地球ではない場所。忘却の地と呼ばれる大地には、ドワーフやエルフ、果ては動物や爬虫類がヒトに臣下したものなど、多くの異種族が住んでおり、協力したり争ったりしながら住んでいた。忘却の地には“モノ溜まり”という場所があり、異世界から流れ着いた文物が大きな山となっていた。
そんな世界のとある町に、一つの武術道場がある。
その二、ハルバードと杖術
「売り先が決まった、か。それもやくざ者が相手とは」
斎舟は着流し姿に脇差だけを腰に差した格好で、するすると町を歩きながら呟いた。
熊公が仕込み杖の鑑定を頼みに来た日、斎舟は夜遅くまでそのことを考えていた。柄に見えた小さな突起の存在は、もしかすると刀身以外になにか仕込まれたものが存在するのかも知れない。
「固定のための金具などであれば良いのだが……しかし、何やらきな臭いことになってきたものだ」
疑念を晴らすために熊公の定宿を訪ねた斎舟だったが、熊公は仕込み杖に買い手がついたらしく、早朝から出かけてしまったことを宿の主人から知らされた。
その相手と言うのが、町のゴロツキを束ねている顔役の一人であることが斎舟には気になる。今まで町で幾度かのやくざ者どうしの喧嘩はあったが、腕前の拙さと武器の粗悪さも相まって、死人が出ることは少なかった。しかし、もしそこに銃が登場するとなれば話は別だ。
「空振りでしたね」
と、斎舟の呟きを聞いていたルリは嘆息する。
嫌な予感を拭えず、一夜明けてやはり熊公の仕込み杖をもう一度確認しようとしていた斎舟に、朝稽古のため道場を訪れたルリが同行を願い出たのだ。
熊公に話を聞くだけだから、と斎舟は許可したのだが、今となっては後悔していた。
「ルリ。少し離れていなさい」
「どうかされましたか?」
「妙な連中が……遅かった、か」
宿を出た時から尾行されていることに気づいていた斎舟だったが、町を抜けて顔役の所へと向かっている途中でその人数は増えていた。
連中のねぐらへ向かう途中でルリを帰らせるつもりでいたものの、まだ人目に触れる街なかであるにも関わらず、殺気立った連中がぐるりと周囲を取り囲む。
「何よ! この方が誰か知っているなら、無礼はやめなさい!」
「おうおう。随分と威勢のいい嬢ちゃんだ。エルフのくせに妙な格好してやがる」
ルリの言葉を受けて、ずい、と前に出て来たのは猪のような頭部を持ったオークの男だった。盛り上がるような筋肉の上にたっぷりと脂肪が乗った巨漢であり、その手には特徴的な長柄の武器が握られていた。
「悪いが、アンタが来たら軽く痛めつけて追い返すように言われていてな」
ぶふぅ、と前を向いた大きな鼻から息を吐いたオークは、斎舟を一瞥する。
「ふむ。お前の顔は見たことがある。ドワーフの顔役、ガッガの手下だな」
そのガッガは、熊公が仕込み杖を売る相手でもある。
「ちっ、面割れしていたか。まあいい。嬢ちゃんも運が悪かったな。抵抗しないなら悪いようにはしねぇが、暴れるってんなら相手になるぜ」
「師匠、どうしますか?」
「仕方あるまい……」
腰に手挟んでいた脇差に手をかけようとした斎舟だったが、死人を出しては拙かろうと思い、やめた。代わりに、喧嘩の雰囲気を察して逃げた小柄な物売りが置いていった天秤棒を拾いあげた。
長さは四尺ほど。武術で扱う“杖”と同程度の長さだ。
頑丈そうなそれを両手に掴んでだらりとぶら下げた斎舟は、またオークの前へとのんびり戻って来た。
「やるなら始めようじゃないか。あまりのんびりもしていられない」
「そんな棒きれで俺と戦うつもりか?」
腹立ちまぎれに武器を振り上げたオークに対し、斎舟はリラックスした姿勢のまま迎え撃つ。
「ルリ。お前は自分の身を守りなさい。殺してはいけないよ」
「……はい。わかりました」
腰の刀を抜こうとしていたルリは、斎舟からの注意を受けて手早く下げ緒をほどいて鞘ごと外した刀を構えた。
「舐めてたら、死ぬぜ?」
「気にせずとも良い。彼女はお前より強いよ」
斎舟が一歩踏み出すと、圧力をかけるかのようにオークが近づき、ルリの周りにもゴロツキたちがにじり寄る。どいつもこいつも下卑た笑いを浮かべており、手にはそれぞれナイフやら棍棒やらが握られていた。
「ハルバードか。モノ溜まりからの物かね?」
「噂通りの目利きだな。だが少し違う。こいつはモノ溜まりからのお宝そのものじゃねぇ。レプリカだ。だがよ、この通り威力はそのままよ!」
雄叫びと共にオークが振りかぶったハルバード。それは長い槍の穂先に斧と鎌が付いた複合武器だ。
この世界にも槍や斧はあったが、ハルバードのように複合化されたものは存在しなかった。
「しかしながら、斧も槍も利点のある武器で、それを組み合わせてみるという発想は誰しも思いつくだろう。ある種、生まれて当然の武器ではある」
そう言いながら、斎舟は振り下ろされたハルバードの斧部分をひらりと身体を斜に向けるだけで避けて見せた。
「だが、私が知るそれは一般的には普及しなかった。なにしろ重いからね。使いこなすのは一苦労だ」
「ぬかせ! この程度の重さ、俺の腕力があればいくらでも振り回せる」
「はあ、お前さんはちょいと頭が足りないね」
「なにぃ? ……あうっ!」
向う脛を杖先で強かに突かれたオークは、落としかけたハルバードを掴み直した。
その間にも、斎舟は動いている。
杖術の動きは多種多様であり、刃が無いからと言って脅威にはならないなどと考えるのは浅はかと言える。
