そんなおり、突如として現れたサラマンダーのせいで通商路が封鎖され街から出られない状況で暗い過去から目を背けるために酒に溺れるエドガーだったが、ひょんな事から一人の少女を助けることになる。
『ニルファル』と名乗った少女は魔力を通して石を砕くことで石の持つ力を引き出すことができる『石の魔術師』だった。そんな少女『ニルファル』と共にサラマンダーを退治する事になったエドガーだったが……。
これは酔っぱらいの中年騎士と石の魔術師の少女が織りなす、小さな、だが確かな冒険譚。
■第二話 石の魔術師とブラッドストーン
「それで、なんでこんなのに絡まれてたんだ?」
ニルファルと名乗った少女にそう言いながら、エドガーはチンピラの懐に手を突っ込んだ。ベストの内ポケットから、財布と手のひらほどの羊皮紙の束を引っ張り出す。
「父が隊商の長なのですがサラマンダーのせいで東に向かえなくて……。何かの足しなればとお守りを売っていたんです。そうしたら、商売するなら場所代を払えって……」
「ああ、なるほどな」
今この街は隊商たちであふれかえっていた。突然現れたサラマンダーのせいで東に戻れない商人と、仕入れる荷が届かない西の奥地へと向かう商人、双方がティルスの街で足止めを食っているからだ。
品物の流通が止まれば、当然金の流れも止まる。仕入れた物が売れないのであれば、どんな裕福な商人もお手上げだ、できることといえば工夫を凝らした小商いだけだろう。
そして、この手のチンピラどもは小銭の匂いには驚くほど敏感だ。滞在している商人たちが生活の足しにしようと小商いをするなら、そこから巻き上げてやろうと考える奴が出てくるのも必然だと言える。
「それで、ニルファル、君は何を盗られた?」
「それです……私の……」
右手を出したニルファルに、エドガーはチンピラの懐から取り出した財布をさし出す。だが、少女は首を横に振って言葉を継いだ。
「ちがいます、そっちの守り札」
濃い青色で精細な模様が描かれた守り札を指差し少女が笑う。幼さの残る顔の左頬が腫れているのが痛々しかった。
「これか」
紐で束ねられた羊皮紙の札をニルファルに渡して、エドガーは右手に残ったチンピラの財布に目をやった。重さからして当座の路銀になる程度には入っていそうだ。
「エドガーさん……あの」
そんなエドガーに言いづらそうに声をかけ、ニルファルが小さくかぶりを振る。
「それをエドガーさんが持っていってしまうと、この人はまた弱い人をいじめて、お金を稼ぐと思うんです……」
まあ、そうだろうな……とエドガーも思う。世の中は常に弱肉強食だ。
「それで?」
「助けてもらったのは私です。お礼は私がしますから、お財布は返してあげてくれませんか?」
変わった娘だ……。思いながらも、黒目がちな瞳に見つめられ、エドガーは銀貨を二枚抜き取ってから財布をチンピラの腹の上に放り投げた。ズシャリと重い音を立て、財布が腹の上に転がる。
「ニルファル」
「はい?」
その様子をじっと見つめる少女の名を呼んで、エドガーは銀貨を一枚親指で弾き飛ばした。回りながら放物線を描く銀貨を、ニルファルが慌てて両手でキャッチする。
「もらっとけ、殴られた慰謝料だ、それに……」
そう言いながら、エドガーは残りの一枚を真上に高く弾きあげた。クルクルと舞い上がる銀貨を少女の視線が追いかける。
「それに?」
落ちてきた銀貨をパシリとつかんで、エドガーはキョトンとした顔の少女に、ニヤリと笑ってみせた。
「そいつで、お前さんも共犯だ」
「つっ……もう! エドガーさんは悪い人です」
言葉と裏腹にニルファルが白い歯をみせて笑い、エドガーの腕を掴んで表通りへと歩きだす。黒い大きなお下げが背中で揺れるたび、乾いた空気にふわりと乳香の香りが漂った。
ニルファルの父が長をしているという隊商は、町の西の外れにある泉のほとりでキャンプを張っていた。五十頭ほどのラクダを擁するキャラバンは、規模で言うと中の上といったところだろう。
「しかし、暑いな」
事情を説明する間ここで待っていろと言われたエドガーは、隊商から百ヤードほど離れた木陰に座っていた。木陰とは言え気温は中々のものだ、ましてや黒塗りのチェストプレートを着ていては蒸し焼きにされそうだ。
ニルファルは戻ってこない、喉は渇く。業を煮やしたエドガーは、えいままよと鎧を外して服を脱ぎ、腰布一枚で水に飛び込んだ。身体中に染み渡る冷たさにほっと息をつき、仰向けに浮かんで青空を見上げる。
「ああ、実にいい気分だ」
久しぶりに酒が抜けたせいか、爽快な気分でエドガーは目を閉じた。しかし、ニルファルのあの技は何なのだろう。杖の先の小さなハンマーで、アメジストを砕いた途端に酒が抜けてしまったが、あんな様式の魔術は目にしたことがない。
