そんなおり、突如として現れたサラマンダーのせいで通商路が封鎖され街から出られない状況で暗い過去から目を背けるために酒に溺れるエドガーだったが、ひょんな事から一人の少女を助けることになる。
『ニルファル』と名乗った少女は魔力を通して石を砕くことで石の持つ力を引き出すことができる『石の魔術師』だった。そんな少女『ニルファル』と共にサラマンダーを退治する事になったエドガーだったが……。
これは酔っぱらいの中年騎士と石の魔術師の少女が織りなす、小さな、だが確かな冒険譚。
第四話 火炎蜥蜴とアクアマリン(後)
「荷物を解いて武装しろ、小休止したら探索だ」
生き残った戦士から地図に記して貰った場所までは、徒歩で二時間といったところだろうか、小高い丘でエドガーたちはラクダを降りた。干からびた灌木のあるこの丘から先は見渡す限りの砂の海だ。
「エドガーさん、近いんですか?」
「ああ、多分な。ここから先は歩きだ」
ニルファルの問いに答えながら、エドガーは必要な武装を身に着けてゆく。生き残った戦士たちの話では、騎乗しての移動中にサラマンダーに襲われラクダ達がパニックになったのが最初のミスだと聞いての対応だ。
「じゃあ私の出番です」
フード付きのマントをまとったニルファルが、腰の袋からはちみつ色の小さな宝石を取り出すと太陽にかざしてみせる。
「それは?」
「キャッツアイです、えーと……千里眼っていうんですか? 探したいものが見えるようになります。魔力を残したいので三リーグ四方くらいしか見えませんが」
「十分だ」
その魔法でニルファルが予見した通り、北西の方角に小一時間ほど行った盆地にサラマンダーはいた。エドガーの指示で用意したクロスボウを担いで、二人の戦士が反対側の稜線に回り込んでゆく。
計画通り先手は打てた。遠距離から交互に攻撃するというのは、作戦としては悪くなかったはずだ。合図の笛と共に射ち出されたエドガーの矢がサラマンダーの左後ろ足を貫き、部族の戦士の矢は左目と首に突き立った。読み違えたのは、復讐心にはやった部族の戦士達が飛び出して白兵を挑んだことだ。
「馬鹿野郎が!」
突っ込んでいった二人の戦士が炎の舌で焼かれて火達磨になる。エドガーは毒づきながら背を向けたサラマンダーの右腿に二射目を叩き込んだ。攻撃を受けて振り返り、こちらへ駆け寄ってくる相手の速度を見て三射目を諦める。巻き上げ式のクロスボウはこうなると役立たずだ。
「ニルファル、俺が呼んだら来い。こいつはお前に貸してやる。」
砂の上ではニルファルの杖を叩きつけるものがない、正直なところアレを白兵で倒せるとも思えない。砂地という足元の悪さから身軽になることを選んだエドガーは、カイトシールドを背から下ろしてニルファルに渡す。
「エドガーさん……」
「頼んだぞ、相棒」
にやりと笑ったエドガーに、まなじりを決したニルファルが杖を握りしめて大きくうなずいた。同時に立ち上がった二人だが、サラマンダーは吶喊して飛び出したエドガーではなく、空腹と傷を癒やす魔力を持ったニルファルに視線を釘付けにして砂丘を駆け上ってくる。
「行かせるかよ!!」
射たれた後ろ足を引きずりながら、それでも人の駆け足ほどの速さで突き進むサラマンダーの前足めがけ、エドガーは分厚い長剣を両手で持って叩きつけた。
ガキン! と石を叩くような音がしてエドガーの手がしびれる。流石に効いたのだろう、苦悶の悲鳴を上げたサラマンダーが立ち止まり、エドガーに向き直った。
「いいぞ! 来い! 化物め!!」
大声を張り上げ自身を鼓舞する。エドガーを睨みつけたサラマンダーが立ち上がり、大きく口を開く。チロリと炎の舌が見えたのをみてエドガーは身を低くした。
石綿布のフードを目深に被りマントを左手でかき寄せる。目を閉じて息を止め、エドガーはまっすぐ突っ込んだ。轟と音がして熱気が体を包む。
革手袋を通して熱気が右手を焼いた。石綿布のマントがなければ火達磨だっただろう、そう思いながら、足場の悪い砂の上でエドガーは無我夢中で前に出た。一歩、二歩、三歩、数えて右手に握った長剣を思い切り突き上げる。
「ウルァ!!」
雄叫びを上げながら全力で突き上げた剣が硬いものに当たる。バツリ、と金属の薄板が弾けるような音がして剣を握る手に肉を断つ感触が伝った。やったか? 思いながらエドガーは目を開く。
「クソッ!浅いかっ!」
喉元から脳天めがけ、仕留めるつもりで突いた長剣はサラマンダーの下顎を斜めに突き抜け、上顎の裏側に深々と刺さっていた。
「ニルファル!」
叫びながら、エドガーは長剣を握った手を放した。顎に刺さった剣を抜こうと暴れるサラマンダーの半開きの下顎に飛びつくと、体を引き上げ首に足を絡ませる。
「ニルファール、来い!!」
再び名を呼びながらマントの留め金具を左手で引きちぎり、振り回すようにして左腕に巻きつけた。炎さえ吐かれなければ……!