今も斎舟が突きをくれてやったオークに対し、続けて横から右ふくらはぎの内側を叩き、直後にはそのまま左足に前から引っ掛けた。
「ぐわっ!?」
わけもわからぬまま、オークは仰向けに転がされてしまった。
「杖術はね。“突けば槍 払えば薙刀 持たば太刀 杖はかくにも 外れざりけり”と言われていてね。どうにでも変化できるんだよ」
「野郎! こっちだって槍でも斧でも鎌でもあるんだ! 負けるわけがねぇ」
「さあ、そこさ」
飛び跳ねるように立ち上がったオークは、足を打たれた痛みに堪えながらハルバードを振り回す。
なるほど膂力は確かにあるようで、突きは素早く、繰り出された切っ先が思い切り斎舟へと向けて薙ぎ払う動きへ変化するのに、足腰にぶれは無い。
だが、それでも斎舟は捕らえられなかった。
斧の刃は斎舟が掲げた杖によって斜め上へと摺り上げられ、腕が上がったオークの喉に、杖の突きが入る。
「ぐえっ!」
カエルが潰れたような声を出すオークの襟に杖先を引っかけ、斎舟は杖をくるりと回してみせた。自然とオークの片腕は後方に捩じ上げられ、身体はうつ伏せに地面へと押し付けられる。
「斯様に、杖術は体術との相性も良くてね。もちろんお前さんの得物でもできなくも無いよ。ただね、使いこなせなくちゃあどうしようもない」
「くっそぅ……」
「お前さんは腕力が大変優れているね。でも使い方を理解していなくては宝の持ち腐れだ」
精進なさいな、と斎舟は優しく諭して周囲を見回してみた。
「いてぇ! 勘弁してくれぇ!」
「もう、情けないったら……」
幾人かのゴロツキたちは斎舟がオークを押さえ込んでいるのを信じられないという様子で見ており、その向こうではルリによって気絶させられたらしき数人が倒れ、今も一人の男の手首をがっちりと極めていた。
ルリがやっているのは多くの武道で採用されているもので、手の甲や指を掴んで手首の関節を操作してやることで相手の身体全体の動きを封じるものだった。合気道などで良く見られる動きであり、細身で腕力が然程強くないルリには最適な技術だ。
「しばらく寝ていなさい」
「うぐっ……」
中指と親指で首の頸動脈を摘まみあげて相手を気絶させたルリは、相手の身体に立てかけていた刀を拾いあげ、腰へと差しなおした。
「さて、一段落したようだが。まだお前さんたちは人数がいるね。まだやるかね?」
斎舟の呼びかけに応える者はいない。
ルリの周りでも彼女に挑もうとする者は出ないようで、油断無く構えている彼女が無傷であることを確認し、斎舟は再び口を開く。
「では、何故我々を襲ったかを聞こうじゃないか」
「……わかった。あんたには参ったよ、降参だ。話すから、まずは腕を放してくれ。痛くてかなわねぇよ」
逃げるつもりは無い、と見た斎舟はあっさりとオークを解放してやった。
憮然としてはいるものの、オークはその場で胡坐をかいて座りこむと、先ほどまでがっちりと押さえられていた左腕をぐるぐると回した。
「ふぅ。俺たちが命じられたのは、二人合わせてじゃない。あんただ。斎舟だけを足止めしろって話だった。手下(てか)の一人が探索者と話をしているのを聞いたんだ。それで、あんたが邪魔をするんじゃないかと思ったお頭が、俺たちを監視に置いたのさ」
斎舟がモノ溜まりにある武器について詳しいこと。そして時にはその武器を買い取っていることを知っていたドワーフのガッガは、貴重なものらしい武器を確実に手に入れたいがために斎舟の足止めを狙ったらしい。
「少し解せぬところがある。熊公が持ち込んだ武器を私が買う可能性はさて置いて、どうして顔役はそこまでモノ溜まりからの武器に……あれに拘るのかね?」
「言いたかねぇが……シマの問題よ」
町にいるもう一人の顔役が、探索者から珍しい武器を集め出し、戦力の増強を図っているという噂があるらしい。それで縄張りの防御態勢に危機感を覚えたガッガが、敵の妨害と戦力増強を兼ねて熊公だけでなく、他の探索者からも武器を買い取っている。
オークはそう話した。
「……争いに、なるかね」
「多分な。このままじゃあ、互いにそれなりの“発散”をしないと拳は下せねぇや」
「師匠……」
厳しい顔をしている斎舟は、ガッガが自邸にいることを改めて確認すると、そこへ向かうと短くルリに告げ、オークへと背を向けた。
その背中に、オークが問いかける。
「斎舟さんよ。一つ聞きたいんだが」
「なんだね?」
振り向きもせずに応じた斎舟は、言い様の無い圧力を背負っているようにルリには見えた。
「あんたに教われば、俺も“使いこなせる”ようになるのか?」
「さてね。それはお前さんの努力と心持ち次第さ。気になるなら私の道場を訪ねてくると良い。いつでも良いよ」
振り向いた斎舟の瞳は優しかった。
オークは心持ちという言葉の中に、足を洗って真面目に稽古をすれば可能性はある、という意味が隠されていることを感じ、座ったままで頭を下げた。
「……恩に着る」
「そうかね」
短く答え、斎舟は再び歩み始めた。
万が一、あれに銃が仕込まれていたとしたら、そして町の抗争に使われてしまったら、争いは“喧嘩”ではなくなってしまうだろう。
追いかけてくるルリの気配を感じながら、斎舟は歩みを速めた。
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