そんなおり、突如として現れたサラマンダーのせいで通商路が封鎖され街から出られない状況で暗い過去から目を背けるために酒に溺れるエドガーだったが、ひょんな事から一人の少女を助けることになる。
『ニルファル』と名乗った少女は魔力を通して石を砕くことで石の持つ力を引き出すことができる『石の魔術師』だった。そんな少女『ニルファル』と共にサラマンダーを退治する事になったエドガーだったが……。
これは酔っぱらいの中年騎士と石の魔術師の少女が織りなす、小さな、だが確かな冒険譚。
第一話 飲んだくれ騎士と紫水晶
――ここより西には何もない
住人達ですら自嘲するシルヴァーナ連合王国の西の果て、辺境の街ティルス。その寂れた酒場で、エドガーはパンくずを材料に作られるというビールもどきを流し込んでいた。
地元の人間に言わせれば、この酵母臭い味がビールの本来だというが、まあ酔えれば別に何でも構わない。
無精ひげをのばしたエドガー同様、身に着けた胸鎧はくたびれて傷だらけだ。黒い塗料でさび止めが施され、傷だらけのカイトシールドも黒一色で塗りつぶされている。
「くそっ、ついてねえ」
もはや口癖になってしまった一言をつぶやいて、エドガーはグイと木製のジョッキを傾けた。仕えていた辺境伯が北方の蛮族との戦に破れて所領を失い、エドガー自身も騎士の身分を失ってからからはや三年、隊商の護衛や村人に頼まれた夜盗の始末でなんとか糊口をしのいではいるが、こんな生活に先があるわけもない。
もう十歳も若ければ傭兵稼業に身を投じていただろう。だが、今の自分では少々年を食いすぎているのもよくわかっていた。
「おい、もう一杯だ」
ドン! と、木製のジョッキをカウンターに叩きつけ、腰の巾着から銅貨を三枚放り出す。隊商の護衛でこんな所まで来たのはいいが、どこのバカ魔術師が召還したのか、野良のサラマンダーが出たとかで、護衛してきた隊商共々この街に足止めされて五日になる。
「すみません、さっきので品切れです、お客さん」
丁寧な言葉とは裏腹に、すまないとは欠片も思っていなさそうな顔で言うと、酒場の亭主は肩をすくめた。
「気にすんな、無いもんはしょうがねえ」
くそっ、とうとう酒まで俺を見放しやがるか……。カウンターの上の銅貨をかき集めて巾着へ戻し、エドガーは目がくらみそうな陽光の輝く通りに目をやった。冷たい水が飲みたい……、酔った頭でそんなことを考えながらふらりと表に出る。
この砂の海に浮かぶオアシスの街、ティルスの唯一の利点と言えば、滾々と湧き出る澄んだ水くらいなものだ。来る時に見かけた一エーカーほどの泉が脳裏に浮かび、水でも浴びれば気分も晴れるだろうかと、長剣を杖代わりに通りを歩きだす。
傾いた陽射しを目を細めて見上げ、エドガーは街の西に広がる泉を目指してフラリ、フラリと千鳥足で歩みを進めた。
「うぇっぷ、気持ちわりい、飲みすぎたか……」
ロクでもない酒のせいか、それとも熱気にあてられたからか、二ブロックほど歩いたところで猛烈な吐き気に襲われてエドガーは壁に手をついた。こみ上げる生つばを飲み込みながら、通りから薄暗い路地へと入る。
こんなに落ちぶれても往来でヘドを吐くのはみっともないってか……。無意識にとった自分の行動を自嘲しながらエドガーは唇をゆがめる。
「ついてねえな、まったく」
入り込んだ路地に先客が居るのをみて、ひとりごちるとため息をついた。こちらに背を向けて立っているのは自分と同じ程の背丈の男、その向こうにいるのは子供だろうか。
「痛い目見たくねえなら、最初から出すモンだしゃいいんだよ」
男が声を上げる。ピシャリと肉を打つ音がして、小さな影が路地の奥に倒れ込んだ。
「ひっ」
小さく上げた悲鳴で倒れた影が少女だと知れた途端、エドガーの頭に血が上った。ザワリ、ザワリと耳の奥に血の流れる音が響く。
「おい」
右の拳で壁を叩いて声を荒らげる。気に入らない、何がと問われても困るが、気に入らないのだ。酔いのせいだというなら、まあそうなのだろう。
「んだこら、関係ねえ酔っぱらいは引っ込んでろ」
