう。
大魔導士ロアの最終目的、不老不死へと。
ロアが満足げな笑みを浮かべ、ゆっくりと注射器を首筋へと近づける。
その時だった。
「同居させたのか?」
瞬間、ロアの首筋に痛みが走った。
「少しずつ人間でなくなっていく両親と。この子を、ユミィを……」
体が痺れて動かない。注射器も取り落としてしまう。ガラスの割れる音が部屋に響いた。
かろうじて背後を見る。
そこには注射器を握りしめた助手がいた。
(なぜ、だ……)
注射されたのは即効性の神経毒だろうか。声が出ない。呪文も唱えられない。
声は聞こえていないはずの中、 助手の姿をした者はロアの心を読んだかのように答えた。
「さあね。考えてみな。その賢いアタマでな」
遠くなっていく意識の中、答えは出なかった。
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