書き手:朱鷺田祐介
本連載は、クトゥルフ神話に関するあれやこれやを折りに触れて紹介していくコラムです。クトゥルフ神話に関しては原作小説、あるいは、拙著『クトゥルフ神話ガイドブック』や『クトゥルフ神話超入門』をご参照ください。
さて、世の中では、8月2日はハニー(蜂蜜)の日、8月3日は蜂蜜(8と3つ)の日だそうであるが、7月末に、銀座の紙パルプ会館で開かれたはちみつフェスタ2017に行ってきた。題名通り、蜂蜜関係のイベントであるが、私の目的は、会津ミード(峰の雪酒造場)が、蜂蜜酒(ミード)で出店しているからである。峰の雪酒造場は会津の日本酒の酒蔵であるが、8年ほど前から、地元のトチの蜂蜜を使った蜂蜜酒の醸造に挑戦しており、筆者としては、国産蜂蜜酒の中では、指折りの出来だと思う。すっきりして飲みやすく、香りが豊かである。
会津ミード
新作のクラウドファンディング
■クトゥルフ神話と蜂蜜酒
さて、私がかように蜂蜜酒を飲むようになったのは、クトゥルフ神話のおかげである。
オーガスト・ダーレスが描く「永劫の探索」シリーズの第一作『アンドルー・フェランの手記』(1944)に登場するもので、クトゥルフを追うオカルト学者ラバン・シュリュズベリイ教授が助手として雇った主人公に蜂蜜酒を飲ませる。その結果、主人公は夢の中で地球上のさまざまな場所を訪れられるようになる。
やがて、迫り来る邪神の使徒の追跡を逃れるため、主人公は夜空にプレアデス星団セラエノのかかる頃、黄金の蜂蜜酒を飲み、石の笛を吹き、邪神ハスターの眷属ビヤーキーを呼び出す呪文を唱える。
「いあ! いあ! はすたあ くふあやく ぶるぐとむ ぶぐとらぐるん ぶるぐとむ!
あい! あい! はすたあ!」
黄金の蜂蜜酒は飲んだ者に幻視の力、星間宇宙を旅する力を与える。これは古代の秘密の酒とされるが、作中、「旧神」のものとも言う。黄金色をし、馥郁たる香りと味を持ち、酒精が強いという。このシリーズは、青心社『暗黒神話大系クトゥルー』第二巻にシリーズがまとめられているので、これをぜひ読んでほしい。
▲暗黒神話大系クトゥルー2
ダーレスの作品を踏まえ、クトゥルフ神話界隈では、「黄金の蜂蜜酒」という言葉が独り歩きしていた。20世紀の間は、クトゥルフ好きなら、誰でも名前としては、知っているが、ほとんど誰も飲んだことのないファンタジーな酒だった。
その後、ダーレス作品を前提に、邪神ハスターの下僕であるビヤーキー(バイアクヘー)を召喚するアイテムとして、クトゥルフ神話TRPG関連で知られるようになった。
私自身も、最初に、クトゥルフ神話と出会った頃は、架空の酒かとも思っていたが、調べてみると、ワインやビール以前に飲まれていた古代の酒の一種であると分かった。
その後、『図解クトゥルフ神話』の著者・森瀬繚さんが京都の烏丸三条、民博の斜め向かいにある「ミール・ミイ」という蜂蜜専門店が蜂蜜酒を扱っていると教えてくださった。ちょうど、京都で拙作のダークファンタジーTRPG「深淵」のコンベンションが行われ、ゲストとして招かれたので、お店に伺い、色々試飲させていただいた。
私は甘いお酒も大好きで、蜂蜜酒にハマり、以降、色々なところに蜂蜜酒を持っていくようになった。実際、数年前までは、「蜂蜜酒って、本当にあったんだ?」という方がほとんどでしたが、MMO『スカイリム』で、蜂蜜酒が飲まれることで、知名度が上がり、ぐっと広がりました。何年か前、名古屋で行われた日本SF大会に大量の蜂蜜酒を持ち込み、クトゥルフ神話トークショーの企画をしたこともある。おかげで、ホラー作家の井上雅彦先生からは、「朱鷺田さんって、ミードの人ですよね?」と言われる始末。ええっと、ゲームデザイナーです。そこ、よろしく。
この時の経験が、後に「酒の伝説」の一章を占めることになる。
■蜂蜜酒(ミード)とは何か?
では、その蜂蜜酒とはいかなるものでしょうか?