「エドガーさーん!」
名を呼ばれて我に返ると、少女が手を振りながら走ってくるのが見えた。抜き手を切って岸へと向かい水から上がる。そんなエドガーの体を見て少女が息を呑んだ。
「あ……あの、その胸の傷」
「ああ、すまん。古傷だ」
三年前のあの日、蛮族の斧に切り裂かれた惨たらしい傷跡から目を背ける少女に苦笑いして、エドガーは濡れたままの身体に服を着る。この気候だ、すぐに乾いてしまうだろう。
「……父がお礼をしたいって、行きましょう! きっと今夜はごちそうです」
重い空気を振り払うように子供っぽい笑顔を見せ、ニルファルが先に立って歩きだす。エドガーは盾を背負うと、鎧を右手にぶら下げて彼女の後をゆっくりと追った。
「私の名はウルグベク、まずは娘を助けて頂いた礼を言わねばなりますまい、騎士殿」
ひときわ大きなテントに案内されたエドガーの前で、ヒゲを蓄えた長身の男が胸に手を当てると深々と頭を下げる。
「騎士殿はやめて頂きたい。仕えていた主はとうに冷たい土の下で、今ではこの有様だ」
テントの入り口に置いた黒色の鎧と盾を指して、エドガーは肩をすくめる。黒騎士と言えば聞こえはいいが、鎧の黒は錆止めで、盾の黒は紋章を塗りつぶすためでしかない。
「でも、エドガーさんは私を助けてくれたから、やっぱり騎士様だと思うな」
「ニルファル、よさんか」
ぷぅ、とむくれるニルファルにエドガーは声を上げて笑う。少女が恥ずかしそうに脇においた銀色の杖を抱き寄せるのを見て、気になっていた事を切り出した。
「ニルファル、さっきアメジストを砕いたあの技は魔術なのかい?」
エドガーの言葉に、ウルグベクがヤレヤレといった顔で額に手をやりため息をつく。
「人前では使うなと言っているだろう、まったく……」
「だって、エドガーさん苦しそうだったから……ごめんなさい」
叱られてしゅんとするニルファルに悪いことをしたと思いながらも、エドガーは少女の杖を改めて見直す。長さは四フィートほどで握り手も全て銀色の金属製、魔術師の使うミスリルの杖に似ているが、特徴的なのは先端に小さなハンマーがついていることだろうか。
「部族に伝わる古い魔術でしてな、石を砕くことで石の力を借りる。そういうものです」
見られたからには、下手に探られるより最低限説明した方がいい。そう考えたのだろう、諦め顔でウルグベクがニルファルの杖を差しだして言う。ハンマーは石を挟み込めるようにばね仕掛けになっていて、そのまま叩けば砕ける仕組みらしい。
「いや、失礼した。はじめて見る技だったので少々興味を持っただけで、すまなかったなニルファル」
杖を返すとしょげる少女にニコリと笑って、エドガーはその話題を切り上げた。世の中には知らなくて良いこともあるのだ。
その夜、羊を一頭潰しての歓待を受けたエドガーは、久しぶりにまともな食事をした余韻に浸っていた。大勢で食事を囲み、歓談しながら楽しく食べる。そんな簡単な事を長い間忘れていたような気がする。
最後までそばを離れず話を聞きたがったニルファルが、父親に叱られてむくれながらテントにもどり、夜の静寂があたりを覆う。
客用のテントから抜け出し砂の上に寝転がると、エドガーは星空を見上げてため息をついた。こんな当たり前の幸せに気づけ無いほど、俺はどこで何を間違ったのだろうと。
翌朝、あたりを包む悲鳴と怒号にエドガーは目を覚ました。あわてて剣と盾をつかみ、下着のままテントの外に転がり出る。
「誰か水をもってこい、バルタ!? バルタ!? 返事をしろ!」
「布を早く! ファハドの止血が先だ!」
バルタと呼ばれた男は虫の息だ。右腕が炭化し、燃え落ちた服の間から覗く火傷を見るにもう助からないだろう。ファハドと呼ばれた男の方も胸に大きな爪痕のような傷を受け、悲鳴混じりの唸り声をあげていた。
「どいて!」
その時、ニルファルの声がした。止めようとする大人をかいくぐり、少女が二人の枕元に駆け寄ってくる。
「くっ……」
惨状に眉をひそめ、唇を噛んだニルファルがエドガーを見あげる。その目に秘められた決意を感じてザワリと胸が騒ぐ。
「エドガーさん、盾をファハドの枕元に、お願い!」
鬼気迫るニルファルの声に、エドガーは何も言わずファハドの枕元に盾を置いた。ニルファルが赤い石をハンマーにはめ込む。エドガーはその石に見覚えがあった、北方の騎士たちの間で守り石として流行った事のある赤い石……ブラッドストーンだ。
「間に合って」
少女の声が響くと杖がぼうっと光り、先端のハンマーが盾めがけて振り下ろされる。ガン! 盾を叩く金属音が高く響き、ファハドの身体を真っ赤な光が包み込んだ。