男がエドガーの左手に握られた長剣に目をやり、一瞬ぎょっとした顔をする。だが足元が怪しいのを見て御しやすしと思ったのだろう、腰からナイフを抜いてこちらを振り返り、さらに大声でわめきたてた。
「ジジイが! てめえも痛い目みたいってか? ああ?!」
お決まりの安っぽい虚勢を張って男がこちらへと向き直る。腰の伸びた素人丸出しの構えにエドガーは鼻で笑うと、かかっこいと、人差し指で手招きして挑発する。
「てめえ、ぶっ殺してやる」
元気がいいのは結構なことだ……。ナイフを振りかざし、まっすぐに駆け寄ってくる男に、エドガーは左手に握った長剣を鞘のまま繰り出した。鞘がスルリと手の中を滑る。中ほどまで滑らしてグイと握りしめ、そのまま柄頭をみぞおちに叩き込んだ。
「ぐっ、うえ」
エドガーが剣を抜かなかったことで完全に油断したのだろう、綺麗にカウンターを決められて男が上体を折る、その顎をエドガーは右の掌底でぶん殴った。
「バカが」
ドウ、と壁にぶつかり白目を向く男に吐き捨て、路地の奥で怯えた瞳でこちらを見つめる小さな人影に目を移す。褐色の肌に一本のおさげに編まれた黒髪、意志の強そうな眉と猫を思わせる茶色の瞳。
「大丈夫か?」
その問いに少女がコクリと頷くのを見て、エドガーは倒れている男の様子を、もう一度確認する。……ああ、大丈夫だ完全に気絶している……。
「そうか、大丈夫ならいい」
少女にうなずき返し、エドガーは壁に両手をついて、喉にせり上がってくる不快感を一気に吐き出した。鼻の奥にツンとくる胃液の匂いに涙目になりながら壁に向かって苦笑いする。……俺はなにをやっているんだ……と。
「大丈夫ですか?」
両膝をつき、胃の中の物を全部吐き出したエドガーの背後で少女の声が聞こえる。
「ああ、ただの飲み過ぎだ、そいつが起きる前にさっさと行っちまえ」
膝を折り、壁に手をついたままエドガーはそう言って、あっちに行けと手をヒラヒラとしてみせる。ヨレヨレの小汚いオッサンがよだれに鼻水まみれだ、見せられたツラじゃないだろう。
「ちょっと待っていてください、すぐに楽にしてあげますから」
背後でジャラリと石の触れ合うような音がする。何をしているんだ? と振り返ったエドガーの目に、少女が腰の袋から出した紫の石を、杖の先に取り付けられた小さなハンマーに入れるのが見えた。
「なんだ……?」
「アメジストです、さあ、背中の盾を構えてください」
少女の真剣な様子に興味の湧いたエドガーは、拳で口元を拭って立ち上がった。もんどり打つような胃の痛みをこらえ、背中のカイトシールドを下ろして胸の前に構える。
「いきますよ? せーのっ!」
少女が杖を振り下ろす。四フィートほどの長さの杖につけられた小さなハンマーを、エドガーは盾で受け止めた。
紋章が塗りつぶされた不名誉な黒盾を小さなハンマーが叩く。コン! という軽い衝撃に続いて、ジャリッと石の砕ける感触が盾を通じて左腕に伝わった。
「なっ」
途端、紫の光が目の前にあふれ、エドガーの体を何かが抜けてゆく感覚が走る。
「まだ……気分は悪いですか?」
腕に伝わった衝撃、体を駆け抜けた何かの力、そして目の前で小首をかしげる少女。状況がつながらないまま……だが……エドガーは数年ぶりに自分がシラフなのに気がついた。
視界が明るい、いつも頭にかかっていたモヤが晴れている。
「いや、気分は……いい……と、思う」
なんだ? 魔術の類か? やたらと清々しい気分に逆に違和感を覚えるエドガーに少女がニコリと笑う。
「よかった。わたしはニルファル、ニルファル・シルファっていいます、助けてくれてありがとうございます。えーと」
「エドガー・オーチャードだ」
無邪気な笑顔につられて、エドガーも小さく笑う。自嘲でも苦笑でもない、ただ笑おうと思ったから笑っているのは、何年ぶりだろう……。
ともあれ、これが後に石の魔術師と呼ばれる少女との出会いだった。
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