日本ではほとんど飲まれていないが、蜂蜜酒(ミード:Mead)は世界最古の酒で、ワインやビールが入ってくる前のヨーロッパではもっとも一般的な酒でした。そのため、古代神話に登場することがあり、ダーレスは古代の秘儀の象徴としたのである。
例えば、ギリシアでは、蜜酒(ネクタル)ともいい、ギリシアの神々がよく飲んでいた。例えば、神託の三女神と呼ばれるトリアイは蜜蜂の化身である。『ヘルメス讃歌』によれば、彼女らは「黄金色の蜂蜜を味わう時、彼女らは忘我の境地に入って快く真実を予言する」という。アイルランドでは、蜂蜜酒を不死の霊薬と見なし、神聖視していた。彼らはサウィン祭で蜂蜜酒を飲んで酔い、霊的な交流を行って共同体の絆を強めた。アイルランドの神話的な英雄ク・ホリンもまた、蜂蜜酒を愛飲したと言う。
北欧でも、蜂蜜酒は神聖な酒とされた。ヴァイキングが死後向かう英雄の宮殿ヴァルハラには、蜂蜜の河が流れているとも言われる。エッダに登場する蜂蜜酒「クヴァシル」は、北欧神話における叡智の酒である。北欧神話では、アサ神族とヴァン神族が争っていたが、ついに、和解することになった時、双方の神々はひとつの壺に唾を吐き、それを使って一人の人間を作り上げた。これがクヴァシルである。クヴァシルは最高の叡智を持ち、世界を旅して回って多くの経験を得たが、ある日、黒小人たちに殺されてしまい、その血は蜂蜜に混ぜられ、蜂蜜酒となった。この蜂蜜酒を舐めた者は誰でも詩人になれると言う。
これらの背景として、酒の製造に関する環境と歴史の問題がある。
蜂蜜酒は、その名前の通り、蜂蜜に水を加えることで発酵し、醸造できる酒で、比較的作り方が簡単なため、ビールやエールの醸造に必要な穀物生産が発達する前からよく飲まれていた。果実を発酵させた果実醸造酒とならび、縄文時代に遡るとされている。
ヨーロッパでは、5-6月、花の季節に集めた蜜で、蜂蜜酒を生産する。蜂蜜は非常に栄養価が高く、さらに、強精効果があるため、新婚夫婦が結婚した後の一月、蜂蜜酒を飲みながら、子作りに励む。これがいわゆるハネムーン(ハニームーン)、蜜月である。蜂蜜酒が作り始められるのが6月あたりになるので、6月が結婚の季節となり、ここから、ジューン・ブライド(6月の花嫁)という言葉が生まれることになる。
このあたりは地域によって異なり、以前、取材でドイツのエッセン・シュピールに行った際には、「ドイツでは蜂蜜酒は秋限定、10月頃の飲み物だよ」と言われた。どうやら、夏に蜂蜜酒を作り、何ヶ月か寝かせて、秋から冬にかけて栄養補給として飲むらしい。
ワインやビールに押され、現在ではマイナーなお酒になってしまったが、専門書によると、現在でも、世界に300以上の蜂蜜酒醸造所(ミーダリー)があり、地域ごとに味わいの異なるミードが楽しめる。前述のミール・ミイさんの場合、ポーランド、カナダ、オーストラリアなどのミードを扱っている。
日本国内では、21世紀に入って、日本酒の酒蔵が蜂蜜酒作りに挑戦する事例がいくつもあり、前述の会津ミードを筆頭に、日本酒酵母を用いた蜂蜜酒作りが行われている。
■ラヴクラフトとダーレスと酒の話
さて、お酒の話が先立ってしまったが、黄金の蜂蜜酒(ミード)がクトゥルフ神話に入ってきた背景をもう少し紹介していこう。
クトゥルフ神話と言えば、まず、H・P・ラヴクラフトの名前が上がるが、ラヴクラフトは偏食で、酒は一切飲まず、甘いものが大好きだった。友人とアイスクリームの食べ比べをした話が有名であるが、その反面、酒は飲まず、ワインやビールの匂いすら苦手だったという。一方、ダーレスはカクテルをたしなみ、コーヒーにブランデーを落として飲むこともあったという。
ダーレスはアメリカ中西部ウィスコンシン州(五大湖地方で最北の州)ソークシティに生まれ育ち、ハイスクール在学中にホラー系パルプ雑誌『ウィアード・テールズ』でデビューし、ラヴクラフトと文通して師匠と仰いだ。
生前、ダーレスとラヴクラフトが直接出会うことはなかったが、ラヴクラフトの死後、ダーレスはラヴクラフトの作品が埋没することを残念に思い、1939年、自ら出版社「アーカム・ハウス」を設立、ラヴクラフトの作品集を出版すると同時に、ラヴクラフトとその友人作家たちが生み出した「クトゥルフ神話」作品群をまとめていくことにした。その過程で、ダーレスはラヴクラフトの創作メモを元にした死後合作作品をいくつも執筆した。黄金の蜂蜜酒が登場する「永劫の探求」はそうした流れの中で誕生した作品である。石笛と呪文によって召喚されるビヤーキーは、ラヴクラフトの短編「魔宴」に登場する有翼の怪物によく似ている。ダーレスの作品では、このようにラヴクラフト作品に登場したものの、名前や設定が曖昧になったままの恐怖を利用している例があるが、「魔宴」には儀式の詳細な描写はなく、黄金の蜂蜜酒は登場しない。神話好きのダーレスが古代儀式の象徴として持ち込んだようだ。
なお、アメリカ出身の友人によると、アメリカ中西部の家庭で、自家製の蜂蜜酒(ミード)を醸造することはよくあることで、来日した彼の父親が醸造したクラフト・ミードを飲ませてもらったこともある。もしかすると、ダーレスの周囲にもそうした蜂蜜酒を作っていた人物がいたのかもしれない。
■あとがき
次回は、ラヴクラフトの神話作品として名高い「ダンウィッチの怪」を巡る怪獣映画論か、クトゥルフ神話を扱ったライトノベルの話などしたいと思います。こんなものを読みたいというご意見、ご希望があれば、編集部まで。
■追伸
ここ数年、『図解クトゥルフ神話』などの書籍執筆、『H・P・ラヴクラフト大事典』などの翻訳で大活躍中の森瀬繚さんと一緒に、ラヴクラフトの誕生日(8月20日=ラヴクラフト聖誕祭)と命日(3月15日=邪神忌)にちなんだイベントを阿佐ヶ谷ロフトAで開催しています。今年も、8月20日にラヴクラフト聖誕祭を行います。最初のクトゥルフ神話作品『ダゴン』の執筆から100年目に当たるので、これをテーマに、クトゥルフ神話の起源を語ります。ゲストはドリヤス工場さん。