下顎から上顎へむけ、ななめに縫いつけるように刺さった長剣と牙の隙間から、石綿布を巻いた左腕を力任せに押し込む。暴れまわるサラマンダーがエドガーを振り払おうと、頭を地面に叩きつけた。
「ぐぅっ」
背中をしこたまぶつけて息ができなくなる。戦いの最中だというのに少女の笑顔が脳裏に浮かび、再び両手両足に力を込めてサラマンダーにしがみつく。
「いきます!」
十秒、いや、もっと短かったかもしれない。少女の凛とした声が響きわたり、ハンマーが盾を叩く金属音が耳朶を打った。
「なっ!?」
サラマンダーの顎にしがみつきながら、ちらりと覗いた空の景色にエドガーは目を疑った。泉に潜って空を見上げた時のきらめきが砂漠の空を覆っている。直径三十ヤードほどの池が宙に浮かんでいた。
「ぶわっ!」
一瞬の後、押し流すような奔流が押し寄せ、サラマンダーとエドガーをもみくちゃにする。口に入った水がえらく塩辛いのは海水だからだろう。アクアマリンで海水が出せると聞いてはいたが、これほどの量とは……。
砂漠の真ん中で海水にで溺れそうになりながら、エドガーは必死でサラマンダーの首にしがみついた。
「勝った……のか……」
ずぶ濡れになったエドガーは立ち上がり、サラマンダーの口から腕を引き抜いた。大量の海水に炎の精気を吸い尽くされた大トカゲを蹴飛ばして、ピクリとも動かないのを確認する。
「エドガーさん、生きて……ますか?」
「ああ、なんとかな」
「目が痛いです……」
海水が目にしみるのだろう、ペタリと尻もちをついたまま目をしばたかせるニルファルにエドガーは手を差し出す。
「よくやった、大丈夫か? ニルファル」
「だいじょう……ぶ……」
「どうした?」
差し出された手を取ろうとしたニルファルが、エドガーの背後を見て目を剥いている。
「クソッ!」
「キャッ!」
後ろを振り返り状況を確認したエドガーは、足元に落ちていた盾を拾って少女を突き飛ばした。サラマンダーの死体が風船のように膨れ上がり、鱗の隙間から赤い燐光が漏れ出している。今にも……そう、今にも弾け飛ばんとするばかりに。
「目を閉じて動くな!」
横たわる少女を守ろうと、エドガーは光を放ち膨れ上がるサラマンダーにカイトシールドを向けた。膝を曲げ盾の先端を濡れた砂に差し込むように叩きつける。
―― 神よ、
祈りの言葉が胸をよぎった刹那、熱い衝撃波がエドガーを襲いかかった。盾をささえる肩がきしみ、押さえつける腕がもげそうになる。鈍い音をたて、重いつぶてが盾を叩いてゆく。
―― あの日、何も守れなかった俺に……一つだけでいい、この盾で守らせてくれ。
「……さん、……エドガーさん!」
少女の声が遠くから聞こえ、ポタリ、ポタリとエドガーの頬を雨がぬらした。
雨……? 俺……は……。 ぐいと握りしめた右手に乾いた砂の感覚が伝わる。
「ニル……ファル」
少女の名を呼びながらエドガーは目を開けた。ニルファルが涙で顔をクシャクシャにしてこちらを覗き込んでいる、
「ニルファル」
「はい!」
泣き笑いする少女の頬を人差し指の背でぬぐい、エドガーはニルファルの膝の上から体を起こした。鎖骨がひどく痛むが他はなんともないようだ。
奇跡だな……思いながら辺りを見回す。サラマンダーは跡形もなく吹き飛んでおり、砂丘の向こうに落ちてゆく残光の中、澄み渡った空に星が瞬き始めている。
「エドガーさん……」
背中にもたれかかるようにして、ニルファルに後ろからそっと抱きしめられた。首に回された柔らかな少女の腕に、エドガーは黙って手を重ねる。
「私、やっぱりエドガーさんは騎士様だと思います……」
足元に転がる傷だらけの盾を見て、エドガーは小さく息を吐いた。
「お前がそう思うなら、それもいいさ」
目を閉じたエドガーの頬をニルファルの髪がくすぐり、乾いた砂漠の風に煙の匂いと乳香の薫りがふわりと漂った。
(つづく?)
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